003 暴力制裁を受けるより衝撃的なハグ
「………………」
はてさて、どこまで真に受けるべきだろうか。
二人が話した内容は一般論として共感性の高いものだった。名実ともに完璧になりたい、そして青春を謳歌したい……たぶん、野球部が甲子園を目指す理由みたいなことだろう。
しかし、やはりもう少し具体的な話を聞きたいところだ。でないと、首を縦にも横にも振ることができない。いまこの場でお出しできるものは、沈黙しかなかった。
「まあ、やっぱり……体験してもらうほうがいいかあ」
とつぶやいた。それから、
「
「ええ。私もそっちの方が手っ取り早いと思います」
「だよね。おーけー」
体験? その二文字が気になった。けれど口を挟む隙は与えられず、二人のやりとりは続いた。
「……でも、いいんですね? 私以外にも、して」
「背に腹は代えられないし、それにやっぱり、彼は計画に必要だと思うから」
種ヶ崎さんが、無言で肯きを返した。その直後、晴乃井るるが僕の方へ歩き出した。
どんどんと近づいてくる彼女に、身構えてしまう。なにをするつもりなんだ。まさか、暴力? 暴力ですべてを解決しようとしてる? 体験ってつまり、拒否したらどうなるか分かってるよな、みたいな意味?
なんて考えが一瞬だけ頭の片隅を過ぎったのだけれど、まさかそんなわけはなかった。晴乃井るるは人格者と聞いている。その噂通り、彼女が拳を振り上げることはなかった。
では、実際には何が起きたのか。
それは、暴力制裁を受けるより衝撃的な出来事だった。
「────はぇ?」まず、まぬけな声が出た。次に、「えっ……えええええぇぇっっッ!」
叫び声をあげてしまった。そのあとでようやく、現実に起きたことを理解する。なんてこった──晴乃井るるに抱き着かれている!
彼女の細長い腕が、僕の身体を包み込む。胸元のふくよかなそれが押し付けられている。ふわり、いい匂いが鼻腔を突く。石鹸? 香水? わかんないけど、僕の顔を赤らめる成分が含まれていることは確かだった。
「あのっ、ちょッ」
「しーっ。静かにして、落ち着いて」
「おち、おちおちっ、おちついてって、おちっち」
「いいから。あたしの言う通りにして」と言って、晴乃井るるはおでこを、僕のおでこにくっつけた。「そうすれば、早く済むから」
「済むって、なにっ、なにがッ」
「目を閉じて。意識をあたしに集中させて」
子供を寝かしつける母親のような優しい声色で、彼女は言った。
なんだ、ガチでこれ、なに? ドッキリとしか思えない唐突な肉体接触と、色仕掛けにしてはムードに欠けるシチュエーション。意図も算段も読めない晴乃井るるの行動に、僕の身体は膠着する。まともに目を開けていられない。鼻と鼻が触れ合う距離に、学年一美しい顔があるのだ。
だから僕は目を閉じた。決して言いなりになったわけじゃないぞ! という言い訳を用意して。
「そう、いいね。ゆーっくり息を吸って……吐いて。うん、上手だよ」
心拍数は高速のままだけど、耳元で鳴るその声のおかげで抗いたい気持ちが薄まっていくような気分になった。考えることをやめて、指示に従うことにした。
「そしたら、想像して。意識をあたしの中へと送り込むような想像をして。ゆーっくり、ゆっくりでいいよ。どんどんと中へ入ってきて。いいよ。あたしを感じて──────」
催眠術みたいだ。ぼんやりと、そう思った。
するとだんだん、晴乃井るるに吸い込まれていく感覚になった。眠りにつく直前みたいな、現実と夢の境目が分からなくなるぐらい意識が曖昧になっていく。なんだこれ。いま、なにをされているんだ? 分からない。なにかを考えるには頭の中が空っぽすぎるきがする。あれ、ちょっときもちいい。ふしぎだ。とろけていくかんじからだのりんかくがわからなくなっていくようなはれのいるるのからだのかんしょくももはやないぼくのからだのかんかくもないいったいぼくはいまどうなってい
そこで意識が、プツン、と途切れた。
意識を取り戻してすぐ、まず違和感に襲われた。いつもより視野が上にあって、ほんのすこし視力が悪い。さっきまで鮮明に見えていたはずの窓の外がぼやけて見えた。それから、下半身がすーすーとする。おかしい、と思って下を向くと、スカートを履いていた。
手を見る。細長い指。透き通るように白い、つやつやとした腕。胸元が……大きい。
そして何よりも驚きなのは────足元に『僕』がいたことだ。
その『僕』は、魂を失った抜け殻のように微動だにしなかった。目と口を開けたまま、無様な体勢で、地面に倒れこんでいる。死んでる────いや、比喩表現とかじゃなくて本当に。生きているように見えない。
「こ、これ、どういうッ……!」
と声を発して、その音が甲高いソプラノボイスで、自分で驚く。
ふと視界の隅に、種ヶ崎さんが見えた。彼女はゆっくりと、抜け殻の僕の前まで歩いて、かがんだ。手首に指を二本置いてから、僕と視線を交わらせて、
「
と言った。僕は肯く。
「そう、よかった。初めてにしてはスムーズに済んで」
「あ、あのっ。種ヶ崎さん、これ、いったい……」
「信じられないかもしれないけど、信じてほしい。君の意識はいま、その身体の中にない」と種ヶ崎さんは言って、床に転んだ『僕』を指さした。その後、人差し指をこちらへ向けて、「晴乃井さんの身体の中に移動してる」
種ヶ崎さんは相変わらず、抑揚のない声と素っ気ない表情で、説明をくれた。冗談を言っているようには見えない。本気で、本当のことを言っているのだ。
とするならば、もう気づかずにはいられない。
僕は、晴乃井るるになっていた。
「晴乃井さんは、他人の意識を自分の身体に取り込むことが出来る。それは晴乃井さんの才能というか……少年マンガ的に言えば、特殊能力、というか」
それから、
「私たちはその能力を『インスト』と呼んでる」
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