002 そのレッテル、美少女に会うための通行手形につき

「すみません、晴乃井はれのいさん。本当はもう少しスムーズに連行できるはずだったのですが。彼、警戒心が強くて」

「ううん、いいの。そりゃあ、そうよね。急に呼び出されて、ワケわかんなかったと思うし。説明も難しいしね」


 あの峰岸みねぎしも憧れる女生徒、晴乃井るる。芸能活動が忙しく、謁見えっけんさえ奇跡らしい彼女が、目の前にいる。そして、僕を呼び出したのは確からしい、ということを種ヶ崎たねがさきさんたちの会話から知って、動揺を隠しきれなかった。だから、種ヶ崎さんが「連行」という刑事犯相手にしか使わなそうな言葉選びをしていたのは、いったん聞き流すことにした。


 とりあえず、状況整理を試みよう。どうやら、茶髪ボブの同級生、種ヶ崎さんは晴乃井るると知り合いらしい。で、どうも僕に何やら用件があるという。


 まず思い浮かぶのは、朝の出来事。橋の欄干の上から飛び降りた晴乃井るるを目撃した、あの一件だ。


 僕を呼び出した理由は、たとえば、その口封じとかだろうか。


 あり得る、確率はかなり高い。というか、それ以外にはあり得ない、とさえ思った。僕が晴乃井るると接点を持ったのは、高校生活どころか人生において、あの一回限りだ。


 しかし、疑問は残る。あの時点で、彼女が僕の名前を知っていたのはなぜだ──


「で、新室燦々にいむろさんさんくん。早速、訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」


 とそこで、僕の思考を遮ったのは、晴乃井るるの声だった。無意識で床に落ちていた視線を上げる。美しいにもほどがある顔が、視界に飛び込んできた。


「あなた、めちゃくちゃ頭がいいんだってね。それ、ホント?」

「えっ?」なんの話だ。「あの、頭いい……わけじゃないですけど……」


 するとすかさず言葉を挟んだのは、隣に立つ種ヶ崎さんだった。


「でも、新室くん。学年で一番勉強できるでしょ。首席合格、なんだし」


 あ、そういうこと。ここで僕はようやく、先の種ヶ崎さんの発言に合点がいった。


 私たちの学年に、君を知らない人なんていないと思うけど──と彼女は言った。たしかに、そういう意味では僕は小規模な有名人かもしれなかった。入学からの一か月間、可能な限り慎ましく生活してきた僕だが、本格的に高校生活が始まるよりも前に一度だけ、衆目の的にならざるを得なかった出来事があった。


 入学式の新入生代表挨拶。そいつを任されてしまったのだ。


 どうも鈴鳴すずなり高校の入学式における新入生代表挨拶は、首席合格者が担うことになっていたようで、この年の首席合格者は、恐縮ながら僕だったわけだ。


 そして見事、高校生活のスタートダッシュに躓いた。


 だって考えてもみろ。首席合格者という肩書きは、僕の能力を正しく証明するものじゃない。謙遜抜きでマグレの類だと自負しているし、にもかかわらず、僕はこの先、大いに誤解されたまま生活していかねばならない。


「つまりだよ、新室くん。私は晴乃井さんに、学年一の天才を会わせたかったの」


 ほらね、こういう風に。


 マズいことになった。首席合格というレッテルが、学校一の美少女と面会するための通行手形だったなんて。正直、喜ばしいことではある。明日、峰岸に自慢してやろ。でも、いやしかし……! 


「そんなんじゃないです……! 僕は、ただ」

「分かるよ、天才クン。ただ努力を積み重ねてきただけ、と続けたいんだよね。事を成す人間はいつだって謙虚、よけいに気に入りそうだなあ」


 ダメだ! 言葉が届かない!


 少なくともこの場は、お手上げかもしれない。晴乃井るるは、机の上で足を組んで座ったまま、期待の微笑みを僕へと向けている。視線を横へ逃がせば、今度は種ヶ崎さんのまっすぐな視線とぶつかる。オーケー、退路ナシ。


 ひきつった口角は、一向に下がらない。ならば、と僕は、ひとまず安心するために、


「それで……結局、なんの用事なんですか……?」


 晴乃井るるめがけて、質問を投げた。すると彼女は、足を組み替えて、


「実はね、天才クンにお願いがあるんです」


 と言ってから、真剣な表情に愛嬌をプラスした微笑びしょうを崩すことなく、


「あたしたちの計画に、参加してくれないかな?」


 やけに不可解で、やけに不穏で、やけに非日常的なフレーズを口にした。


 聞き間違いだろうか。……計画? いま、そう言ったか? ガチで?


「なんすか……計画って」


 日常生活ではまず聞かない熟語だ。冗談めかして使うことはあるかもしれないが、晴乃井るるの表情はいたってまとも、眉一つ動かさない。からかっている様子はない。


 晴乃井るるは組んでいた足を解いて、上半身を前に出した。


「安心してよ。銀行強盗とか、ハッキングとか、そういう物騒なアレじゃないから。犯罪じゃないよ」

「犯罪じゃないのは大前提でお願いしたいんですけど……」

「いや。日本の刑法が適応されるタイプのそれじゃない、って言い換えた方がいいかな」

「どうして不安を煽るような言い回しに変えたんですか」

「わかったよ、新室くん。私が説明するね」


 混乱する僕を気遣ってか、種ヶ崎さんが会話に合流した。相変わらず彼女は、抑揚のないトーンで話すのだが、この場においては都合がいい声色だった。その計画の内容は、まさか犯罪級のものではありえませんよ、と安心させてくれるような優しい音だった。


 そして種ヶ崎さんは深呼吸ひとつして、じっと僕の目を見つめ、


「私たちの計画はね、晴乃井さんを『完全無欠の最強女子高生』にすることなの」


 彼女も彼女で、犯罪級におかしなことを言った。


「……はい?」


 すかさず、晴乃井るるが口を挟む。


「え、分からなかった? つまりだよ? 才色兼備、十全十美、両面宿儺、大谷翔平……みたいな? そういう四字熟語が似合う人間になりたい、っていうか」

「後半、四字熟語か怪しいんですけど」

「完璧になりたい、っていうのは、やっぱり誰しもが思うことじゃない? かの有名な音楽家、ジョン・レノンも歌っていたし。『僕を夢想家だって思うかい? 想像してごらん。晴乃井るるが最強の女子高生になった姿を』」


 絶対歌ってないと思う。


 ダメだ、理解が追いつかねーや。


 お出しされた情報の点と点が線で結べない歯がゆさ、というか、よしんば彼女たちが計画を進めている事実を受け入れたとして、僕を呼び出した理由がまだ不明瞭だ。


 そしてなによりも、いちばん意味が分からないのは、

「てか、晴乃井るる……さん、は、元からそういうイメージですけど」

 そこだ。


 入学してから一か月で、僕みたいに情報交換する相手の少ない生徒にも、晴乃井るるの噂は回ってきている。学校一の美人で人格者、芸能人で親愛なる隣人的ヒーロー。それが彼女。ならば、すでに完全無欠の最強女子高生だ。


 これ以上、なにを望むというのだろう。


 という僕の疑問に、


「それ、あくまで印象の話でしょ?」


 答えを出したのは、晴乃井るる本人だった。「よっ」という声を小さく出して、彼女が机から飛び降りて立ち上がる。そこで僕は初めて、彼女の全身を見た。僕より高い身長、170センチぐらいはあるんじゃなかろうか。スラリと引き締まった体躯がこれまた美しくて、そりゃあ芸能活動に忙しいのも頷ける。


「印象……ってか、それが事実じゃないんですか。みんな噂してますよ」


 言うと、晴乃井るるは首を横に振った。


「あたしはね、偶像崇拝されたいんじゃなくて本物になりたいの」


 それから短い呼吸を挟み、言葉を継ぐ。


「そして、できることなら楽しい青春を送りたい。その協力をあなたにしてほしい」


 まるで庶民的なセリフを、この学校でいちばん似合わない彼女が発する。そのコントラストに、僕は不思議な心地になった。その傍らで、


「つまりね。新室くんの頭脳を活かして、いざ青春攻略、ってことだよ。理解した?」


 種ヶ崎さんが極限の飛躍みたいなまとめ方をして、またもや僕を混乱させた。


 はい、台無し!

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