Case.1 替魂受験(前編)
001 生きた時代が違えば、ダヴィンチも晴乃井るるを描く
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それは開校以来の美少女だとか、その正体は現世に舞い降りた天使だとか、この世に奇跡と呼べるものがあるとしたらそれは晴乃井るるの誕生で、生きた時代が違えばダヴィンチも彼女を絵画に起こしていただろうとかなんとか、あることないことあらゆることが、毎日のように僕の耳に飛び込んでくる。
「晴乃井さんが在籍しているってだけで、日本中のどんな進学校よりも、
そう語るのは、隣の席の
スクールカーストでいえば上位層、クラスメイトの憧れたる峰岸さえもが焦がれる存在、それが晴乃井るる、という女生徒らしい。
「もうお前、晴乃井さんを見たか? 俺はまだだ。なんでも、芸能活動で忙しくてなかなか登校してこないらしい。もしも一目拝めたら、その日は人生最高の一日になるだろうなあ。誇張抜きでさ」
「……どうだろう。見てない、かな」
「だよなぁ。くゥ~、一度でいいから話してみてぇ~。や、もちろんよ、付き合いたいとかたいそうなことは願っちゃいないぜ。分はわきまえてんだ。……ただなぁ、例えば放課後の帰り道で二人並んで歩いたりだとか、俺の小粋なジョークにくすりと笑ってくれたりだとか、別れ際に『もうちょっと話していこうよ』って裾を掴まれたりだとか、そういうささやかな幸せが欲しいだけなんだ。分かるだろ?」
「はは、分かるよ」
峰岸の妄想は、かなり共感できる内容だった。高校生たるもの、異性との思い出を作りたいものだ。しかし、理解は難しい。それ、付き合うってのと何が違うんだろう。
「とにかく、だ。俺は入学から一か月にして、早くも高校生活の目標が定まっちまったってわけさ」
仮に晴乃井るるの噂が、妄想癖持ちの浮かれ陽キャのみから聞かされていたら、僕だって気に留めなかっただろう。人が人に恋焦がれるというのは偶発的な自然現象だし、いっても個人的な話だ。
しかし驚くべきなのは、この手の話をあらゆるクラスメイト、同学年の生徒たちからも聞かされ続けている、ということだ。高校入学から一か月が経った五月現在においても、話題のトレンド上位は、常に晴乃井るるという女生徒だった。
成績優秀でスポーツ万能、おまけにユーモアセンスもピカイチ。男子から告白された回数は全校生徒の両手の指じゃ足りないらしく、いやそれって計算破綻していないか、とも思ったけれど、他校にも噂が届いているとすれば、あながちあり得ないことじゃない。
峰岸が語った通り、芸能活動が忙しくて登校頻度が低いことからも、彼女を一目見たいと願う生徒は多いらしい。しかも男女問わず、というから驚きだ。
「美は皮一重、っていうけどよ。どうやら晴乃井さんは、人格者でもあるらしいぜ。これは友達の姉ちゃんから聞いたんだが……中学の時に担任教師も手に負えないほどのひどいイジメを止めただとか、街の治安を脅かす連続放火魔を捕まえただとか、あとは……あんなにモテてんのに彼氏を作らないらしい、とかな。言ってたぜ。まあ最後のは、さすがに馬鹿げた話だがよ」
「……。三つ目がもっとも現実味あると思うのは、僕だけかな」
「ああ、お前だけだね。彼女が未経験だなんて、魔法少女の実在以上に信じがたいさ」
峰岸は、そう言うと大きくため息をついて、
「ま。仮にそうだとしても、我々のような凡夫には関係のない話だ」
と天を仰いでいたのが、今日の昼休みのこと。
なるほど。やはり晴乃井るるは、かなりの人気者らしい。と、するならば、よけいに疑問だ。どうして、僕なんかのことを知っていたのだろう。
仮にその答えを知っている者がいるとすれば、目の前を歩く女生徒ということになろう。
川へとダイブする晴乃井さんを見かけた日の放課後。いま、僕は名も知らない女子に誘われるがまま、旧校舎にやってきていた。僕らの高校は、新校舎と旧校舎の二棟に分かれており、普段勉強をする教室があるのは新校舎の方。旧校舎は受験生用の自習室や放送室などがあるが、来たのは初めてだった。
「晴乃井さんは、ここにいる」
三階、階段を左折、つきあたりの部屋の前で茶髪ボブの子が立ち止まる。クラス札には何も書かれていない。普段は空き教室らしい。
「入って」
相変わらず抑揚のない声で、彼女が言う。
「あの、その前に。どうして僕を呼んだんですか……?」
「それは晴乃井さんから説明があるから。さ、早く」
暖簾に腕押しとはこのことだ。
見知らぬ女生徒からの突然の呼び出し、というのは、ラノベやアニメ的と呼んでも差し支えない胸高まるイベントであるのだが、しかし状況による。この場合は、多少の警戒があっても良いと思った。
「なに? 疑ってるの?」
そんな僕の心情を見透かしたのか、茶髪ボブの女子が首を傾げた。表情に色はない。
「え、いや……まあ。事の経緯がさっぱり分からないので、そりゃあ」
言うと、茶髪ボブは小さくため息をついた。そのあとで、
「しょうがないか。いいよ」彼女は自分の生徒手帳を、僕の眼前で開いた。「
種ヶ崎、と名乗ったその子が小さく会釈をした。
「このタイミングで自己紹介するんだ」
「だって
「そういうんじゃないけど……。てか、種ヶ崎さんは、どうして僕のこと」
「私たちの学年に、君を知らない人なんていないと思うけど」
そう言って、種ヶ崎さんは生徒手帳を制服の胸ポケットにしまった。
彼女の発言内容に、眉をひそめる。僕を知らない人なんていない? そんなわけはない。鈴鳴高校に入学してからの一か月間、僕はなるべく悪目立ちしないように生活してきたつもりだ。問題行動を起こしたことなど一度もないし、逆に校内に侵入してきたテロリストを退治したという美談だってない。
僕の認識と異なる情報を次々にお出しされて、脳が破裂しそうだった。
「とにかく、これで信用してくれた?」
さらに言えば、基本情報程度の自己紹介で信用を得ようとしている種ヶ崎さんのスタンスも、さっぱり理解できない。
しかし、種ヶ崎さんが僕を逃がしてはくれないらしいということだけは、確かだった。彼女は右手で僕の制服の裾を掴んで、強く引っ張った。
「ちょ、ちょっと」
「優柔不断は嫌い。埒が明かない。だからもう、こうする」
そしてそのまま、種ヶ崎さんは左手で空き教室の扉を開けて、
「やあ、遅かったね。待っていたよ、新室
教室の中、机の上に腰掛ける学校一の美人──晴乃井るると、視線が交わった。
開放された窓から、風が流れ込む。カーテンが舞って、同時に晴乃井さんの長い髪がなびいた。顔の輪郭と長い首筋が露になって、意識が飲み込まれそうになる。大きな瞳、整った鼻筋、薄い唇がきれい。皆が噂するように、いや、こうやって近くで見ると、皆が噂する以上の美人だ。
彼女は、またしても僕の名を呼んだ。
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