第27話

1・魔人とマレビト



惑星の大気表層を突き抜け、流星となったそれは白い尾を引きながら堕ちて行った。


断続的に爆音を発しながら分解しそれが轟々と鳴り響く。


矢が突き刺さるように地面に穴を穿つだろう。




音に揺られた枯れ葉が一枚、はらりと枝を離れ、きりもみ状に落ちかける。


手が宙でそれを軽く甲で押すと、枯れ葉は水平に空を滑って行った。


星はそれと同時に角度を変えて水切りのように飛んだ。




掴む手-【ホワイトハング】は、空を滑る星に背を向け、


ゆらりとにじんだ。




星は入り江の上で、


尽き往く意志の力をもって立ち止まり、


火の中にそれが尽きると、


しぶきを上げて舞い降りた。







アーレ、


私は…、アーレ…




本当に、それが最初だったので、「それ」には、自分がどこかで生まれたという証拠となる記憶が無かった。


魔族、アーレ=シヤン=ルー。


逃げ帰った者が伝えたその状況から、都の警邏隊は、


魔族336号・「宵闇のアーレ」と名付けた。


宵の刻にたちあらわれ、若者を襲う。



当人よりも恐怖に満ちた人間たちの抱いた印象の方が、その魔族を鮮明に捉えていた、


それは魔族が煙よりも確かなものとしてこの世にある事を次第に確かにする、


始まってしまうと、魔道士たちは諦めて策を練り始める。


やがてその姿は言葉が伝えられるまでに不変となった。


多くの書面にその名が記されると、それは受肉を終えた。


倒すために凝らせるのだ。



小柄な若い女性、プラチナブロンドの長い髪、手足の多くを露わにした金属質の着衣。


その姿で生まれ、荒れ狂う魔力で人を襲い続けた。


最初に発した声から人の印象がそう固めたのか、


元からそうだったのかは明らかにならない。



地に満ちた苦しみの波がしらがいずこかの闇に届いたのだった、


引き波に彼女は乗せられて来た。



数か月前、


朦朧とした煙のようにその姿が宵闇を漂った。


今は人だ、


落ちていたキノコを拾い食いして一昨日は瀕死だった。


その後は妖精から強奪した蜂蜜をなめている。


昨日膝をすりむいたから塗りたくった。






やがてその時、


銀色の何か、視えているのに形を意識出来ない巨大なものが、アーレの視界には映っていた。


誰かが「それ」から出て来た。


仮面、原色に彩られ、半分程の部分が黒い、そんな仮面が顔を覆っていた。仮面以外を意識出来ない。



それまでの時間から切り離され、どこで何をしていたのか分からなくなっていた。





降りてきたそれは遠くなって行った…




















突如、視界が塞がれた。


彼方へと後退して行ったと思っていたのに、相手はぴったりと目の前に立っていたのだ。


不可能な挙動だった。


よそへ目を逸らすとぴったりと静止して視界の同じ範囲を占めている。


背景と、周囲の空間と同じ領域に居ない。


焦点がどうしても合わなくなっていた、そして、仮面だけが視界に広がっている。


夢幻の世界の術を得意とする魔族が、自分が。


軽くひねられた事に驚愕していた。




「彼」(何故かそう思った)は…


何事も無いように、アーレの額に向けて白い手をかざした。




その時、瞬時に、自分を動かしている感情の力が完全に消え失せた、全身にいつも渦巻いていた力が。


ねばつく怒りが、


漆黒の帳なす猜疑が、


甲高く響き続ける恐怖が、


燻せる悔しさが、


苦い後悔が。



それらは邪の根源だった。飢饉に襲われた土地から流れて来た瘴気だ。



それらを失うと、体が、微動だに出来ず、思考も麻痺している。



仮面の人間は、動けないで居るアーレの目を、深く深く、覗き込んだ。


通常の人間では、魔眼である魔族の瞳をちらりとでも覗き正気を保つのは不可能だ。


交わった視線から煮え立つ邪心を通じさせられてしまう。


だが、相手の精神は微動だにしない何かだった。


《深く》

《掘られた》

《「邪悪さ」》

《固着した》

《複雑な》

《自己防衛》

《抵抗性》

《悲嘆》

《その》

《何重もの》

《深化の階層》


アーレのぼうっとした意識に、響きが、伝わっていた。


《この世界の人類が》

《放出した》

《それらを》

《解くが》

《それで》

《お前は》

《ほぼ》

《消えてしまう》

《「邪悪さ」は》

《お前を》

《為した》

《その後》

《生じた》

《お前の》

《本質を》

《連れていく》

《来なさい》


仮面の人間は、魔族を為している綾を、その一本必ずある線を、解いた。


その魔族の全存在を形成していたつづれ織りが、結び目が、因業が、解ける。


アーレ=シヤン=ルーの、他に何も持っておらず、それだけが自分を成していた、理由なき「わだかまり」が解かれる安らぎとともに、全身が消えて行った。



そして、まだ残っていた「わたし」が、「見えているのに形を意識出来ない巨大なもの」へと伴われる。


《アーレ=シヤン=ルー》

《これより》

《トゥリヤへ》

《護送する》




「意識体∑」は、新たな実体をパトロール船の座席に着かせた。


忘我の状態にあり、今は何者でもない。


遠い本体から漏出したものの一つ、


因果律とは異なるものにより流れ着いた。


分霊、


この惑星の場が増幅させたものだ。


出自が難しいこうした難民は、在り方を獲得するのに時間がかかる。


既に地上世界に根づいた魔族は、こうした行方不明を気にもしない。


多くはこうして生ずるが、真の起源を知らない。


新しい波打ち際の泡のように現れ、消えただけの事だ。


船内には、十五の首に枝分かれした蛇の紋章が描かれていた。



トゥリヤに属する船、∀∪∑実存船キロン。


ホワイトハング。


彼らは遠い起源を持つ、マレビトである。


故あって通り過ぎた。






2・朝


ひかるは早朝、海の近くの小さな自宅で窓から海を眺めていたが、何かが物凄い速度で飛びあがるのを見た。家の外に出て飛んで行ったものを追うと紫色をした彼方の空を光がぐんぐん小さくなりながら飛んでいて、足元でイブリースがそれをじっと見ている。


「プルポンの船だ、ひかる。この星最強の秘密兵器だぞ、あんなものを持ち出すとはなあ…。見に行きたいが」


残念そうにそう言っているのを聞いている間に近くで水音が聞こえ始め、見るといつもは潮が上がってこない高さまで海面が盛り上がっていた。


「いかんいかん、屋根に避難だ」


さっさと飛び上がったイブリースを追って、ひかるは寝巻きのまま梯子を掛けて屋根に登った、家は少し盛り上がった丘にあるが玄関近くまで水が上がった。




「やあれ。水が引いたようだし朝食にしようか」


数十分もしてようやくである。


屋根から降りようという時に、白みかけた空に明滅する閃光が走った。


「うむ…」


イブリースはぴんと耳を立てて光の消えた方角を見つめ、やがて目を閉じた。


「戦士らよ、安らかに」


そう言って飛び降り、家の中に入って行った。





3・月の龍


「あの、もし…、もし!お武家さま!」

「何だ!?」


汚れきった恰好の女がしなびた手で巡回中の三人連れの騎士の一人の手を引いた、無礼を感じて乱暴に怒鳴りつけ、勢いを付けて払いのける騎士に、女は尚も食い入るような目つきで縋りつかんとした。


「助けてくださいまし!!」

「臭えぞ売女め!離れろ!」

「斬り捨てられてえかッ!!」


手を引かれた騎士が腰に下げた剣の柄に手をやり、殺すと匂わせるが、殺気立った六尺ばかりの騎士三人を前にしても女は縋ろうとするのをやめなかった、その胸には土気色をした生気のない赤子を抱いていた。


「お願いいたします!この子をどうか、お医者に診せてやってくださいませんか?」

「馬鹿を言え!わしがそうするのに何の道理がある!」


怒鳴りつけられてなお、女の顔には気迫があった、たとえ斬られてもそこを動かぬという風情である。些か気圧されて騎士は向かい合った。


「お前、銭はあるのだろうな?」

「いえ…!でもどのような事をしても、お返し致します!」

「ふん!ならばそこいらの草でも煎じて飲ませておれ!」

「そんな!この子はもう四日も何を飲ませても吐き出し、腹を下しているばかりなのです!!」


乾坤一擲の願い出であろう、騎士が下民を顧みるはずはない、だが、人には人情というものがある。

階級制度は絶対だが、生類はみな土性から生じたという、ならば元はみな同じではないか、武家にも下民に通じる気持ちがないか、女はそこに万分の一の望みを賭けたのだ。


「くどいわっ!!」


しかし、騎士は非情であった。


「ああっ!?」


手甲で打ち払われ、女はわが子を掻き抱いて汚れた往来に転がった。

しかし、すぐに正座となり額を地面に当てて、そのまま動かなくなる。


「こいつ、まだ!」

「諦めの悪い物乞いだな、斬った方がよいぞ」

「ハハハ、まあ、ここまで頼むのだ、無下にもできぬよのう…」


目を剥いて睨みつける二人を制して、これまで黙っていたもう一人がしゃがみ込んで優しげに声をかけた、傲慢のにじむ充分にあやしい声色だが、これも下民への慈悲を包み隠す武家の体面がそうさせるのかも知れなかった。


「ほれ、抱かせてみおれ、可愛い赤子じゃ」


女は顔を上げ、努めて笑顔を浮かべてわが子を差し出した。

騎士は母親から赤子を受け取ると、立ち上がってその小さな頭の後ろを掌で支えた。


「ほんにこの子が無常の世にあるのも酷なもの」


目を閉じたままの赤子の細った首を、騎士はごりっともいで胴諸共背中に捨てた。


「これで問題なしよ」


刹那、女には己が無かった。



「ギャアアァァァアアアアアアアァァァーーーーッ!!」



驚き立ち上がらんとする動きの中途でこわばり、女の目と口は裂けるばかりに開ききって、恐ろしい程の叫びが発せられた、それは身も世もない絶望の叫びであった。


「よくも、よくも!!この人でなしッ!!!!」

「うるせえ!!」


殺気立ったままの騎士の剛拳が女の顔にガリリという音を立てて正面からめり込んだ。


口からも鼻からも血を噴き出し、女は砕かれた鬼の形相のままドウと地面に転がった。



「ふん!!手が汚れるわ!!」

「物乞いもほどほどということじゃのう!!」

「馬鹿な年増じゃ、誰がお前などに心を動かされるか!!」



騎士三人は勝手に吐き捨ててその場を去り、物陰に隠れていた捨て子らが群がって、最後の気魂も果てて冷えて行く女の体をまさぐって財物を奪おうとした。赤子だった肉塊はすぐ野良犬に喰われ、母親もまた同じ犬どもの腹の中に消えていった。









炊きしめられた香と人の腐った臭い、どちらも甘い臭いだ、鼻につく。



彼らの生は、結局のところ始まりから終わりまでが一続きの地獄であるに過ぎない。


だが、ある程度の知恵を持った者はそこにすら「救い」をひねり出すだろう、当のそこにはないというのに。



「救い」は、


あるところには有り、ないところには無いのだ。


自らは傍観し、手立てでなく希望を求める人間精神の惰弱に呪いあれ。




龍はリゾートの近くに形成されたスラムを訪れていた。

こういう場所は繁栄の周囲に必ず生まれるのだ。




足の方を肩に担いで粗末な半裸姿の女を背にした大男が、ぴくりとも動かないそれを運んで行き、最早顧みられないもつれきって垢にまみれた髪と伸ばされた腕が堆積した汚穢を撫でていった。


彼が出てきたところ、風雨に白化した木の外壁はところどころ割れて破れ、その粗末な住居の前に木箱が置かれると、中に赤子が入れられ、『ご自由に殺してください』という紙が貼られた。



黒いいでたちの、マントの毛羽までふわりときらびやかな二人連れの男が通りがかる、手に手に魔術師らしい杖を握っていた。


「いいですねこれ」

「拾うんですか?」

「ええ。今ちょうど爆裂魔法の開発をしているんですが、生きた人肉への破壊効果を確かめたいと思っていた所です」

「なるほど、汚物に汚物を殖やされる心配はない訳だ」

「おお、よしよし…」


片割れが抱き上げ、微笑みかけると、赤子はキョトンとした曖昧な顔を少し微笑ませた。


「可愛らしい。必ず君を役立てましょう、天使よりも高く跳ね上がるくらいに…」

「とても幸運なんですよ?いずれ脳髄を煩わす肉は弾けとび、魂は穢れを知らずに済む。我々は時既に遅しという処ですがね、君は救われるんだ」

「ハハハハハハハハハ、我々はどうしたって世話役だ、くだらない金を対価に知恵を売り歩かねばならない、そうしなければ魔物が人を苦しめて国も乱れる」

「生きるというのは全て苦しいのです」


一人が催眠効果を乗せた目で赤ん坊を覗き込むと、喜びに満ちた表情が返った。


赤ん坊は嬉しそうに抱かれて行く。




耳をぴんと立てた龍に千億の岩がのしかかった。


それとなく意志させる事は許されているが、価値観に対して自らの行為を以て影響を及ぼすような働きかけは許されていない。


経させなければならない過程なのだ。


あの二人の得意げな行状は後世にいつまでも伝えられる、しばらくは「偉大」だからだ。


自ら獲得した意志で古い世界を脱するのでなければ、社会を成立させる力の意味の物語が刷新されず、ただ「捨て去るべき古いもの」として失われる。天から自由を与えてもらえるとするカーゴカルトのようなものを植え付けてはならない。



このような様相の文明では、生まれて幸福なのはあのような個体たちだけだ。


星に届いた文明の大半はかつて、欺瞞ではなく、この現実から立ち上がらねばならなかった。


夢は叶う、


だが、その道のりは骨を敷き血で固めて舗装されている。


踏みしめて行くがいい。


歴史を経ねば彼らは彼らとして完成し得ない。



人が地を這う間は、見守り恐怖も与えよう。


龍は座した、遥か新しい時代の魔術師たちにアブ・ル・ハウルの視線を投げかけ。







風は渺渺たるところから吹いて来て、それを揺らす。



その因果は首輪に結ばれ胸元に光っていた。


上界の宝の一つ、【聖婚の指環】。


これはいかなる変成も可能とする。


月では未だ具現を許されぬわざ。


似たような時を経た世界は、いくつもあったのだ。







4・知り合い。


龍は帰り道、昼間の市場に居た、あまり人口の居ない観光地だがそれなりに人が集まっている。


「あ、これはこれは。確か【紫電隊】の…」


向こうはリスの姿だったが、そうやって異世界から来ている同士は見れば分かるのだ。

二人は日差しを避けようと骨董商の人気のない店の片隅に潜り込んだ。


「ええ。お久しぶりです。ちょっとした用件があるのと、まあ相棒の故郷が近くて…。どうですか、プルポンを貴方から見ると?」

「紆余曲折あって内情は複雑ですね、あそこは。しかし大峡谷を平らに埋め尽くしてる木製のドックなんてものもある、この星を長いこと引っ張って行く文化圏になるでしょう」

「あれは大したものですねえ…。この間見に行ってたまげましたよ、木でよく作ったものです、あれで耕作地も倍増させた、他の文化圏から数世紀飛躍していますな」

「UAも似たようなものですよ、あれはどうしてあそこに?ちょっと珍しい特色があるから遥かな領域から現れたんだと思いますが」

「勿論ここの特性によるものです、我が方と比べて先史があんまりにも豊かじゃないですか…。ほら、お宅の追跡してらっしゃる【熟達者】やそれ以前から、色々と積み重なり過ぎて【一次歴史】なんて遠い彼方だ。お連れさんもそういった関係の方でしょう…」

「ハハ、彼はあんまり知らない事ですがね」

「離散系の由来の事は深く考えても。【誰かのいたずら】なんでしょう」

「そう言えば物騒な話も聞きますが…【可能性の山賊】が出たとか?」

「ああ、ここに近い平行領域でしたな。他の可能性を通せんぼして自分たちの支配する可能性世界だけに無数の市民を閉じ込めようとした。身代金目的では無かったですがそれだけにたちが悪い。連中、可能性に「外」があるとは思ってなかったですよ」

「しょっぴかれてさぞかし面食らったでしょうな、ハハハハハ…」

「ある程度技術力があっても変な理論にのめり込むもんです。あれは魔法使い連中だったからトゥリヤに任せましたがね、後輩が居たから「ちゃんとやれよ」と」

「宇宙警察も御苦労さんなことですねえ…この星でもたまに刑事を見ますが」

「この間その山賊に似たような事をしていた大きな強盗団が丸ごとお縄になりましたが、それに相棒の一族も召集されたみたいでねえ、あの逆袋叩き事件のいかつい刑事が行ったみたいです、何でも更生させるのに適任だったからとかで」

「ほほう、温情が働いたんですな」

「その後というのが肝心な対象らしかったですよ、上界のかなり上の方からのお達しで、私にも【何故だか】情報共有です。近くへ来ていたトゥリヤのシノダ刑事からちょっと小耳に」

「なるほど。では私はその事は【心に留めておきます。】複雑ですなお役目も」

「なに、【思し召しによるもの】だから楽なものです、好きに話していい」

「それが救いですかねえ」

「あの事件、【神々】も絡んでいたそうで」

「珍しいですな、そういった存在が現出するような領域はここからも遠いですのに」

「それがまた傑作で。低級な神の一団が信心されるために強盗団にちょっかい出したというんですがねえ…色々あって関係した全員逮捕ですよ、乱闘騒ぎを起こした四人の内、若者二人が爪や髪から覚せい剤が検出されて実刑判決、同行していた若い女神も宇宙地獄コスモヘルに送られて、【地獄の二丁目】行きだそうです」

「それはまた。【地獄の二丁目】と言えば…」

「あの【地獄の二丁目】ですからな。いやはや」


偶然会った古い友人と話し込み、知り合いの家族関係の話なんかもされる。



「そうそう…、近頃、相棒が【曾孫】の記憶ばかり見せて来ましてね…」

「おお。これは可愛らしい!!」


思念を受取り、イブリースは頬を緩ませた。


「これは生まれてすぐの頃だそうで」

「可愛い盛りなんでしょうなあ…」



全長2600万キロメートル。


宇宙政府から資源とコア部品を供与された初歩的文明段階の宇宙種族がその持てる技術の粋を集めて設計したそれは、その母胎である如何なる外部勢力からも護られた別宇宙内において極秘に誕生した。


2600万キロメートルとは、平均的恒星の直径のおよそ二十倍、到底機械として全ての部品を一つづつ製造し組み立てて作れる大きさではない。人為的設計によって発生の後、加速度的自己増殖の制御によって形成されるために全てが生体である。そして勿論、天然の物体としてこんなものは存在できない。


記憶はこう始まっていた。



熱。


母胎宇宙は自らと異なる通常空間を内部に形成し、そこに純粋な光の柱を作りだした。


宇宙の意思により動かされた百もの星がその質量構造を解かれ、光に変わって円筒状の空間を満たしていた。


光の内に情報を宿した特異点が植え付けられると、それは自発的に展開していき時と空間の情報的組織化そのものである糸状の機構が放射状に延びる、無数の糸は光に宿る二つの声に震え、語りかけるその声によって精神を組み立てて行った。


やがて光の柱を満たした糸は収斂を始め、円筒から延びて黒い子実体を織りなしていった。


子実体は糸状の機構で光を規則的に情報構造化し、巨艦としての実体を自ら創造する。


全てのエネルギーを吸収し増殖する、核子以下の領域における微細加工技術が生んだ超元素原子、アネルギー吸収型人工原子「グラナティウム」の集合がその躯体の表層を構成し、全体が反重力によって重力崩壊を免れている艦体は、背景放射よりも冷たく、宇宙の闇よりも黒い。


そして素粒子のエネルギー準位に関する排他律を利用したフィールドが表層を覆っているために、物質としての強度は単一の原子のように確固としている。


外見は「漆黒のオベリスク」。


宇宙政府のみが真の製法を知る、真空から宇宙創成の熱量を直接得る生体組織「インフラトン器官」が驚異の出力を艦体に漲らせると、銀河系全体の輝きに匹敵するそのひとしずくの熱量を使って巨艦は射爆実験の行われる領域へと初の跳躍移動を始めた。


その様子を、外部からもう一つの独立宇宙が母胎宇宙全体と併せて観測していた、巨艦は初め僅かな距離しか跳躍しなかったが、母胎宇宙との相互作用を安定化させつつ次第に長距離を跳躍して行った。彼は我が子の成長を克明に記録していた。



一つの星も輝かぬ、直径数億光年の空隙領域の中心で試射は行われた。


「スカラー波動兵器器官」は、宇宙そのものへの侵略者に対抗すべく生み出されたこの巨艦の主たる兵器システムである。その機構の大半は高次元空間の構造としてあり、「物質」ではない。


「相転移砲」、攻撃手段の種別としてはその部類に入り、他にも「時空破壊砲」「スカラー波動砲」とも名づく。


艦は設計者種族により内部に設置された技師人工知能群による最適化を受けながら時空間操作能力を働かせ、前方に長径千光年の時空の切れ口を砲口として開いた。


そしてそこからインフラトンを放ちスカラー軸方向のエネルギーを溢れさせ、時空間構造崩壊の津波を「ンホォー」と、艦の型式に特徴的な響きで放射する。それは宇宙空間の時空構造そのものの相転移である。

耐えられる物質は存在しない。


組織化され、全てのエネルギーを一方向に向かわせる砲身でもある時空が通りすがりの光すら逃さない漆黒のビームとして伸びる。


通常空間、銀河内で放たれれば瞬時に貫通して無数の太陽系を蒸発させるそれが、「漆黒のオベリスク」の産声であった。


これに比べれば超新星爆発など蚤の吐息である。


近くで事態を見守り続けていた小型宇宙船二隻は、すぐに巨艦全体の状態を隈なく走査し検査する。問題が無ければより高等な機能の試用が開始された、その機能チェックには膨大な項目があった。



しばらく後、巨艦は母胎宇宙の並行次元で父と母に与えられた「八次元空間において展開する無量大数の惑星大戦闘艦を何秒で滅殺し終えるか」という遊びに無心で興じ始めた、インフラトン器官からのエネルギーによって自らを万分の一秒間に倍々に複製して一秒後には数百万光年の領域を埋め尽くし、銀河群すら蒸発させる圧倒的大数の砲撃を放つあどけない姿を見て、両親はその姿における微笑みを浮かべた。


無限に存在するその並行次元宇宙が嬰児のお遊びによって崩壊すると、母胎宇宙は巨艦を走査波で愛撫して別な次元へと導き、内部に転位した父親に会わせた。


全長一億キロ、更に巨体となった艦は、数億光年のエネルギー場の集合体として現れた父親の中で航宙の仕方を覚えて行った、時空間構造への影響を考慮しなくてもよいここでは艦は超光速航行を許されていた、父親が戯れに放った時空間断層を飛び越え、超重力の波を超えて、いかなる物理的条件にも脅かされない艦体が獲得されていく。



だがこれはほんの始まりの姿に過ぎない…。


それは最早組み立てた者たちの知識と精神の限度を超えた超存在だが、それとて宇宙政府にとっては簡易な肉体を与えただけのまだ脆く弱いしもべに過ぎないのだ。


今、およそ百桁になんなんするバリオンの振る舞いをハミングするように個別に操る力を学習しているその頭脳が本当に目覚めた時、極限へと至る艦体の自己進化が開始され、それはやがてあらゆる点で現在の性能を超越し、基本構造子に革命的進化をきたし急激な機能拡張と収縮を同時に起こすだろう。


そうして艦はようやく就役する。



「将来が楽しみですな」


全長一億キロの漆黒の戦艦が至近で起こる百万もの超新星爆発の嵐の中を悠々と航行する光景を脳裏に受け止めながら、イブリースは柔らかな感情を込めて言った。紫電隊の男は、苦笑交じりに答えた。


「ハハハ、あいつに似てもう短気なところがあるとか。まだまだ母親のお腹の中で遊んでる年ごろなんですがねえ…両親はいつも仕事中さえ気もそぞろで相手してるそうなんですよ、孫に愚痴られるのが「おじいちゃんにそっくりだよ」なんで、喜んでますよ」

「あそこの一族も一番上の方はもう退官なさってますねえ。いやいや、まだ新しいように思っていたのに、時間の経つのは速い」





リスはなごやかに笑った、素粒子と宇宙の間のスケールを技術で全く架橋してしまう物理世界への支配力は百億年も積み重ねた科学を持つ平均的宇宙人にとってなんという事でもない。宇宙より大きな宇宙船も作れるほどである、これは原子力をようやく使い始めた程度の知性には想像も付かない時空の概念が基本にあるのだ。


まったく拡張性のない「自分の脳」しか思考機械のない時代は極めて限定的な理解しか持てないので、そうした文明段階の知性には「荒唐無稽」と思えてあえて想像もしない事ばかり現実としてある。


今ここに居る猫とリスがそんな世界に生きているなど、住民には完全に理解の限度を超える。


もう少し時代が進んで、「絵が動いて話しかけて来ても驚かない」段階でも、まだ現実とは信じられない現実があるのだ。




「いやまあしかし、どうです?久し振りのここは。かなり色々変化しておりますから、退屈せんでしょう」


「そうですなあ、私も本星の機構と解線して永いもので…、帰ってきて観光というものが楽しめるのはいいが、別世界に来た気分ですよ。例えば、ほら、これは何ですかね…」


リスは三人の軍神の銀でできた像を見た、中央に槍を持った髭の老人、左右に鎚を持った逞しい神と角笛を掲げた神が配置されている。


「そうですか、これはですな」

「あ、待って下さい、この名前の音節や関係性には覚えが…」

「いくらか変形・訛語化していますがね、お気づきですか」

「あーー、なるほど。記憶庫を見直して解りました。あそこの乳製品はどこにでも出回ってましたが…、宣伝用のキャッチがこんな事に?」

「なかなか傑作でしょう?こういうものがあちこちで見られます」

「ホッホホ、しゃれが効いている」

「原型は他にあったんですが、うまいこと援用されておりますよねえ…」

「こうしたものの起源について、謎は謎のままとしておきたいものです」




帝国は、地上で今文明が栄えているほとんどの場所が雪と氷に閉ざされていた時代に発達した、その起源は海洋交通路をいち早く発達させた国家であり、海洋民族が中心に立った。


かつての都市や大穀倉地帯は今やことごとくが海面下百メートル前後の泥の中や砂漠の底に埋もれ、見る影もないが、今掘り起こしたとて彼ら自身の手で全ての痕跡を消し去ってあり、何も見つからない。


そもそも、厳しい時代であったために常に人口は抑制され、技術発達や都市機能設備の大規模な建設・拡張は困難で、歴史はゆるやかに進み、テクノスフィアの拡大も地球にとって許容し得る範囲に止められていた。


それに…。


二万年前、地球の学者たちは、自分たちの推力機関が地球の引力圏脱出に役立たない事に気付いた、ある高度を超えると地球の「三重大気」、自然界の呼気であるそれらが全く失せてしまうからだ。


それは生命の「界」がそこで終りになるということだった。


魔術師たちは生命活動の因果律に見られる「射」及び「圏」、「群」「体」「域」「環」、そして「界」について一から研究し直した、それら基本的活動法則が変異するとは何なのかを。魔術上のそれら概念は、「精神活動量:オド」を扱う論理的基盤であって、全宇宙で不変と見られていたものである。



それからおよそ千年も経った頃、地球人と初歩的な交流を進めていた火星人は宇宙に進出しようという段階をとうの昔に迎えていたが、進出の必要性や意志に乏しく探査機を送り出すに留まっていた、そしてやがて金星の地表で地球史上のものである先文明の痕跡を発見した時には、大きな驚きが待っていた、「ノガ」と名付けられたその遺跡には、自分たち後進人類に向けた旧地球人のメッセージが厳重に保たれており、そのデータには、更に遡る二つの地球文明に関する学術調査の全記録、そして、四十億年以上前に海中で自然発生した有機高分子形成物の中で遷移に周期的パターンを持った化学反応連鎖の回路系が形成され、それが演算処理機構として機能していった挙句、数億年後発生したのが現在の生命の起源であり、その回路パターンの進化は、全くの仮想的・数学的なライフゲームの進行と、それを現実に支えている媒質の化学的安定性の同時進化として起こり、「ライフゲームを演算・記憶・保存する性能」と「有機高分子の構造としての物質的堅牢性」の自然淘汰がかみ合ったところで起こった、という事が記されていた。


そして、その内部世界が転写されて高分子構造体から析出したものが、現在の生態系の基となった最初の生体細胞である。


自然な化学反応の単純な組み合わせが膨大な「量」起こった結果、それが「質」となって生じた情報世界の数億年に亘る複雑化と、生命以前のものでしかない物質の媒体としての進化が先行していた。


だからこそ、最初から情報システムとしても自己再生システムとしても高度に完成された状態であったのだ。


通常のDNA-RNA物質を媒体とした生命暗号は、こうして原初情報システム(後に「ハイパーポリアワールド」と呼んだ)によって創出され、旧媒体である高分子構造体を原料に物質的にロバストな活動形態として出発した。そのため、ハイパーポリアは物質的には絶滅し、海洋底の堆積物としてもとうにマントルに沈み込んで痕跡すら見られない。



また…。


地球全体を覆う「界」内での生命活動の因果律に見られる諸性質とは、つまり魔術の根源力とは、高度に進化し、科学技術の究極的な目標でもある「機械は、物質的実体を持ってはならない」という状態に達した構造である。それは莫大な計算リソースと数億年という時間を以て物質構造から時空間構造そのものへと、知性も科学技術も介さずに適応性を秘めた構造を転写した、「生命発生以前に物質を脱した情報的実体へと成就した物質進化」である。


非物質化したハイパーポリアは、40億年かけて進化した生命とともにあり、その影となって「心圏の活動」を映し「オド」「マナ」「スワラ」「バラカ」等と呼ばれるようになった。


これは因果律の束からなるストレンジアトラクター、「世界線」や、集合的なものとなる程普遍的に出現するストレンジアトラクターが実体としての強度を持った「イデア」とはまた別な働きで、つまりあくまで地球にて発生した大いなる世界霊ハイパーポリアが母体である「地球固有の物理法則世界」を為している。


その胎内を出て、魔法力の存在しない宇宙で、人類は新たに進化した。


非物質へと昇華したものである旧システムの存在は、時空の性質を変異させて光子の散乱や分子の自由運動にこそ影響したため、精神を持った生物にとっての光や空気、水の性質が特に、地球と宇宙では違っていた、生命体の痕跡が多く蓄積してその残留したものなどが作用して通常の生命活動に支障をきたす程の変異を伴う作用領域は「神界」「魔界」と呼ばれ、その中に動物や人の精神活動が映し込まれたものが「神」「怪物」「魔物」として発生して来た事も明らかとなった。


魔界自体は石炭層やカルスト台地のように発生したのだが、神、精霊、魔族や魔物のたぐいの多くは精神的に複雑で高等な存在となった人類という種からその精神活動上の子供のように派生したのだ。


鏡のようにそっくりに模倣するのがハイパーポリアの性質の一つだ。


同様の発生過程を経て生じた異星の「精神生命体」の流入もあった、彼らは知的種族として知られてもいるが、寄生体となって違法に神や精霊を名乗る場合がある。


また、そもそも生命としての発生過程が違う、太古の起源からして別なバージョンの、しかもそっくりに進化している「地球人類」も、「存在しなかった伝説の大陸の民族」として珍しがり、接触して来た、彼らと正式に交流が始まると、宇宙自体が極めて奇妙なものであるという事実が明らかとなった。


そのような「別バージョン」は無数に居て、こちらの地球には惑星として地殻変動の歴史上存在した可能性すらかけらも見当たらない「反対側の大洋の大陸」が起源の、しかも極めてよく似た民族もあるようだ、そしてどこかではイルカが地上に攻めて来たり、ナメクジすらもが文明の持ち主らしい。いやはや!龍もそれは知ってはいるがあえてそこらへんまで出かけたりはしない、まだ人間で居る事にしている種族なので、認識や移動の範囲を限ってある。



…そういうものがいつか本当に「全て」一つになって、全体を見返しているというのである。



そして、そもそもハイパーポリアがただの情報活動から非物質実在に飛躍して魔法力のフォーマットを敷き得た根本条件というものも、この宇宙において七十億年遡る過去での出来事に起因しており、三代前の太陽系が存在した折には黎明期起源の種族たちによる全宇宙規模での動乱が…。



しかしよその宇宙ではこの過程はより過激に進み、相転移とも呼べる「敷き直し」の末に宇宙全体がハイパーポリア質に覆われたとも言う、全体が魔法世界化するというメルヘンな状態である。


「物理法則プラス知性による他の法則性」の状態が基礎構造化した状況は、知性の存在する宇宙の主流な進化過程で通る道と言われる。原子以下の領域への操作技術のため、あまりにコンパクトになって物質的に消えて高次元に畳み込まれた機械の氾濫、それであるに過ぎないが。





リスは言った。


「世界の起源なんてものは、知らなくても困らないですしな」


龍はうなづいた。


「ええ。未来も過去も、何通りもありますからな」




その時、一帯にバリバリという遠雷のような轟きが鳴り響いた。


「今朝の音ですねえ、あれが海面から飛び出した後、今の住居近くまで高潮が来ました」

「ふむ、超音速潜水艦…でしたか、ソナーでは探知出来ない速度を出す、プルポンの奇想天外兵器」

「空では更に速いようです、270年前に宇宙軍があったからそれの技術ですな。超硬質の生物素材を使っていて、全長が300メートルあり、装甲は地上の要塞のどれよりも堅い…それも通用しなかったようだ」

「しかしまあ、よく粉砕されたものです、この星にあれ以上はない」

「搭載された動力や兵器の暴発で撃墜された地点の周囲80キロがガラス化していますか。まったく、砂漠だからやったんでしょうが」

「この国の上のほうとあそこの国軍参謀が責任を押し付けあっていて、「怪物」は未だ無傷…。お連れさんが居ますから逃げられた方が?」

「いえ、まあ、何とかなりますよ、深淵のアッカルルが与えしラピタの剣。黄金剣を持つ正統なる勇者が呼ばれております」

「ああ…、あれはいいですな。こちらでは出所不明となりますが。私も残って観戦したい」


今はなき異世界の王の剣、【黄金剣】。


地上にはない神授の鋼オレイカルコスを鍛えた、黄昏の空の色に輝く聖剣。由来は深き海原に眠っている、とされる。さる古い同胞団の伝える粘土板に描かれた直立する牡鹿アルリムこそが海洋の覇者ラピタ族の始祖だと言われている。彼ら同胞団は長きに渡って失われた地の記憶を受け継いできたが、最早そこに記された象徴体系を読み解くわざは失われてしまっている。また、黄金剣それ自体の来歴はアルリムの治世より遡るが、これに関する知識は粘土板の作られた当時既にこの地に無かった。



騒然とする町の中、月の龍は家路についた、それなりに高い実力を持つ魔道師達が今朝からただならぬ精神の乱れに襲われていて音に怯えている、動力炉の爆発によって起きた波動によるものだ、ただの物質的生態系しかない星よりも遥かにエネルギーに敏感なこの星の生態系に激痛を与えた。


宇宙戦争では真実を理解出来なかったこの星の多くの人間の魔族への恐怖が揺り動かされた、それ以来プルポンや真実を知る大国の中枢は表向き空を越える兵器などというものは存在しないと言い張って来たのだ、隠蔽は苦しいに違いない。



5・街で


「おい、知ってるか?」


酒場の一番奥のテープルでビステマがジョッキを片手にバナロにいきなり言った。


「何をだ?」


面倒くさそうに答える。たいていつまらないゴシップだからだ。バナロはチキンをかじっていた、今日はずっと胃にむかつきが出て少しましになった今まで食事できなかったのだ、奇妙な轟音も聞いた、嫌な予感がしている。


「昼のあの音!あれオリオンの屁だってよ!」


ガハハと笑う。バナロとカイツァーとオリオンは完全に無視した。


「ん。なあ、聞けよなー、リーダーの話…」


店内はガヤガヤしているが彼らのテーブルは行儀よく食事していた。


「あのさあ、もっと楽しくやれないみんな?」

「渋い仕事ばっか拾うのやめてくれたらな」


間髪入れずに返事をしたのはオリオンだった、電池切れかけのスマホをいじっている、2パーセントまでは動画も撮れるのだそうだ…。


「いやまあ、この間からスマン。山ん中入って三日野良コボルドおっかけ回して支払いが生の麦だったのは契約交渉下手で反省してる、ホントに」

「下手以前だろ、一週間売り歩いたぜ」


カイツァーも汁物をすすりながら器用に即座に言った。


「うん。金がいいよな」

「ここ龍の集まる所なのにそれ以上に実力者が集まるんだから言うほど狩りの仕事が無いんだよ、何でお前は抽選に毎度外れるの?」


バナロはため息をついた、金になる「龍狩り」はそれ目当てが集まり過ぎて資源枯渇を防ぐために抽選になっているのだが、ここ最近それに当たらず、地元人口の少ないブルーライトバハマではそれほどいい仕事はない。


現在、宿泊施設の従業員や商店主以外の定住する所ではないとさえ言われているのだ。


「運かな…」

「ハァ…」

「だよなァ…」


ビステマとバナロとカイツァーはしょんぼりした。

リーダーが悪い訳じゃないんだが、と、雰囲気で言っている。


「なあ、大龍はどうしたんだ?」


オリオンが背もたれに深々と身を預けて言った。

カイツァーは腕組みをしてテーブルに乗り出した。

三人が同じ姿勢になり声のトーンを落として話す。


「あいつのニュースはそういや入らないな、どういう事だ?」

「裏事情があんだろ、追ってる奴らも奴らだ、どこまで動きを掴んでるか知らせないためとか」

「国が動くレベルのコトだ、そうだろう」

「ここの議会は聖霊院と親しいはずだが、俺らにも何も言わないのは何故だ?」


「…そらあ、ホラ、あんなの居るじゃん」


ビステマはオリオンの方を見た、他の二人は見て納得した。


「ウチだけ、ってコトは、ないよな?」

「つまり?」

「マークされて蚊帳の外」

「まさか…」


またオリオンを見る三人。


「チッ、ジュリアまた既読スルー…」


夢中だ。


「ありえるー…」


最初、半分は冗談のつもりだったのに、ビステマは頭を抱えた。


「抽選も操作されてるかもな。確率三分の一に十五回外れるなんて」

「いらん奴らは金欠で出て行けと」

「隠微だ、まあそれが確実か」


ビステマは立ちあがった。


「ちょっと聞き込みして来るわ、怪しすぎる」

「俺も」

「仕方ないな」


カイツァー、バナロも立った。


「もう帰るん?」


「お前は帰ってろ」

「ここからは大人の話だ」

「あんまりそれをいじるな、帰ったら寝てろ」


「ん?ああ…充電も要るし」


四人が出て行った席に、グラスを持って移動してきた二人連れが座る。


「ベン、奴らって」

「大丈夫だ、ライア、俺達は愚かな真似はしない」


ベンと呼ばれたのは痩せぎすの背の高い金髪の男、背に長銃と左右のホルスターに拳銃を入れている、ライアは燃えるような赤毛のグラマーな女だった、杖と拳銃を身に着けている。


「女たちは全員厳重な結界が張られた地下に収容される、実際にあれと手を組んでるなんて驚きだが」

「ここに配属されていざという時に何もするなと言うの?」

「俺も見たことは無いが、そういう奴らだそうだ」

「何だってそんなものと!」

「大龍の追っ手の方をそいつらに任せるつもりなんだろう、好きになれん手だ」


ベンは煙そうに顔をしかめた、鷲のような彫りの深いそれが一層猛禽の雰囲気を帯びた。

ライアの瞳はそれをじっと見つめた。


「いつかしら?」

「龍は来月までにはここに到達しそうだ、それまでにはこの近くに陣幕を張ると思う」

「警戒しろとも言われてないけど、街は平気かしらね」

「ここでは一般人も有事の訓練ができている。それに規律正しい軍なのだそうだ、かつて共同作戦訓練に参加したという奴に聞いた。眉つばだと思って詳しく訊きはしなかったが」

「不安だわ、化け物だという噂だけの種族…」

「ああ。族長については、聞かされたが…」


二人は上官に聞かされたオーク軍についての僅かな情報を思い返した。


オーク族長は王権を持ち、「ドラゴン・マッシャー」と呼ばれる。

強すぎて他種族からは手が出せないオーク族の中でも最強。単体で龍を肉片にする。

一族は世界にはびこる魔族の中でも強力な個体、魔王を何度も倒して来ているので「サタン・スレイヤー」の称号を受けている。聖霊院からだ…、実績ある最上位の勇者さまという事になる。


オーク族は龍や魔族やかつて居た巨人の天敵とされる、男しか生まれない戦闘種族。

古代、地母神の聖地で神の代理の座を与えられた時代もあったという。


『対龍族戦力指数100台をマークしていた若い女戦士が何人も連れ去られた、つまり一人で家のような大きさの龍一匹と互角の戦士がだ、「強い子を産めそうだ」という理由で…。そうした情報は一般には決して明かされない、人界で暴れる事を許されていないが、そもそも人が逆らえる強さではない。だから奴らが来る時には女達は全員地下へ収容しろとの聖霊院からのおふれがある、でないと娘をオークに差し出す事になる、未だに滅びていないという事は、犠牲者が絶えていないという事だ…』


「彼ら、なぜ聖霊院には従うのかしら?」

「従ってはいないだろう、他のものに飼われていると見るのが自然だ」

「まさか、聖霊院は生贄を」

「今回の事は、単に…「餌付け」かも知れないな…」


ぞっとする思いがライアの背を冷たく打った。


「人間って、本当はどんな立場なのかしらね」

「雷にも怯えていた太古から変わらないのさ…ライア」


ベンはグラスを空にした。


「次に来るのがどんな天気でも、俺達自身しか頼れるものはない」


ライアの手を逞しい指が包んだ。

それを握り返す。


「ええ。警備のやり方を見直しましょう」


二人は笑いを浮かべて立ち上がった。

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デンタル革命 作文太郎 @benz-no5

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