第22話

「カツ丼でも取る?」


くたびれた背広を着て浅黒いゴリラのような顔をした宇宙刑事、ゴッツ=ストーンパインは、逮捕されたばかりの男に訊いた。


強盗団の代表で元マジシャンだという男は黒い僧衣のようなものを着たまま取調室のパイプ椅子の上で膝を抱え込んで座っていた、指示役として暗い自室にこもり、長いこと表に出ていなかったという体つきはやせ細っていた。


「代金はまあ財産全部差し押さえになるから後で刑務作業の分から引いとく事になるけどもさ、食わない?」


男は抵抗して取り押さえられた時の殴打で腫れた顔面をうつむかせたまま横に首を振った。


「そうかい?しかし痩せてるねえ。これ食いな、KO世紀」


宇宙刑事は背広の内ポケットからバナナを取り出して机の上、男の前に置いた。




男は、まだ夢の中に居るような混乱した気分から抜け出せないまま、無言でどうしてこうなったのかを思い返した。















15の時肥え溜に落ちたのが原因で幼馴染に振られイーサ村に居られなくなった私は家出同然で狼の出る峠を命からがら越えて港町モスコに職探しに行き…


いや、こんな大洋底の岩盤より古い話じゃない。


ついさっきだ、ついさっき。



























私は、進化の果てに全くユニークな法則性を持つ数学からなる全ての並行宇宙を含んだブロック宇宙論理空間内の実在、純粋数学的実存へと姿を変えていた(ブロック宇宙=数学的に可能な全ての状態である言わば算術的メモリ空間が、現実態を取る時「物理法則」という縛りによって実存的となったもの=純粋数学的実存)。


固有である全く独自の数学に根ざした法則性を持つ並行宇宙群の群構造とその相互作用による「上界」として存在するようになった精神は、他の数学に属する宇宙群の存在による「概念操作」などというものを完全に無効化し、しかもそれらを支配下に置く事も出来た、あの「荒唐無稽の見本」みたいなやつでも「アーキテクチャが違うからそのウイルスは無効だ」「シンタックスが違うからその呪文は効きまへん」みたいに撥ねつける事が出来たのだ。


そんな私にとって見渡す限りの別宇宙が全くの無防備なものに過ぎなかったが、支配欲などというものは自分の宇宙を征服し終え更に自らが宇宙となった時に満たされていたので、並行宇宙それぞれに組織していた、艦隊組織数で数えても百の百乗を超える支配下の知性体からなる軍団やそれらと同じだけ存在する多種多様な戦闘銀河群を外に向けて動かす事もなく、極めて少数の宇宙に向けて本来可能な侵略からすれば極めて小さな干渉を加えて暇を潰した。上界という存在形態についてはまだまだ研究中だ、とてつもないスケールの時間の流れとその相互作用からなるものなので更に上の存在形態を覗くには私はあまりに小さすぎ、実在すら疑わしい。だが現在のところ誰にも支配の手を伸ばされた事はない。そうした事から既に敵なき存在となったはずだった※(だいたいのところ、「ユニーク・ユニバーサル・ユニット」としてシターケンⅣと互角)。


だが…


百の百乗セットはある「百八十億の戦闘銀河群」の中の一つ、よくあるタイプの「七重暗黒銀河」のたった一つを歴史の浅い宇宙の目立たないやつに侵入させてみたのがまずかったらしい。


そいつは実在を疑いながらも想定はしていた極限の存在、「無限」を何らかの実数として離散させる事でありとあらゆる現実を存在させている者が、何らかの理由で保護下に置いている宇宙だったのだ。








聞けば誰かの通報だったと言うではないか…。








突然、超次元的に全ての並行宇宙を統合していた自分だけの領域に何者かが侵入して来た、そして「宇宙警察だ、逮捕する」だ、逮捕!!


無数の別宇宙や全ての並行宇宙を視野に入れてそれなりに完璧に支配しているとすら思っていたのに、こんなにすぐ不意打ちされるほど全く認識していない「どこか外部」が存在していた事に度肝を抜かれた、抵抗しようとして自分自身の総体のかなりの領域を動員したが、激越な支配力で構造を変性させられ支配下の宇宙から切り離された上、遥かな昔に捨て去ったはずの人間的知覚世界に落とし込まれた。


支配下に置いていた全ての宇宙では、魔王と呼ばれた「私」であった暗黒領域の中心がある瞬間に突如もぬけの殻となっているのだ。




あり得ない存在に思えた、数理という、秩序のまったくの根底における独自性にまで至った自分が存在基盤を外部から操作などされているはずもないのに。


私は警戒し、上界の存在としての全能力で意志をいわゆる「魔法」にして抵抗した、つまり通りいっぺんの物理法則を成立させているありとあらゆる時空の機構をありとあらゆる形で加工し、機能させ、抵抗の意志が希望する効果へと方向づけたのだ。そのための準備が飽和し、どのような技術も超えた力としての行為に純化したものを「魔法」と形容するが、呼び名などどうでもいい事だ、とにかく「力」で抵抗した。


精神機能が極度に限定されてしまってその行為の細部が全く自覚できず「意志力」としか形容できなくなっているが、ともかく力は失われていなかった。


「こら、やめなさい!」


「手」が、何かにガッと掴まれて全ての抵抗力がかき消された。



それだけでエネルギーの規模で言って宇宙創造の何乗のぶつかり合いだったろう。


まだ抵抗しようとすると、「まわりを見てみろ」と言われた。



私は空間を知覚しており、そこには無数の宇宙、直径が数十兆光年に及ぶものもある宇宙が、空間的広がりの中に無数に浮かんでいた、そしてそれらは類似した物理法則を持つものごとにグループ分けされて連結されていた、そのような構造性の認識がどこからか精神の中にガイドされ、知覚能力の構築を意志して観測するとそれは実際に視えた。


「宇宙政府の最少行政単位チ」


別な声がそう言った。

相似宇宙の連合であるそれは果てしもない広がりだった。


「宇宙政府は太古に消えたものだ」


私は答えた、百億年前に存在した汎宇宙文明の事だがそれを担っていた種族がどこへ消えたのかは今となっては時間を遡ってさえ分からず、畏怖すると共にずっと疑問だった。当時の並行時間群の中に全く存在を確認できない「穴」の領域があるのだ、何が起こったのかがこの私に対してさえ完全に隠されている。


「いや、それは一つの宇宙内だけのものだチ、我々が属している宇宙政府は「これら」全体を指すチ」


あり得ない事だが視界がぐんぐん広大なものになった、私を構成するエネルギーの規模も爆発的に増大していた、相手が何であるにせよこちらのスケールすら好きに操られたのでは抵抗する気が失せてくる。私はその世界と相互作用しないエネルギーに転換されていて海流のように広がり、中を莫大な宇宙が存在していた。


視界が一つ一つの宇宙を液体の中の分子程度にしか視えなくなって、大海のような広がりとなる、それが更に莫大な平行時空を持っているのだ、「最小行政単位」…。


その大海もやがて水滴となり、分子となって更なる大海の中に消えた。その中を何か泳いでいる。


「およそこれが「第Ⅲ期宇宙政府」の一つの階層の広がりを捉えた視界チ。そして「第Ⅲ期宇宙政府」自体が階層構造として無限に存在しているチ」


圧倒されている間にもスケールはぐんぐんと巨大化して行った、しかもまだその中を視認し得る大きさで泳いでいる何かが居た。これほど巨大なら「上界」としての大規模構造もはっきりとしているはずだ。


「あれは君のように進化して巨大化を続けた存在チ、その存在を支えている機構はまだ技術進化を続け、知能においても相応の巨大なものとなっているチが、ああした進化にも果てはないチ」

「普通に暮らしてる平均的宇宙人はこの広さの中を生活してるから、侵略して滅ぼすのは無理だ」


口々に言う内容が信じがたいが、私は既に内部で無数に検証実験を実行し(宇宙としての内的物理規模は剥奪されていない)、また推論の結果、彼らとの力の差や現在の体験が歴然とした現実である事を証明してしまっていた。であれば百億年前の存在たちや、同じようにして忽然と姿を消していく種族は恐らく…。


視界が転向した。


「並行宇宙群の群構造もあの広がりを持ってるチ、上界の更に上界、もっともっと上…これもⅢ期宇宙政府の中の広がりの一つチ」


時間と空間の並列的繋がりの法則性から発する「時の上界の法則性」にも、果てしない階層性が存在し、「神」と呼べる魔法的存在、大神、更なる大神と続いていた。私の全知覚能力でもそれらは捕えがたく、何層か上になると無限性の帳の向こうを推し量るのは不可能だった。


「我々はまだ「平均的宇宙人」ほど進化していないので広がりのバリエーションをこの程度しか視られないチが、「物理的スケール」と「上界の階層」以外の広がりも無数にあるチ」

「わかったね、これが世の中というものだから。警察だってあるんだよ、悪いことはできない。だから強盗なんかやってるとそうして進化も停滞するようになってるんだよ」


元の視界の広がりで無限の巨大化の続く中、次第に極めて巨大な何かが視えてきた、真っ黄色に輝くロボットのようなものが視界に現れ、やがて像がはっきりしてくるとそれは金属質なバトルスーツに全身を包んだ人間だった。その背中に琵琶、腰のホルスターにはブラスターが収まっていた。


私は同じスケールにさせられた。


「私は宇宙刑事だ、じゃあ連行するからね」


バトルスーツの人間はさっきから聞こえていた声でそう言った、そしてブラスターを取り出すと、それは手を離れて小型パトロール船に変化した。


我々は今、何という巨体か。髪の太さがグラハム数光年あるだろうか。


スケールの遥か下方、元の宇宙は、今の私が人間の大きさだとして一つの宇宙の中での時空間の最小単位より遥かに小さい。十のマイナス五十乗、百乗、二百乗…、それどころではなかった。


手錠が取り出された瞬間、私は全力で抵抗を試みた、全身がまったく知らないものに変質させられていて有り得ない規模と複雑性の構造に膨れ上がっているのを感じていた、預かり知らぬ偉大な知恵と力の働きであまりにも飛躍させられた進化であり、18億年に亘って力を求め続けて来たにも関わらず恐ろしいとしか感じようのない力だった。


だが。


「殴りかかった」と知覚化された「力」の奔流は簡単にかわされ、全身が麻痺するような、少なくとも一つの独立した宇宙であるこの身を以てしても正真正銘の無限を感じるとてつもない力で横っつらを殴り飛ばされた。この現実に起こっている際限のない巨大化といい、どこまで行っても光の速さで一足お先に明日へダッシュされている、そんな圧倒的力の差を感じた。



この時の平凡な「犯罪者の抵抗」が、最早どれだけの技術力、どれだけのエネルギーによる攻防だったのか想像するのも馬鹿馬鹿しい。私自身では永遠に到達出来なかったであろう次元である。



「暴れるんじゃない!!」


うつ伏せにされて上にのしかかられ、背中で手錠を掛けられてしまった。


「さ、乗った乗った!!」


パトロール船のドアがガバッと開き、背中をバンと叩かれて後部座席に乗せられた。


そうして運転席に座った時バトルスーツが消えていき、宇宙刑事はそのゴリラのような素顔を露わにすると眉間に皺を寄せて振り返った。


「大人しくしてろよ、罪が重くなるぞ」

「我々はいくらでも自分を縮小も巨大化もできるからパワー勝負は不可能チ、あきらめるチ。我々は普段現在のこれよりも大きいような、本来の君より遥かに巨大な存在を相手にしてるチ」


もう一人の声は船のシステムらしい。


このような超越性を持った機械!!


「まだ巨大な世界があるというのか…」


私は無力感に打ちひしがれて呟いた。


「無限にあるチ。しかも無限性の一つに過ぎないチ。全部の無限性の含まれる全体を「第Ⅱ期宇宙政府」というチ」


「聞いたことはあったな…だが今を以て想像する事さえ不可能なようだが」


「そう、誰も想像できんくらい大きいんだ、それが本当の「無限」なんだよ、全部を支配するなんてちっちゃな考えはやめとけ。KO世紀」


「第Ⅰ期宇宙政府はその全てを最初から最後まで一瞥しているチ」


パトロール船は人間的大きさへ瞬時に縮小し、「うちゅうけいさつ本部」の建っている特殊宇宙へと私を連行した…。




そこはただの田舎町に思えた、空がよく晴れていた。


「オゥッ、帰ってきた」

「今回は逮捕人数がすごいから刑務所もごったがえすチ」


うちゅうけいさつ本部ビルは三階建てのようだった、どのようにして私の部下-少なくとも一つの宇宙で数京人は下らない-を扱うつもりなのか不思議だが、ここ自体が多重に存在してでもいるのだろう。


「さ、降りろ。おっと、季節だなあ」


宇宙刑事はパトロール船から出た後、後部座席から私を降りさせる時、タイル張りの隙間から生えた一輪の草花の上に踏み下ろそうとしていた足をひっこめた。


正真正銘の無限の力、超越者としてのあの力は、この男にとって何ら特別なものでもない日常であるに過ぎないのだ。


私程度の些細な有限の力に熱狂する者などいくらでも居るにも関わらず。










男は18億年間の全てをゲロすると、刑務作業で黙々と「ニポポビッチ人形」という、寒冷地のいやげ物として売られる単色のゴム製プロレスラー人形を作り続けるようになった。





若さとは…


愛とは何だったろうか?



その答えを求めて長い悪夢を見ていた気がする。


あの肥溜に落してしまったものを、


刑期を終えた時、もう一度目指そう、


私は巨大なものを見た、



名もない花を踏みつけられない男を。


あばよ涙、おんしゃーす明日…。





火星生まれの小型パトロール船、シターケンⅢ-NX-01を相棒とする宇宙刑事、ゴッツ=ストーンパインは、宇宙警察の上部組織・アンダーカバーにおける「ゴリゴリ」の刑事として知られる。


その背中は年季の入った背広が銀色に光り、好物はバナナである。

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