第20話

定休日、真昼に牛田ひかるは桟橋で釣りをしていた、エメラルドブルーの海、底にサンゴ礁が見え、水平線には入道雲が白く光っている。


珊瑚礁の終わる沖に強い結界に守られた大型の船が停まってはしけ舟が出て行き、乗客を乗せて戻って来る、どこかから観光客がやって来たのだ。



短い釣り竿のリールを巻いて仕掛けを引き上げると、サビキ針に三センチくらいの鯖や鯵が鈴なりに食いついていた、それを桟橋の上に転がすと、ぴちぴちとはねるのをイブリースがせわしく前足で押さえつけて齧る。


「おっ、おっ、活きがいいな!」


全身で動き回って、あちこちを跳ねる小魚を楽しそうに追いかけている、猫は動き回るものが好きだ。


ひかるはクーラーボックスの中にしまっていたスポーツドリンクを飲んで一息つき、イブリースが小魚を食い終わるのを待った、カラッとした風が吹いていて日本の蒸し暑い夏の海とは違う。


「うん、やっぱり新鮮なのは小さくてもうまいな、後でいくらか干しておいてくれ、干物を炙ったのもいける」


煮干しもいいかな、と、伸びをして背中を反らしていると、目の前を通るはしけ舟から船員と乗客の会話が聞こえてきた。



「ヤッホーーーウ!!来たぜパラダイス!!」

「やーっと狭い船室から出られたぜ!酒飲みにいこーぜ酒!!」


十人くらいの中で、冒険者らしき若い男二人がはしゃいでいる、一人は背が高く筋肉質、何かの鱗を革ひもで編み付けたジャケットを着てナタのような厚い無骨な片刃の剣を二本背中に背負っている、深い刃こぼれの跡がいくつもあって、力任せに叩きつける使い方をして来たようだ。

もう一人は新品らしき薄いシャツを着て、履き古した革靴、サンドバッグのような袋を背に、その紐を胸の前で握って、酒酒とはしゃいでいた。


「ようこそブルーライトバハマへ。そう飛び跳ねなさんな、まだオカじゃねえ」


「でもよ、関節がギシギシ言うぜ、ずっと座ってポーカーじゃ石んなる」

「毎日柔軟くらいしないからだ」

「遊びに来たんじゃねーか。そんな剣さっさと捨てちまえ!」

「お前、剣と鎧と盾と、普段ギルドの床板を踏み抜くくらい着てるくせに、よくそんな格好で平気だな」

「全部売ったよ加治屋に」

「な…。愛用してたんじゃないのか?」

「帰ってから新品買うんだ、もう貧乏じゃねーんだぜ?」

「馬鹿を言え。骨折でもしてみろ、穴を掘って棲む暮らしに逆戻りだ、俺はここでも仕事するぞ」

「パラダイスでンなもんぶん回す想像するんじゃねえ。居るのは水着の姉ちゃんだろうぜ」


船員は舵を調節しながら振り返った。はしけ船が桟橋の近くでゆっくりと位置を合わせていく。


「そうでもねーよ?あんたら"世界松のヤニ"持って来たのか?ここは龍の巣窟だぞ、空の果てが世界を一周する龍の風道になってて、大陸を渡ってるやつが集まるんだ」


「そー聞くけど、リゾート地だろ?近くには居ないんだろ龍なんか」

「まあなあ…主要な宿屋区画は結界の中だし、地元の連中がすぐ食っちまうもんで」

「オイオイまじか…」

「修行場なのかよ。良いな、仕事もあるか?」

「仕事ならまあ、そこそこな。だがデビューのハードルは高いぞ、ここで龍狩りやってるのは元々ホテル暮らしでやってけるようなハイレベルな戦士でな、そもそも薬用に龍狩りするために集まったのがたんまり稼いで作ったリゾートなんだ、龍はそのくらい居るし、どれ程の希少価値になる奴がうろついてるのかと言うとだな、普通の龍一頭分の肉を売り払うと船長と俺ら全員の年収を合わせたのを軽々超えちまう…それを食うんだぜ?一仕事終えてうめえうめえと…さあて!!桟橋を渡ったら夢の楽園ブルーライトバハマです!!足もとに気を付けて!!」


船は丁度いい高さで桟橋にくっつき、船員が板を渡して他の乗客は降りていった。

若者は顔を見合わせた。


「猛者だな」

「ジークフリード。…その「世界松のヤニ」てのは?」

「龍除けの脂だよ、出は売ってない地方か?ホテルかコテージでちょびっと貰えると思うが、遠出してもし森でも通るつもりなら店で買って体にたっぷりと付けとけ、件数は少ないけどたまに管理区内でも襲われるんだ」

「買う。俺は全身くまなく擦り込んで水着の姉ちゃん探すから、お前仕事してひと稼ぎしてくれよな」

「バカ言え、俺もヤニを塗りこんで見学させてもらう、後学になるからお前も来い」

「やだ。戦いを忘れたくって来てるてのを忘れんな!!」


二人も降りかける所へ背後から船員が言う。


「そうだ、大陸の東の果てから大龍「ヴァルバジール」がこっちに向かってるって話だ、強い戦士の戦いを見学するつもりなんなら、その噂も考えに入れとくといいかもな」


「大龍!!マジかよ!!」

「で、でも何で?大龍って言えば一帯の生態系を何千年も支配してる主だろう、そいつが移動するなんて…」





「おお、ヴァルバジールが動くとは?」


いつの間にかひかるの横で耳を立てていたイブリースが、興味深げに言って座り込んだ。


「船長がオカの連中と業務連絡の通話で聞いた話じゃ、何でも二人組の賞金首に大龍が追われてるらしい、誰かに依頼されてるってよ」


若者二人は更に驚いていた。


「大龍が逃げてる相手がたった二人?そいつら一体なんだ!?」


「どうも酒場での噂なんだが、二人組の一人はスーザン、またの名を「シルバーウルフ」。長い銀髪を一本に編んで背中に垂らした半裸の女戦士なんだそうだ、深い森の国の生まれで、恐れを知らない狼みたいな戦いぶりからそう呼ばれているらしい。もう一人はドミニク、またの名を「黄金の微笑み」。女豹のような魔女で、見た奴は船酔いしたみたいにフラフラにされちまったとか。どっちも30億超えの賞金がかかってるんだと」


「さ、30億!!?」

「バカ言え、いくら何でもそりゃあひと桁多過ぎる!!一体何をやったらそんな額になるんだ!?」


「さあねえ…。どっかの国の王子でもたぶらかしたかな?ヴァルバジールはここからよその大陸に飛ぶつもりじゃないかって言うが、大龍が命の危機を感じる程に危険な女達って事だろ」


「ハハハ…見てみたいもんだな、今からゾクゾクする」

「大龍に30億超えの賞金首二人。町が危ないんじゃないのか?」

「いや、ここには勇者殿も常に何人かいらっしゃるから、もし陥落するならその時は運命だよ、もっと守りの堅いのは聖霊院の本堂だけだろうと言われてる」

「だといいが。ほら、飲みに行くぞ、酒場の店主からでも詳しく聞きたい」


剣を背負った男はもう一人の肩を引っ張った。


「お、おお。行こうか…」



イブリースが振り返る。


「ここが危ないかもな、いい話を聞いた。ヴァルバジールは街一つを地形ごと地図から消すには十分な実力があるし、賞金というのはどんな凶悪犯でも普通は一億にもならん、ましてやヴァルバジールが逃げる程の者だ、もし噂が本当ならば戦わねばならないかも知れんぞひかる、でなければここで両者が暴れた時、屋台を失うだろう」


その目はきらきらしていた、ひかるは懐から、さっとまたたびを取り出した。


「んおっ、またたびか!?」


その実を鼻先に持っていってやる。


「うぐぐぐぐぐぐ、抗えんっ!!」


イブリースはひとたまりもなくまたたびに食いつき、身をよじった。


「これはこれはこれは…」


恍惚として桟橋の板の上をゴロゴロするイブリース。その無防備になった腹をわしゃわしゃと触りながら、ひかるはサビキ釣りの仕掛けを珊瑚礁に垂らすのだった。



明るい太陽が、高い空から強い光を注いでいる…。

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