第19話

魔導実体・シューニヤ。


ヴィドゥヤー技術体系の究極の形。


あらゆる感界と地平の円錐形の頂点・《一瞥する者》への一里塚。




「自らを超越するもの」として、それは《ナーガ》という徴に込められた。


龍の始まりである。


龍の頭は12あった、たったの7つでも、8つでもなく、9や10、11ではない、後に日輪を表す数、12あったのである。




原初、導師達は口々に言った…。




「光とか闇とかを、「善きもの」と「忌避すべきもの」に別けるのは幼年期によくある事だ、命は全ての意味の主、そういったものはつまり、光も闇も、その力は生きるための大切な賜物なのだ、消そうとするものではない。だからこの事が、それらを一つにする。全て結ばれる。よきことだ、シューニヤはこの単純な原理をようやく、何万年もの研鑽により地の我々が形成すようにしたもの、ようやく生み出せた、本物の【実体】だ」


「そのように言葉にするのは容易いが、【実体】つまり【命】を、全て言葉の理の下に容れるのは不可能とも言われたものだったよ。精神が現象を捉える時、「流れ」「歩み」「戸惑い」「おかしみ」などと言葉にするが、これらを微細領域にまで遡って、【多数性の原理】から導き出すのはそれこそ容易ではない。膨大なものの膨大な関係の輪郭が更に膨大となって、無限に連なっている上に、我々の知る現象の階層はあるが、更に上まで全ての階層が協働せねば、【実体】とはなり得ぬ。これは余りにも深かった」


「そうとも、【深み】に実際、果てはなかった、果てなどあるならば、頭の形成は《ノウ》で終わり、シューニヤは数瞬と顕現せぬことであったろう、この果てなさにこそ、【有】がある」


「渦動し、螺旋し、果てのない円錐形となる、この《シューニヤ-バルンセル》をもって、我らのオームの最後の響きとしよう、ここから始まるものは全て創造であるから、これまでの詞は使えぬ」


「徴よ、全ての徴」




これら全ては、精神の原型である言語で話された(だからこちらの地平でも、これに近い言語は精神を担う器官を発達させる効果を持つ、それは「サンスクリット語」として知られる)。


それは、「達成の時」の一つであった。


別な地平での事であった。


【後書き】

サンスクリット語の効果が本当かどうかは調査が待たれますが、それが脳機能にとって本来的な機能の一部としてあり、もしチョムスキーの「言語獲得装置」のようなものが実際にあるのならば、そしてそれが共通感覚や情調のニュアンスのようなものにまで統合的意味づけを行うものだとしたら、「呪文」は高度な芸術として実在し得ますし、我々にとってクオリアというものの意味も、より魔術めいたものに変わります、私としては、自然言語にはそういう面もあるだろうと期待しています。


それによって構築された神経言語プログラミング技術は、人間を実際にプログラマルなものとします、そこには新たなSF的期待と恐れがあります。


ゴールデンスペルで憎いアイツをゾンビにしたいです。

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