第18話

今パートは、最近話題の「シンギュラリティ」が本格的宇宙時代到来の遥か以前に到来するであろう現状を受けて書かれたものです。


つまり、『都市と星』『銀河帝国の興亡』『3001年』『さよならジュピター』『ジーリー・クロニクル』『ディアスポラ』に描かれたような未来の大それた宇宙文明を築く遥か以前の段階で、「われわれ人類の脳」という科学力増大を鈍足化させるくびきが取り払われ、一気に、おそらく千年もかからない内に、科学力は現在のSF的想像力の極限に到達してしまう可能性が現実味を帯びてきた。


まあ、勘の良い読者なら『都市と星』の頃に(つまり五十年代に)、ちょっと遅くても『2001年』の頃に(七十年代の初めには)、いくら何でも『ターミネーター』を見た時(八十年代)には、たぶんそうなるだろうなと思っていたはずです。


《コンピュータを使ってあっという間に全知全能に限りなく近づいていくから、知性体にはわざわざ巨大宇宙文明を築く理由は無いかもしれない》…。


90年代前半にこう思った時、スタートレックがまだぜんぜん面白かったからちょっと落ち込みました。当時の人工知能はまだ何も出来なかったから「人間みたいに考えさせるのは不可能だ」とか言ってましたが、結局、半導体の集積度が上がると『2001年』のHAL-9000と同じに「人間の脳を模倣して」ニューロン構造を作り、これまた古い発想のディープラーニングなんか実現して、今すぐにでもそれが登場するかのように言って、更に反転してみせて「やはりそれはない」とか言いますが、シリもアレクサもある程度命令通りにやり、本物と見分けの付かない動画を「コンピュータが想像して」生み出す時代に。


出来ない出来ないと言ったって、未開の部族だって十四五になるとたった二人の労力で図面の一枚も書かずに「完璧に人間と同等の頭脳」を物理的に具現していますから、永久に作れないと言うのは非科学的見解。


しかしどうですか、月や火星にまともにログハウスすら建たない内に「幼年期が終わって」しまうというのは。


2045年にシンギュラリティなんてあり得ないと言ったって、「2145年」にもあり得ないとはとても思えないでしょう、巨大宇宙文明が作られない理由は、科学の可能性に際限が無く、庭先に別宇宙を創っていつでも出入り出来る場合か、幾らでも拡張できる知性が誕生しても結局、科学的に可能なこと自体にごく狭い限界があるかのどちらか。


シンギュラリティ前の今は、これが果たして実際どっちなのかの判定は不可能です。



平茸家の生息するファンタジー宇宙には、科学の可能性に限界はありません。


どんな強大な存在にも更に上が居ます。


そして、ライフゲームの発展の末には、全ての知性が勝ち残り、生き残った末の、絶対に交わらないそれらすら同居する時間的無限遠点の、「全てを包含した技術文明」が。


我々みたいなどうしようもない現状のものでも作り得る兵器が自己進化の末に宇宙を蒸発させてしまうという、時空間の不安定性を時間の始まりと終わりから抑制しているのが、つまりそれ、「第Ⅰ期宇宙政府」です。タイムマシンだか時間線操作装置まで使って戦争か実験の失敗かをやらかす知生体を抱える宇宙など最初にこれが無いととても存在出来ないでしょう。その起源は運良く進化に成功し管理者たり得た種族。


あるいは、そういうものがあり得ないから存在出来ているか。


今ここにあるわれわれ知性体の自由意思というのはべらぼうな代物です、こうして宇宙の存否すら条件づけている。


我々は今、それを直接見ているのだという事を分かっていないといけない、本当に大統一理論について実験する粒子加速器の中に居て加速されている素粒子の立場です、数百年もしない内に「40億年かかって準備された実験」の結果が出る…。


もし、科学の無限の可能性が肯定的なら、第Ⅱ期宇宙政府のようなものに管理されます、あるいはそういうものと接触する事になる。


文明が自滅した後で、天然には存在し得ない生命体の宇宙怪獣が残される事もあるでしょう、それらは極めて危険なものとなりながら我が物顔で増殖するはず。


我々みたいないつ自滅するかも分からないものにこの現状に時間すら超える強大な力が掴み得るなら、管理者も宇宙怪獣も居ないはずがない。


実に実に、ごくハードなSFの世界を生きています。これが現実だと言うんだからたまらんではないですか。



無限の可能性を持つ科学技術とその持ち主の意思の極限の飽和状態とは何でしょうか。


宇宙の晴れ上がり以前の、何もかもが溶け合った活動の状態と変わらないだろうと思います。


何でも有り得る極限の無秩序がもたらされるので。



まあ、時間が越えられなくてもシンギュラリティ後、我々が宇宙内の実験事故でビッグバンを起こしてしまう、少なくとも近場の数億光年にはとんと居なかっためずらしい知性体であった事実を、いずれ絶滅をもって知る事になったりするかも知れませんが。


とにかくは、本当に「無限の可能性」があるかどうか、管理されているのかどうかはシンギュラリティ到達後に何が起こるかで分かるようになる。








『虚無回廊』と『ディアスポラ』。ほぼ同じテーマでほぼ同じように書いて、『虚無回廊』の方はこの宇宙の裏の言わば「余り物の吹きだまり」に知性を生み出す原理が隠れているのだ、という空想を入れ込み、『ディアスポラ』はただ開け放たれた無限の広がりを描き出す。


『虚無回廊』は願望が、『ディアスポラ』は諦観が、結論。


しかしどちらも『スターメイカー』の十五章を拡張したみたいなものに見えます、『スターメイカー』の十五章は、心による世界創造の過程を遠景として捉えているので、次々書かれるこういう作品群の発生を描いているようなものだからです。


またしかしそれも、心の事ですので古くから描かれていて、インド神話辺りに豊富にあるでしょうが。








物理学、生物学、神経生理学、脳科学、発達心理学、と、心の存在の土台を確定的に描き出す科学が十分に力を蓄えるまでは、時間によく磨かれた独白の堆積である神話は、心の物語の主で居続けるに違いないでしょう、『人間はなぜ存在しているのか』は、心の問題ですので、「答えは既に神話にある」と、それが越えられるまで。


本当に「無限の可能性」があるかどうかは、これについて心の問題を超えた解となりますが、あまり「重要なこと」とは心に感じられないでしょうから、神話にはこの問題で敵わない事になります。それに、「意味のあるものとして存在したい」という願望とはズレた答えになりますので、文学として文系的回答には勝てません。


「意味を感じる」という心の機能は、どのような機構なのか、その神経生理学的、生化学的機序としての現象、脳がどう機能している状態であるのかの、独白を廃した客観的分析からしか見えて来ない「意味というもの」の現象としての本質がある、文系的探究というのは結局独白的解釈ですので数量化されるこれとは全く違います。


科学的・客観的分析を底とした「意味というものの振る舞い」を前提に「宇宙に人間が存在する事の意味」を、捉え直すと、『虚無回廊』『ディアスポラ』『スターメイカー』よりも純度の高い、「知的生命体が意味を求めて活動する」SFが仕上がります。


私は早くそれが読みたいですが。


また、このような認識を底とした社会論は、OSの挙動を論じるのと同じで解釈というやりたい放題の余地を排除して行けますので、役に立つものにもなるでしょう。


近代的理性というのはまだ「理性的であるという気分による物事の解釈」であったので、役に立ちませんでした。そこを衝いて指摘したのが「ポストモダン」だそうですが、哲学など知りませんから何の事やら。


問題は、人間の心は自分が信じている世界解釈に準じた理性的判断で動作するので、実際に良好な社会論があっても世界解釈として受け入れられなければ「理性的判断」によって容易に覆されて機能しない事です、受け入れられていない社会論は意図的に覆され事実を描いたものとして機能しない。しかも、個人の性格が抵抗を覚えたものは「洗脳」と解釈されるので受け入れられません。人間は自分個人の性格によって行動したいですから、ただの論理から発した「納得のいく正論」による社会論などいくらあっても必ずごうごうたる反対者の非難を浴びます。


そうした「性格の違う者同士による解釈の戦い」は今日、ネットでいくらでも見ることが出来ます。


人間の生態の実質を生物学的に捉えないといけませんし、そうして科学的に人間を捉える事に強い抵抗感を示す人間の心理も実質を生物学的に捉えないといけません。「反科学的な考え方をするこのましからざる輩」について論じても、「頭のおかしい、人間をロボットのように考えている奴の暴言」という叫びしか返って来ない。またしても「性格の違う者同士による解釈の戦い」となります。


このように騒動の種となる心理的な力は、「イメージの布置」を巻き込んでいる連想の渦動であって、「言葉の論理的なつながり」からなる理論体系のデータ的振る舞いではありません、この二つは協働しますが、連想の渦動が語彙の選択に重みづけを加えて理論体系のデータ的振る舞いを成形します、それが我々が日ごろしている言語活動であり思考ですし、そこを意識的にやるのが詩作ですね。


連想の渦動を維持するために、何度も何度も、「性格の違う者同士による解釈の戦い」のような同じ事象が自己言及、メタの階層を違えながら繰り返される。しつこい言い争いは全てこの渦動の呪術的効果ですし、言葉で説明しても呪術効果は止まりません、鬱にも言える事です。自分自身に関してこれを静止させる方法には禅の瞑想があります。


全て心理的な渦動や相互の反射が主体であって、論理的に止めようとしても中観派の言うような自己矛盾は越えられませんので無駄、という結果になります。


結局、論理的理性を働かせようとすればするほど、実際は呪術的世界像を持っていなければならないのです。



ここら辺りまで考えて認識して、ようやくSFに使える…。






以下、『平茸家物語』を映像イメージする場合のガイドとなります。



『平茸家物語』世界観


★ほぼ地球と同じ環境が最初からある火星の文明。

★火星全体が日本とほぼ同じ文化および民族からなる。

★街並みや宇宙船内のイメージは小松崎茂風。


★60年代特撮のような手作り感あふれる実写セットだが超大規模。


★監督は川崎実。


★キャスト


主人公・平茸宗盛

安部サダヲ


妻・平茸清子

大久保佳代子


息子・平茸清宗

寺田心


オペレータ・赤松

声・光浦靖子

キャラクター・いらすとや


(回想)宗盛の父

北大路欣也


(回想)宗盛の兄・長男

福山雅治


(回想)宗盛の兄・二男

ガクト


ガニメデのキノコ工場のパート

渡辺えり


アトランティス人の男

加山雄三


アトランティス人の女

松本めぐみ


宇宙怪獣の頭脳

竹内力(エレキング風のパーツ装着)


宇宙怪獣

くっきー!(様々な扮装で全て)


トラベラーA

高杉真宙(学生服)


トラベラーB

福士蒼汰(改造人間)


(回想)ガニメデのキノコ工場の工場長

野見隆明

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