02 本編
「おっ。早いね」
菜利が来た。軽やかな足どりで、下の段に降りて、座る。雪が降ると、だいたい彼女の機嫌は良い。というか、無理して機嫌良く見えるようにしている。ふわふわのコート。背中には、夏原かき氷店の文字。
「秀」
名前を呼ばれ、何かが投げつけられる。じんわり暖かい。ちょっと小さめの器。
「暖かいかき氷。新作です」
また、わけのわからないものを作っている。器のなかには、たしかにかき氷らしき見た目の、暖かい何か。ブルーハワイ色。
「どう?」
食べた感想を求められる。小下は、舌を出した。ブルーハワイ色になっているのかどうか、菜利の表情で確認する。
「ただの温豆腐だね」
「だめか」
だめに決まってるだろ。ブルーハワイ色なのがまずい。色からしてまずい。
「味は良いんだけどな。色が」
「そっか。味は良いか。よしよし」
ブルーハワイ色は、変える気がないらしい。かき氷に対する並々ならぬポリシーを感じる。感じるだけで、見た目と味の乖離はすごい。
「あなたの彼女、今日も来てたよ」
その話題は、避けたかった。彼女から逃げてここにいるのに。
「あることないこと言って、かき氷食べずに写真だけ撮って帰ってった」
いかにも今どきの、バッド&マッドなインフルエンサー。幼馴染だからという理由で、だらだらと付き合い続けていた。
「物好きだね」
別れたほうがいい、とは、言わない。菜利らしい、無用の優しさ。
「幼馴染だからな。仕方がない」
「本物の幼馴染の前でそれ言う?」
むかし近くに住んでいて仲がよかった女の子を騙って、彼女は近付いてきた。ばか丸出しの手口だけど、仕事上の関係で、付き合う以外の選択肢がない。
「別れようとは思ってるよ」
絶妙な沈黙。
「そうなんだ」
その末の、絞り出したような一言。たった一言。そうなんだ、だけ。
「別れたらさ」
再び、沈黙。少し長め。
「別れたらさ、なぐさめてあげるよ。本物の幼馴染らしくね」
夏原菜利。夏原かき氷店の跡継ぎ。この小さな町で、身内だらけのなぁなぁな商売を続ける女。
そして。
俺の幼馴染。
「どうやってなぐさめるんだ?」
「色々話してあげる。わたしの好きなものとか、きらいなものとか、夢とか」
「なんだよそれ」
好きなものは犬。飲食業だからという理由で一生飼ってもらえてない。きらいなものは、雪と闇夜。夢は。
菜利の夢は。
「ほら。あれじゃん。知らないじゃん、お互いのこと。幼馴染だけどさ」
「そうだね。知らない。今のところは、冬場に階段に座って謎の豆腐出してくる女でしかないし」
「かき氷です」
豆腐だよ。ブルーハワイ色の。
それだけで。会話は途切れた。
小下は、通信端末を取り出した。さっきの会話がきっかけになったとか、そういうのでもない。ただ、なんとなくの気分で。
「あぁ、うん。私」
彼女の、媚びるような声。顔は良い。スタイルも良い。インフルエンサーとして必要な武器を、全て持っている彼女。
「いや。コンビニに買い物に来ただけ」
彼女は都会育ちなので、この町にコンビニが無いことも、ぜんぜん知らない。
「別れようかなって」
え、なんで。どうしてよ。理由が聞きたい。とりあえず帰ってきてよ。わたしがわるいなら、直すから。
すごいすごい。言い訳の例文集がすらすら出てくるみたいに、ゼロコンマで言葉が出てくる。
通信を切った。
「いいの?」
「なにが」
ちょっと考えて、思い至る。
「いや、ただなんとなく別れただけです。理由とかも特に無いです」
「そっか」
別れたくて、別れただけ。それだけ。
「で?」
「え?」
「いや。なぐさめついでに教えてくれるんじゃないんですか。好きなものとか、きらいなものとか」
夢とか。
「あ、わたし。わたしか。わたしの番か」
べつに会話に順序はないけど。
「わたしの好きなものは」
そこで止まる。何か、どうでもいい都合の良いものを探しているように見えた。もぞもぞと動く、もこもこのコート。夏原かき氷店。
「当ててやろうか。かき氷でしょ?」
「おっ。正解です。そう。わたしはかき氷が好き」
渡りに船とばかりに、乗ってくる。かき氷、好きでもきらいでもないだろおまえは。
「きらいなものは、冬です」
それは初耳。
「かき氷が売れないので。困ります」
だから、暖かいかき氷とかいう謎の豆腐に行き着いている。
あっ温豆腐忘れてた。冷める前に食べとこ。小下は、急いで残りの温豆腐を口に運んだ。美味しい。
「夢は?」
食べながら、訊いてみる。
「え、夢?」
そう。夢。
菜利の夢は。この小さい町を出て、都会に行くこと。
「夢、は、ないかなぁ」
嘘つきが。
「当ててやろうか」
「いや。無いって。夢なんて。いまが幸せですわたしは」
「都会に行くのが夢だろ?」
「えっなんでわかったのすごい」
菜利が振り向いた。期待と、不安の入り交じった視線。
「そりゃあ田舎の人間全員都会に憧れるだろ」
「あっうん。うん。そう。そうです。その通り」
彼女の姿勢がもとに戻る。背中にでっかく、夏原かき氷店の文字。
「そのコート、暖かそうだな」
「うん。暖かいよ」
かき氷店の、コート。
「わたしの話。していい?」
「どうぞ」
「むかしね。わたしの隣、っていうか。近くに住んでるひとがいて」
「私だな」
「いいから聞いてよ。とりあえず他人設定なんだから」
幼馴染同士で、仲良く遊んでいて。
たまたまその子が引っ越すことになって。わずか地下鉄で5分、その程度の距離がどうしても信じられなかった子供ふたりは、一世一代の大勝負で駆け落ちに出た。
しかし行き先など無く、散々町を散策した挙げ句、この階段のところでうずくまるに至る。
「ばかだよね。逃げやすいように、大吹雪の日を選んで逃げたの」
「選んだときは天才だ私達とか思ってたんだよなぁ」
「天災っていうか普通に天災だったけどね。数年に一度の大雪よ」
その結果、この階段で動けなくなり、ふたりで寄り添って、最後の時を待つことになった。
「わたしね。心が凍ってるんだ。そのときにね。一緒に逃げた子のコートを奪って、ひとりだけ、その子を置いて逃げたの。この階段に」
そして、たまたまそれが町の人に見つかって、結局もうひとりも芋づる式に発見された。
「それからわたしは熱を出して。なんとか意識がある状態まで持ち直したときは、もうその子は町から引っ越してた」
それが、小下だった。
「だから、町を出たいのか」
「えっ。いや」
ちょっとだけ沈黙。
「うん。そう。町を出て、都会でそのときの子を探すの。あのときのことを。謝りたくて」
「今目の前にいるけどな」
「他人設定だから。インフルエンサーと付き合ってるいけすかないイケメンのことじゃないから」
「じゃあ、普通に都会に探しに行けばいい。この階段降りて公園抜けて、地下鉄乗って5分だし」
「うん。そうだよね。そう」
この階段を降りて、公園を抜ければ。地下鉄の駅。
「でもね。この階段で。いつも。うずくまっちゃうの。この階段よりも先に、わたしは進めない」
罪悪感と恐怖感が入り交じって、足がすくんでしまうのかもしれない。それに、探していた子は普通に目の前にいる。
地下鉄の音。駅。
偽りの幼馴染が、見える。
「あっそっか。位置情報オンにしたままか私」
終わりか。こうやって話すのも。
またいつものように、自分を溺愛するインフルエンサーを見て、自己を蔑む日々が始まる。
小下は、立ち上がった。雪はもう降っていない。
「いいことを教えてやるよ」
動かない彼女の背中に、声をかける。
「あのとき、おまえはコートを奪って逃げたんじゃない」
あのとき。覚えている。
このまま離ればなれになるのなら、この階段でふたりでしぬのもいいかもしれない。そんなことを言ったら、彼女はコートを脱いで、自分に被せて。
じゃあ一緒にいるのやめる。
そう言って、大泣きしながら大吹雪のなかいなくなってしまった。その大泣きで、たぶん町民に発見されてる。ひとり残された自分は、ふたり分のコートで寒さをしのいで。吹雪がやんでから、ひとりで家に帰った。
小さな町ゆえに世間体も小さく、結局こども2人の駆け落ちという意味の分からない迷惑行為は闇に葬られ、そのまま引っ越した。
それだけ。
彼女は熱と罪悪感で、自分が捨てて逃げてきたのだと思い込んでしまい、それが町に彼女を縛りつける鎖になっている。
「だからおまえがわるいわけじゃないよ。俺がわるいわけでもない」
ただ、なんとなく巡り合わせでそうなっただけ。俺は都会でごみみたいな女にまとわりつかれ、菜利はこの町に縛りつけられている。そしてそれは、これからも変わらない。
「じゃあな」
階段を降りる。
インフルエンサーの女の、綺麗で整った醜い顔が近づいてくる。たぶん一生、この女の食い物なのだろう。自分は。
「ねぇ。誰あの女」
開口一番に。浮気の心配か。
あの女は。俺の幼馴染だよ。本当の。
言葉を。漂白する。
「私は知らないよ。この町の人とかじゃないかな。さ。帰ろ。ごめんね別れるなんて言って」
安心した女が、腕に絡みついてくる。
「待って。秀。待って」
背中に軽い衝撃。女の腕が離れる。その瞬間だけ、なんか。安心した。そして吹っ飛ぶ、綺麗な顔の醜い女。
「だめ。渡さない」
目の前に立ちはだかる幼馴染。背中に。でかでかと夏原かき氷店の文字。
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