第33話 毛利の戦争
天正年間、四国における激戦が続く中、長宗我部氏は土佐からの援軍を送り、伊予国での抵抗を強めていた。しかし、中国勢として参戦していた毛利家の武将たちは、次々と城を攻略し、戦局を有利に進めていった。
7月14日、中国勢の黒川広隆は、丸山城(高尾城の出城)を攻略。これが「丸山城の戦い」である。この戦いに続いて、中国勢は高尾城へ進軍し、長宗我部からの援軍として加わっていた片岡光綱や金子元宅が籠城するも、7月17日には城が陥落した。
**金子元宅**は、元々伊予の名門であり、彼の息子**毘沙寿丸**もまた長宗我部氏との関係を深めていた。しかし、この戦いによって伊予における金子氏の影響力は次第に弱まり、毘沙寿丸は土佐へと落ち延び、**長宗我部元親**の保護を受けることとなる。
### 高峠城の戦い
続く戦いは、新居郡にある高峠城を舞台に展開された。ここでも中国勢は圧倒的な力を見せつけ、高峠城を包囲しつつ、城兵であった**石川虎竹丸**を土佐に逃がした。逃げる時間を稼ぐために、残された城兵たちは**野々市原(現西条市)**にて迎撃するも、全滅に終わる。これにより、新居郡の諸城は次々と陥落し、**金子山城**を守る**金子元春**も敗走した。この時点で新居郡での抵抗はほぼ終息を迎えた。
### 伊予全域の制圧
伊予における天正の陣の中、金子氏の拠点が次々と落ちることで、長宗我部氏の伊予における影響力は著しく低下していった。7月25日、**川之江の仏殿城**が包囲されている最中、**長宗我部元親**は降伏を余儀なくされ、伊予における講和が成立した。
同時に、南伊予に駐屯していた長宗我部勢も撤退を始め、これにより中国勢はさらに進軍を続ける。東予二郡の制圧後、進路は西へと転じ、**周敷郡、桑村郡、越智郡、野間郡、風早郡**が次々に制圧された。
8月末には、伊予の名将**河野通直**が守る**湯築城**もまた包囲されることとなった。この城は、長年にわたり伊予の中心であったが、毛利の**小早川隆景**の助言により、通直は城を開き、道後の町に隠居する形となった。
### 喜多郡の降伏と伊予全域の制圧
その後、毛利の将**桂元綱**が喜多郡の諸将を攻め降伏させ、隆景の元には**西園寺公広**や**大野直昌**が出向いて降伏を申し出た。隆景のもとで、彼らは寛大な措置を受けたが、一部の反抗的な将、特に**大野直之**や**曾根宣高**らは捕らえられる運命にあった。
こうして、隆景の指揮のもと、伊予全域は中国勢の支配下に入り、四国における毛利の影響力は確固たるものとなった。伊予の戦いは終息し、四国全土における毛利家の支配が確立したのである。
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