第32話
結婚式の準備も進んでいき、穏やかな日常に私は心が癒やされていく思いだった。
あの馬の一件以来、何も起こらない。アルが『公爵邸に入れるわけがない』と自信たっぷりに言うからには、ほんとに安全なのかもしれない。フランも楽しそうに学校へ通ったり、公爵家で勉強したり馬に乗ったり、探検と称して庭を散策していたりしている。
「奥様、結婚式のコース料理ですが、コック長が案を出したので、こちらにメニュー表を置いておきますね。一度目を通してください」
ジャネットが机に結婚式の段取りの書類を置いた。
「うわぁ!ケーキの種類が豊富ね。チョコレートケーキ、イチゴと生クリームたっぷりのケーキにマカロン、モンブラン、パウンドケーキ、タルトにパイ!私も食べたくなっちゃうわ」
つい、甘いものに目がいってしまう私を見て、にっこりとジャネットが笑う。
「コック長が言うにはケーキバイキングのように選べる形式にするか、階段状に並べて、一つのケーキにするか悩んでるそうです」
「どっちも素敵だけれど、お客様が喜ぶのはケーキバイキングかしら。見た目より皆に好きなものを選んでもらって食べてもらいましょう」
ジャネットがうんうんと頷く。
「奥様は相変わらずですねぇ!見た目よりもお客さんが喜んでくれる方を選ぶんですから!」
私とジャネットが平和な会話をしていると、ふと、私は段取りの紙に目が留まった、
「あああああ!」
私の叫び声にジャネットがどうしました!?と驚く。
「こ、これっ。これを見てちょうだい!」
「結婚式の流れですか?」
「『花嫁と向き合う。そして手にキスをする』って書いてあるの!無理よね!?」
ジャネットもハッとする。
「これは旦那様には無理ですね」
「そうでしょう!?アルがしたら、その後、動けなくなるわよっ!それにお客様にもアルが女アレルギーってばれちゃう!……ばれちゃダメなのよね?」
「もちろんです。ばれたら、そういう弱点につけこんでくる人がいますから。世の中怖いものですよ。なにせ公爵ともなると、味方もいますが、敵もいますからねぇ」
うーんと唸るジャネット。私がこういうのはどう?とジャネットの手に触れるか触れないかのぎりぎりの距離で手を置く。
「むっ……やりますね。奥様。数センチの空間が良い感じです」
「でしょ!?ちょっと腕がプルプルするけど、触れてないからセーフだし、お客様から見えないと思うのよ!」
「いい案です!これなら触れてないから旦那さまも大丈夫でしょう!」
「ジャネット!練習するわよ!」
「はい!奥様!!」
一時間、私とジャネットは互いの手が触れるか触れないか作戦の練習をしていた。それを偶然、見てしまったアルはこういった。
「何してるんだ?何の訓練だ?」
すごく不審な顔をされる。いったい誰のための練習だと思ってるのかしら!?一時間もしていたのに気づいてほしいわと私は頬を膨らませる。
「旦那様のための練習ですよう!あたしとシア様は結婚式の時に触れあわなくてすむようにしているんですよっ!健気なシア様に気付いてくださいよ」
ジャネットが説明してくれ、怒っている。
「ああ、すまなかった。そういわれるとそうだな。手を触れる場面があるな」
うーんとアルが顎に手をやる。そしてにっこりと笑う。
「まかせろ!司祭を買収しておく!」
『なんで!?』
そっちなの!?そっちを頑張るの!?お金で解決しちゃうの!?私とジャネットが思わずツッコミをいれた。
「旦那様、少しシア様の手に触れてみたらどうです?手袋をしているから大丈夫じゃありませんか?」
ジャネットが私の手を持って、アルに見せる。じっと私の手を見つめる。私は手の手入れを毎晩していてよかったなぁと思った。以前はガサガサと荒れていて、令嬢の手とは思えないものだった。
アルが自分の腕を上げて、私の手に触れそうになった。だけど、数センチのところで止まって、ぐっと拳を作り、腕を下げてしまった。その表情は悔しそうだった。
「旦那様、ダメですか……」
すまないと小さい声でアルが言った。ジャネットも少し残念そうだった。
「シア様の白い肌の手、きれいでしょう?ほら、ネイルもこのジャネットがさせてもらったんですが、淡いピンクの桜貝のような爪にしましたし、毎晩、香りの良いオイルでマッサージし、手入れしてるので、もちもちぷるぷるで触り心地最高なんですよ」
ジャネットが私の手をにぎにぎしたり、撫でたりする。
「おまえ、シアの手に触りすぎじゃないか?」
アルが険悪な声を出した。ハッとするジャネット。きまずい空気になる。
「えっと、でも……ジャネットの手のマッサージはすごく上手で、気持ちいいんですよ」
私がフォローすると、アルはジロリとジャネットを見た。
「ジャネット!手だけだからな!他は触るなよ!」
「ええええ!?ヘッドマッサージもしてあげてますが……」
「他のやつにさせろ!そんなにシアに触れるなよ!不愉快だっ」
そういって、なぜか不機嫌に出ていってしまったアルだった。私とジャネットは顔を見合わせる。
「あんな旦那様、初めてです」
ジャネットはそう言って肩をすくめたのだった。
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