第19話 初戦闘

「ん!?」


 焚火の薪を追加するために沢を上流へ向かったオレは、手ごろな流木を一抱え分ほど持って焚火の方へ戻る途中、急に背筋がゾクっとするような違和感を覚えて足を止めた。雪解け水の流れる春の沢は元々寒い。常に冷蔵庫の中みたいにヒンヤリしている感じだ。が、今感じた寒気はそんなのとは何かが違う。風だって大して吹いていないのに、急に体温を奪われたような何とも不思議な感覚だ。なんていうかな、怪談とかの怖いシーンでゾワッとするような感じ?


 焚火はここからあと20メートルほど先……ちょっとした段差になっている岩場の向こうでここからは直接火は見えないが、薄い白煙が上がっているのが見えている。周囲に特に何の違和感もない。何かの気配も感じない。が、何か分からないが向こうにヤバイものが居そうな感じがする。


 ……何だろう?


 ともかくここでジッとしてもいられない。とっとと戻って薪を継ぎ足さないと火が消えてしまうかもしれないじゃないか。まぁ、消えたとしても魔法で簡単に火は点けられるけど、せっかく点けた火は何となく消したくない。オレはさっきまでとは違って少し慎重に、ゆっくりと、様子を伺いながら歩を勧めた。そして……


 なん……だ、あれ?


 次第にさっきまでなかったはずのモノが見えてくる。段差になった岩場の向こうに見え始めたオレの焚火……そのさらに向こうに、何か巨大な生き物がいた。


 鹿?

 いや、デカいぞ!?

 カモシカ……じゃない!

 えーっと、何だっけ……そう、ヘラジカ!

 ヘラジカか!?


 焚火までざっと15メートル。その更に30メートルほど先にバカでかい鹿のバケモノが一頭、こっちを向いて立っていた。高さは、4m? いや、もっとありそうだ。多分、昨日オレらが乗ってたバスよりデカイ。それがジッとこっちを見ている。木陰になっているせいかもしれないが真っ黒な身体で、目だけが赤く光っていて雰囲気が尋常じゃない。そいつがブフーッとここまで聞こえるほど荒く息を吐いた。思わずビビるオレ……いや、あんなの見たら誰だってビビるぜ?


『オマエカ……』


 へ?


 何か声が聞こえた気がするが、周囲には誰もいない……多分。というのも、オレは目の前のヘラジカのバケモノに目を奪われて周囲を見回すことをすっかり忘れていたからだ。意味も分からず茫然ぼうぜんとしていると、また同じような声が聞こえた。


『オマエノ、ナノカ?』


 誰!? 何の声!?


 オレはこの時初めて周囲を見回したが、やっぱり誰もいなかった。てか、今聞こえていた声って、声だったか!? いや、耳から聞こえた音じゃなかったよな!?


 オレは思わず抱えていた流木を落とした。流木は河原の石に当たってガコン、ガランッ! と激しい音を立て、オレは情けないことにその音にビビった。すると再びヘラジカがブフーッと鼻を鳴らす。


『ヤハリ、オマエダナ?

 オマエ、ノダナ?』


 えっ!? 何が!?

 まさか、あのヘラジカが話してんのか?


 改めてヘラジカを見ると、ヘラジカはブフーッと再び鼻を鳴らしながら頭を下げ、ガツガツと前足で地面を蹴った。まるで何かを威嚇するみたいに……


『火、ダメ!

 ココ、森、縄張リ!

 火、許サン』


 この時、オレはようやく自分が怒られているらしいことに気が付いた。どうやらあのヘラジカのバケモノはオレが焚火をしていることに怒っているようだ。そういえばこの世界って魔物がいるんだっけ、ていうことはアイツは魔物!?


 ヤバイ!


 ひとまず謝っとこうなんていかにも日本人的なことを考えはじめた瞬間、ヘラジカの目の前に落ちていた岩が空中に浮きあがった。


 え……何あれ?


 ヘラジカは誰も触れていないのに高く持ち上げられていく岩を目で追うように頭を上げ、そして唐突に頭をブンッと振るように前へ下げる。すると、まるでヘラジカの頭から見えない腕が伸びていて、その腕で投げられたみたいに巨大な岩石が飛んできた。


「う……うおっ!?」


 ドガッ!! と、物凄い音を立てて岩石は焚火のあったあたりに着弾すると、焚火や周囲の流木や石などを弾き飛ばしてしまう。そこで止まらなかった岩石や岩石にはじき飛ばされた流木やら石ころやらがそのままの勢いでオレに向かって飛んでくる。オレは最初にヘラジカが岩を飛ばしてきた時点で自分の方へ飛んでくることを予想し、横へ飛んでいたから岩石の直撃は避けられたが、巻き込まれて飛ばされてきた石やら流木の破片やらはオレの周辺にガンガン落ちて来た。


「うっ!」


 地面に身体を投げ出した痛みで思わず呻き声が漏れる。そのほかにも小さな石やら何やらがオレの身体に当たったが、何とかダメージは最小限で済んだようだ。


 ヤベェ、何だアイツ!?

 この辺のボス!?


 オレは混乱する頭のまま身体を起こし、ヘラジカの方を見ると二つ目の岩を持ち上げている真っ最中だった。


 2撃目が来る!?

 ヤバイ!!


 オレはヘラジカの居ない方……すなわち、流木を拾って来た上流の方へ向かって走り出す。


 ドカッ!!


「うひぃーーっ!!」


 さっきまでオレが寝ていた場所に巨大な岩が着弾し、再び河原の石をいくつも弾き飛ばした。オレは咄嗟に両手を頭の後ろに組んで後頭部を守りながら必死に走る。


 冗談じゃない!

 いくら魔法があるファンタジーな世界だからって、いきなりあんなバケモノと戦えるか!

 オレはまだ、魔法で火をつけるくらいしかできないんだぞ!!


 しかしヘラジカはそんなオレの事情なんか知ったこっちゃない。ブフーッとここまで聞こえるほど荒々しく鼻を鳴らすと、オレを追いかけ始めた。


「マジかよ!?」


 ドカッ、ドカッという信じられないほど重厚感のある足音が後ろから追いかけてくる。そして、たまに岩も飛ばしてくる。走りながらだと大きな岩を持ち上げることができないのか、飛んでくるのは最初のよりはずっと小さい岩ばかりだが、それでもドラム缶の半分くらいの大きさはある岩石がドッカンドッカンと飛んでくる。まさか後ろを振り返りながら走ることなんてできないから、オレは当てられないようにジグザグに走った。そのせいでまっすぐ追いかけてくるヘラジカを引き離せない。


「くそぉ~~っ!!」


 ヤバイ、胸が揺れて走りにくい。最初に沢まで走って逃げた時は腹に丸めた服を抱えていたから、そのせいで胸が抑えられて揺れずに済んだんだ。今は上からタクティカルベストで抑えているだけで、胸が上下に揺れるのを抑える物が何もない。タクティカルベストの下で胸が上下に激しく揺れて、そのせいで乳首が擦れて痛い。

 オレは沢の流れに沿ってカーブを曲がった。今なら土手の影になってヘラジカからの射線が切れてるはず。オレはスピードアップを図ってジグザグに走るのをやめ、まっすぐ走る。


 ドガッ! バキバキバキッ!!


「!?」


 ヘラジカは土手越しに飛ばしてきた岩石は途中にあった立ち木をへし折り、スピードアップする直前にオレがいたであろう場所に正確に着弾する。そしてオレの進むべき方向に向かって、岩石によってへし折られた立木が倒れて来た。


「うそぉっ!? うぶっ!」


 オレは目の前に倒れて来た立木の枝葉のせいで突然できた茂みに突っ込む。いや、勢いが付きすぎてて避けようがなかったんだよ。両腕を顔の前でクロスして顔を何とか守りながらだったが、なんとか突っ切ることができた。スピードは殺されてしまったが、転びそうになりながらも辛うじて態勢を立て直し、再び加速する。その際、頭から脱げ落ちた帽子を空中でキャッチ!

 遅れてカーブを曲がったヘラジカは再び岩石攻撃を再開、オレもジグザグ走行を再開した。倒れた立ち木にヘラジカが立ち止まることを期待したが、ヘラジカの巨体にとってあんなものは障害物にもならない。ブワッと地面から2mくらい飛び上がって難なく飛び越えてしまう。


「ちっくしょぉぉお~~~」


 我ながら情けない声を上げながら再びカーブを曲がる。同じように土手越しに岩が飛んでくる。だが今回は立ち木は倒れてこなかった。おかげでちょっとだけヘラジカを引き離せたが、ヘラジカの勢いは一向に衰えないし逃げ伸びるにはまだ走り続けなきゃいけない。


 この身体で良かった。これだけ全力で走っているのにまだ息が上がらない。まだ走れる。転生前の身体なら、多分とっくに捕まって死んでる。


 バケモノに追いかけられて逃げるにしても、少し心に余裕が出来てきたようだ。走りながらそんな考えが浮かび、ヘヘッと顔に笑みが浮かぶのを感じた。多分、引きつり笑いだと思うけど……


 ドガッ!!


 今度は岩石がオレのすぐ近くに着弾し、思わず転びそうになる。ヘラジカの奴もオレのジグザグ走りに慣れて来たのかもしれない。このままじゃヤバい。クソッ!


 オレの目の前に流木と岩が積みあがったような土手が現れた。オレは走る勢いのまま、その土手を駆け昇る。


「うっ!? くっそ!!」


 その土手の向こうは池になっていた。流木と岩石が自然に積み重なり、ダムみたいな自然の溜池を作っていたんだ。オレは水に飛び込みそうになるのをギリギリのところで踏みとどまり、咄嗟とっさに右へ横っ飛びに身を投げる。すると、オレが立ち止まったあたりにヘラジカの岩石が着弾した。


 ドガッ!!


 岩石はオレがさっきまで立っていた足場を吹き飛ばし、ダメージを受けずに済んだオレは立ち上がるとそのまま森の中へ飛び込んだ。すると次の瞬間、オレの背後で聞いたことも無いような重々しい音が聞こえ始める。


「な、何だ!?」


 茂みの影から振り返るオレの目の前で、さっきオレが駆け上った自然のダムが崩壊しはじめていた。ドドドドドという腹に響くような水音と、ガラガラという岩石や立木が崩れ流されていく音が周辺を支配する。


「ハ、ハハ……助かった?」


 オレはそこからオレが走ってきた沢の下流の方を振り返った。流されたのか、それとも逃げたのか……ともかく、そこにヘラジカの姿は無かった。


「ハッ、自業自得だ。

 ざまぁ……」


 オレは力なく笑いながら、そこにへたり込んだ。情けないことに、膝が笑っていた。

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