ウマシカコンビ

第7話 馬場さんと鹿島さん

 見た事も無い森の中での全力疾走……アラフィフの身体では10秒と続かなかった。それでも何とか脚だけは動かし続け、歩いたり小走りになったりを繰り返しながらなんとか300mは離れただろうか……背後から追ってくる気配がないことに気づいた二人のオッサンはようやく一息ついた。


「お、追って、来ないね……」


「みんな、黒田クンの方へ、行ったんじゃ、ないかな?」


 振り返っても誰の姿も見えない。誰かが追ってくるような音も聞こえない。森の中を風が吹き抜けるサラサラという音がかすかに聞こえるくらい。小鳥のさえずりも聞こえないのは、おそらく二人のオッサンがゼーハーゼーハーと荒い息をしているから、鳥たちも鳴りをひそめて様子をうかがっているからだろう。


「アラフィフの、派遣社員なんか、わざわざ、追っかけるまでも、ないってことか……」


 馬場ばばが苦しい胸を手で抑えながら自嘲じちょうすると、鹿島かしまあえぎながら失笑する。


「フフッ、おかげで、助かったじゃない。

 何がこうじるか、分かんないもんだよ」


 随分と体力が無くなったもんだ。運動不足は自覚してたけど、それにしてもこんなチョット走っただけで……


 二人は無言のまま息を整える。再び口を利けるようになるまで、たっぷり2分はかかっただろうか。


「さて、どうする鹿島さん?」


「まさか戻るつもりは、無いよね馬場さん?」


「まさか……酷いとこだと思ってたけど、あそこまでとはね」


 二人はブラック企業で働いていた派遣社員だった。いや、彼らが所属する派遣会社自体は別にブラックではない。派遣先が同族経営のブラック企業だったのだ。創業者が生きている間はまともだったのだが、創業者が無くなり代が変わった途端にブラック化した。「らしい」というのは二人ともそうなる前の会社を知らなかったからだ。二人はブラック化してから派遣された。


「異世界転生か……いや、身体がこのままだから異世界転移?

 もう会社なんてないってのに、アレだからねぇ……」


 社員強制参加の親睦会バーベキュー大会から、会場までの移動用バスがまるごと異世界転移……もう会社も何も、社会基盤が丸ごと無くなったっていうのに、経営者一家は独裁者気取りだった。そこに若手社員が反発、それに怒った経営者一家がブチ切れて「裏切り者を殺せ」などと騒ぎ始め、そこから逃げざるを得なくなった。二人は反発した若手社員をかばうような発言をしたために、その巻き添えを食ってこのザマである。


「まったく、あれじゃブラックリスト入りするわ……」


 会社は新任専務のパワハラが酷いというので問題が多く発生していたため、ハロワからは求人紹介を拒否され、複数の派遣会社でもブラックリスト入りしていた。その結果深刻な人手不足に陥り、現社長が二人の所属する派遣会社に土下座同然で頼みこみ、二人の待遇だけは絶対に保障するという約束をしてようやく馬場と鹿島の二人が派遣されたのだった。実際、社長は約束を守ってくれ、息子でもある専務が二人に文句を言おうとするとどこからでも即座に駆け付けて守ってくれてた。二人は会社の設備の維持管理に必要不可欠な技術者であり、二人に辞められたらもう会社は立ち行かなくなってしまうからだった。


「ホントだよ……

 あ~あ、どうすっかな異世界こんなとこに来ちまって……」


「あっ!」


 鹿島が伸びをするように嘆くと、馬場はハッと何かに気づいたように声をあげた。


「何!?」


 驚く鹿島を馬場は恐る恐る見る。


「あの、さっきの『戻る』って、ひょっとして元の世界にって意味だった?」


「いや!?

 違う違う!」 


 鹿島が否定すると、馬場はホッと胸を撫でおろす。


「あ~、そう」


「だって元の世界に戻ったら死んじゃうんでしょ?

 ボク死にたくないもん!」


 彼らは《魔法の宝珠ほうじゅ》を各自一つずつ渡されていた。それを使えばこの世界で好きな存在に転生したり、思い思いのチートスキルを手に入れたりすることができるが、そのまま元の世界に戻ることも出来る。

 だが彼らはガードレールを突き破って崖から空中に飛び出したバスに乗ったまま丸ごと異世界転移してきた。だから元の世界に戻ると地上から三十メートルの空中へ転移することになる。つまり、戻ったら転落死が待っているわけだ。


「いやぁ、だって私はひとりだけど、鹿島さんは御家族がいらっしゃるじゃない?」


 馬場が下手な気遣きづかいを見せると、鹿島は何かを諦めたように苦笑いを浮かべる。


「そうだけど……もう、離婚してるしねえ」


 鹿島は脅威の×3だ。三人の元・妻との間にそれぞれ子供がおり、少なくない養育費を払っていた。


「今年、一番下の子が高校卒業したし、大学通ってる子の学費はもう卒業するまでの分は納めてあるからね。

 戻ったところですぐに死んじゃうんじゃどうせ再会できないし?」


「そうだろうけど……」


 馬場は続きを言い淀んだ。

 鹿島はこの世界に転移してきた。戻らなければ、鹿島の振り込む養育費で生活している元・妻や子供たちは、送金が途絶えて困窮こんきゅうすることになるだろう。それでも戻れば……鹿島は確実に死ぬが、死体が残るので鹿島の死は公式に確定する。つまり、生命保険金が居りて鹿島の家族に渡ることになるのだ。しかし戻らなければ、元の世界にはもう居ない、実質死んだも同然だというのに死は認められない。行方不明者として扱われることになる。行方不明者の死が認められて生命保険が降りるのは、行方不明になってから何年後だったか……。

 だがそれを言うのは鹿島に自死を勧めるようなものだ。馬場は自分が何を言おうとしているか気づき、小さな自己嫌悪を噛みしめてそれ以上言うのは止める。


 ……余計なこと言っちまったか……


「ああ、うん、悪かったよ」


「いや、謝らなくていいよ」


 二人は改めて深呼吸した。


「じゃあ、この世界でどう生きようか……」


 しばしの沈黙の後、遠くで鳥の声が聞こえ始めて馬場がポツリと問う。


「ひとまず当面の水と食料だね……」


「それはそうだね。

 私ら、元の場所から北へ逃げてきたはずだから、このまま北へ行く?」


「そうだね、少なくともアイツらからは離れよう。

 再会したら、今度こそ何されるか分かんないし」


 二人は元来た場所から離れるように北へ向かって歩き始める。


「それにしても黒田クン、逃げられたかな?」


「こっちに追手が来てないってことは、逃げられてるんじゃない?」


「若いからなぁ……」


 馬場は黒田が若くて体力があるから逃げられただろうという予想してみせたつもりだったが、鹿島は黒田が若さゆえに専務に反発してこうして逃げるハメに陥ったことを憐れんでいるのだろうと勘違いした。


「悪目立ちしてたからねぇ……」


「え!? ああ、うん」


 鹿島の答えがよく聞き取れなかった馬場はそのまま適当に相槌を打ち、歩き続ける。だが二人はアラフィフ……それも普段運動してないアラフィフである。慣れない山中を歩いて息が上がるのに10分とかからなかった。それでも頑張って歩き続けたが、腕時計の分針が半周もしないうちに限界を迎える。


「ちょ、ちょっと休憩しない、馬場さん?」


「あぁ、あぁ、うん……私も、そろそろ、休憩しようと、思ってたとこ」


 多分、二人は1キロかそこらしか進んでないだろう。登りも降りも無視して、ただまっすぐ北へ向かって歩き続けた結果、距離も稼げないうちに体力を消耗してしまったのだ。

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