第5話 いきなりスプラッター
オレの目の前で
まずい……
オレは後ずさりながらいつでも動けるように腰を落とす。腰を落とすとズボンが締まり、尻ポケットに入った財布とスマホが尻に食い込んだ。やっぱりこのままの恰好じゃ満足に動けそうにない。走れと言われても多分、存分に走れないだろう。それなのに邦男の相手をする? まあ無理だ。
体格は明らかにアチラが上、体力だって去年まで大学でラグビーやってた奴に運動不足のアラサーが勝てるわけがない。おっと、今はダークエルフだった。
そう言えばいつの間にか息切れが終わってるけど、この身体ってどうなんだ?
どの程度動ける?
転生……っていうより、変身か? あの時に感じた
上半身は胸はオッパイが膨らんだせいでパッツンパッツンになってるが、それ以外はダボダボだ。ジャケット代わりに羽織ってるシャツを脱げば、下に着ているTシャツにはきっと乳首が浮き上がってるだろう。
下半身はウエストと膝から下はスカスカのダボダボだが尻回りはやっぱりパッツンパッツンに張ってる。ジャージみたいに伸縮性のある服なら動けるだろうが、今履いてるのはジーンズだ。せめてストレッチ・ジーンズなら伸縮性があっただろうが、スーパーの衣料品売り場で安売りしてた一本二千円しない奴で伸縮性なんかこれっぽちもない綿100%。おかげで頑丈だし昨夜の寒さにも耐えられたが、硬くて運動には向いてない。それが運動不足のせいで学生の頃より細くなった尻回りと太腿に合わせるようにサイズを選んだから元々小さめだったんだ。その上尻の左右のポケットには二つ折りの財布とスマホがそれぞれ入れっぱなしで、脚を動かそうとするとズボンに締め付けられてイチイチ尻に食い込んでくる。仮に体力が大丈夫だったとしても多分走るのは無理だ。今は乾いてるからいいがこれが雨に濡れてみろ、肌にピッタリ張り付いて拘束具みたいに身体を締め付けるだろ? そうなったら歩くのにすら支障が出てくるかもしれん。
そして足……靴はどうもワンサイズ小さくなったようだ。特に幅はワンサイズどころではないらしく、さっきから足の納まりが悪い。履き心地の良さを優先した靴紐の無いプレーンなウォーキングシューズは、歩くのは楽だが運動には向いていない。さっきここまで逃げる時でも何回か脱げそうになってたんだ。今じゃ下手に動いただけですぐにスポッと脱げてしまうだろう。
これで邦男の相手をする? 冗談だろ、無理に決まってる……
できれば何とか衝突を回避してやり過ごさないと。
「お、落ち着け
オレだって殺そうと思って殺したわけじゃない」
「嘘だ!
後ろが崖なのは知ってたはずだ!
それなのに
「違う!
だいたい、身体がこんなんなっちまったばっかなんだぞ!?
勝手がわからないのに、手加減なんかできるわけないだろ!」
オレの反論に邦男は目を剥いた。
「やっぱり! 手加減する気なんか無かったんじゃないか!!」
しまった……口が滑った。
「ちっ、違うって!
他にやり様がなかったって言ってんだ!
正当防衛って奴だよ!!
それともお前、あのまま犯されてりゃよかったってのか!?」
「一発ぐらい、やらせてやりゃよかっただろ!?」
何言ってんだコイツ!?
「あの人は口ではああいったって、どうせ体力はないんだ。
一発か二発もやりゃ満足して納まったのに!」
「馬鹿言え!
中出しされたら相手を好きになっちまうってアイツ言ってただろ!?
そんな身体で一発だってやられてたまるかよ!」
「す、す、好きになったんなら余計に問題ないだろうが!!」
邦男のことは多少は可愛く思っていたからオレも先輩社員として少しぐらい面倒を見てやるつもりだったが、そんな気持ちは今この瞬間に消え去った。
ダメだコイツ、やっぱり兄弟だわ……
オレはスッと立ち上がり、いつ邦男が動いても良いように警戒しながら手早くズボンの尻ポケットに入っていた財布とスマホを取り出して捨てた。そして右の前のポケットに手を突っ込み、中に入っている物を取り出すと右手に握りこみながらすぐに腰を落として元の通りに身構える。
ポケットから余計なものが無くなったのでさっきより尻周りがだいぶ楽になった。
「どうやら見逃しちゃくれないみたいだな?」
「当たり前だ。
黒田さん、アンタはもう
今ここで、死んでもらう!」
そう言うと邦男は飛び掛かってきた。女ダークエルフにされてしまった今、邦男とオレの体重差は多分倍以上あるだろう。まともに受けたら勝てるわけがない。オレは即座に横に飛び、前回り受け身の要領で地面に身を躍らせると、そのままの勢いを活かして立ち上がった。
邦男はタックル失敗に気づくとすぐに態勢を立て直し、オレに向かって身構える。
このままマトモにやり合っても勝てない。体力も体格も向こうが圧倒的に上……だが、体力で勝てない相手をやっつける方法はさっきアホ専務が教えてくれた。あのアホに学ぶのは
俺は頭の中でどうやって逃げようかずっと考えていた。このままここから逃れたとしてもコイツらがどこまで追いかけてくるか分からない。仮に追いかけるのは諦めたとしても、逃げた先でバッタリ再会してしまったらまた逃げなきゃいけないかもしれない。コイツらがオレを追うのを永遠に諦めるようにしなきゃいけない。そして今、その考えとアホ専務が見せてくれたアイディアが結びついていく。
オレは邦男を
「いつまでも、そんな派手な避け方出来ると思うなよ!?
俺の方が体力あるんだ!」
「思っちゃいねぇよ!」
オレがそう言うと邦男は再び襲い掛かってきた。両手を広げ、さっきより背を高くして……オレはその腕の下をくぐるように身を丸め、突っ込んでくる邦男の左脇をくぐるように、やはり前回り受け身の要領で飛び出した。
「うあっ!?」
邦男の左腕の下をくぐったオレがそのまま前回り受け身に入ろうとした瞬間、突然頭を強引に引き戻され、その場に態勢を崩して倒れ込んでしまう。
「捕まえたぜ、黒田サンよぉ!?」
地面に転がったまま目を開けると、邦男は勝ち誇ったように白い繊維の束を掴んで見せていた。
何だアレ……オレの、髪!?
どうやらオレは女ダークエルフになったせいで髪が伸びていたらしい。妙に頭が重いとは思ったんだ。
「さぁ起きろよ!
顔が二倍に膨れるくらいまでブン殴ってやる!」
そう言うと邦男は掴んだオレの髪を引っ張った。
「ぐあっ!?」
頭皮全体を引っ張られる痛みで声が漏れ、表情が歪む。オレは右手で身体を支えながら開いている左手で髪を掴もうとするが、邦男は釣り針に食いついた魚を引っ張り上げるみたいに右へ左へとオレの髪を引っ張りまわす。おかげでオレの左手はいつまで経っても自分の髪を掴めない。
「やめろ!
放せ邦男!!」
「うるさい!
一茂さんはそんなこと言う暇もなく殺されたんだ!!」
そりゃアイツは一方的に攻撃する側だったからだろ!? ……などと反論する暇はない。というか、そんな余裕はオレには無かった。右へ左へ、激しく髪を引っ張られて態勢を整えるどころか、立ち上がることさえできないオレはそのまま反撃に出た。右手に持っていた《転生のタマゴ》を邦男に、目の前にそびえたっている邦男の二本の脚に向かって叩きつけた。
「うっ……あっ!?
何をしゅボォロロロロ……」
俺の頭上で何か言おうとした邦男の言葉は、途中からゴボゴボと泡立つ異音によってかき消されてしまう。オレは邦男が髪の毛を放したのを感じると、そのままバッとその場から離れた。
邦男は立ち上がったまま両手で喉の辺りを抑えているが、その両手の指の隙間からは血が派手にあふれ出ていた。
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