脚本

緋雪

前編

 僕は、17歳になったばかりの、普通の高校生で。取り柄と言えば、背が高いことくらい。それ以外は、取り立てて目立つようなことはなかった。


 身長は、185cm。入学した時は、バレー部やバスケ部に散々勧誘されたが、ただただ背が高いというだけで、スポーツ経験もなく、運動音痴だとわかると、運動部からは早々に相手にされなくなった。


 もっとも、僕は、部活には興味がなかったんだけど。




「ねえ、瀬尾せお君、田辺たなべ先生、どこにいるかわかる?」

 授業終わりの混んだ廊下で、急に僕のシャツの袖を引っ張ってきたのは、同じクラスの矢野やの詩織しおり

 田辺先生は、西階段を降りるところだった。

「西階段を降りてってる」

 ボソッと詩織に答えると、

「ありがとー。助かるぅ! またね!」

 そう言ってニコッと笑って僕を見上げ、手を振ると、彼女は駆けていってしまった。


「あ、俺の身長が必要だっただけね」



 矢野詩織は、僕の目から見ても、可愛い。明るくて元気で優しいからだろう、皆に好かれていて、友達も多い。150cmないらしい背の低さが、彼女の悩みらしかったが、そこがまた小さくて可愛らしいと思っていた。

 実は憧れの存在だった。

 もっとも、彼女の視界に、僕が入っているとは到底思えなかったけど。


 

 2ヶ月に1度の席替えで、僕は一番前になった。くじ引きだから仕方がないのだけれど。逆に、詩織が同じ列の一番後ろの席でウケまくっている。

「せんせーい、瀬尾くんの背中しか見えませーん」

「そうだなあ。瀬尾、替わってやれ」

「あ、はい」


「ありがと。ごめんね、瀬尾君」

「いや、俺の方こそ」

 すれ違いざま、それだけの会話を交わして、席を替わった。

 そんな、ほんの少しの会話が、僕には嬉しかったし、それ以上望んだことはなかった。



 矢野詩織は演劇部に入っている。身長は小さく、華奢だけれど、演技の上手さと、遠くまで届く透き通った力強い声は、皆を虜にするほど素晴しいと聞いた。

 

 僕は、そんな華々しい世界とは無縁な帰宅部だった。


 ただ、やりたいことはあった。


 こっそり、小説を書いていたのだ。

 作家になりたいとか、そんな大層なことではなくて、ただ、趣味の域で。



 僕は、時々、資料を探しに、放課後、図書室を訪れた。何冊もの本を開いては、いろんな情報を、「資料ノート」の方でまとめていく。スマホからでも大体のことはわかる。でも、紙の資料だと、そこから少し離れたところで意外な事実などを知ることができたりもする。だから、僕は、スマホの情報も、図書室の本も読むことにしていた。

 ミステリーだけでなく、恋愛小説にしても、いい加減なことは書きたくなかった。その辺りは、しっかり調べて資料ノートを作ってから書いていた。


 キーンコーンカーンコーン


 いつの間にか下校時刻がきていた。僕は数冊の本を借り、図書室を後にした。

 


 玄関で、同じクラスの真鍋まなべ翔太しょうたと出くわした。

「お、匠海たくみ、今、帰りか?」

 幼稚園からの幼馴染。翔太は野球部だ。

「うん。お前、これから部活?」

「教室で補修のプリントやっつけてた」

「大変だな」

「部活に時間持ってかれてるからな。バカはしかたねえよ」

 と、笑いながら靴を履いて、翔太が振り返った。

「あ、お前、机の下にノート落としてたぞ」

「えっ?」

「矢野が拾って、中見てたみたいよ」

 そう言うと「じゃあな」と、翔太は駆けていってしまった。


「……ノート?」


 僕は、カバンの中を確かめる。 

「やっば、マジか?」

 玄関から教室へと走った。

 資料ノートに気を取られていて気づかなかった。筋を書いている執筆ノートの方を落としてきてしまったようだ。


 慌てて教室に飛び込む。

 僕のノートを矢野詩織が読んでいた。


「落ちてたから」

「だからって勝手に読むなよ」

 近寄り、ノートを取り上げようとすると、詩織はノートを大切なもののように抱きしめた。

「これ、すっごい、いい!!」

 褒められて悪い気はしない。でも、

「まだ書きかけなんだよ。返せって!」

「ねえ、私、この主人公、演じたい」

「いや、演じるとかそんなんじゃなくて!」

 僕はようやく彼女からノートを取り返した。

「書いてよ! ねえ、続き!」

「続きって……」

「待ってるから! 待ってるよ! じゃあね〜」

 詩織は楽しそうに笑うと帰ってしまった。



 それからというもの、僕は、詩織と時間に追いかけられることになった。

「瀬尾君、この前の続きは? 続き!」

「まだ大して進んでないよ」

「いーのいーの、見せて見せて!」

「恥ずかしいんだよ」

「あそこまで読んだんだから、もう何も恥ずかしくない、恥ずかしくない!」

「お前が決めんな」


 そんな感じで、少しずつ、詩織は僕の作品を読んでいった。


「どう?」

 ある日の放課後、結局最後まで読んだ詩織に、僕は感想を聞く。

「すっっっごく、いい!」

 彼女は、ノートを抱きしめ、ウルウルと、涙をためて、僕の方を見た。ドキッとする。ヤバイ、可愛い。


「ロミジュリだわ、ロミジュリ!」

 詩織は涙をチョンと指先で拭いながら言う。

「ロミジュリ?」

「ロミオとジュリエットじゃん! くぅ! 泣けるねえ!」

 

「……」

 少しの間があった。

「えっ? 私、なんか変なこと言った?」

 詩織は何も気付いていない。

「いや、いいんだ。感想ありがとう」

「どう……どうかした?」

「いや、一回書き直す」

「なんで?」

「うん、いや、ありがとう。また読んで」

 情けない笑顔で、彼女に手を振った。


 まだ明るさを残す空に、薄っすらと月が出ていた。


「『ロミジュリ』かあ。まあ、どう頑張っても勝てる相手ではないんだけどね……」

 自嘲して、深くため息を付いた。

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