第29話 ◇とある劇場が潰れるまで その3◇

「まったく、バッカじゃないの? 幻影で雨なんて降らせられるわけないじゃない!」


 酔っ払いがたむろする安酒場。そのカウンター席で女がひとり酒をあおっている。

 酔って赤い顔と派手な赤い服。幻影魔法使いのダイカンだ。

 目障りだったリッカを追いだして一時期とても機嫌のよかったダイカンだが、最近はいつ見かけても顰めっ面。眉間のしわが消えることはない。


「誰も彼もが、リッカ、リッカ、リッカって。みんな、あの幻影魔法使いに騙されているのよ。あいつが使っているのは、絶対幻影魔法じゃないのに!」


 もしもこの場にトウジがいたのなら、彼はきっとダイカンの言葉に全力で同意したことだろう。

 ただ、ふたりが決定的に違うのは、ダイカンがリッカの魔法を価値のないイミテーションだと思っているのに対し、トウジは世界にふたつとない至高の魔法だと思っていること。


「幻影を魔法にかかっていない人にも見せられるだけでもおかしいのに、その上、雨の幻影を見せた日には実際に雨が降る? ……あり得るはずがないでしょう!」


 そんなこと、あったらおかしい!

 ごく当たり前の常識を言っているのに、リッカを知る人々はダイカンに失望の目を向けるのだった。


『ああ、どうしてリッカさんが来てくれなかったんだ?』

『あんたじゃダメだ』

『前の支配人は、きちんと約束を守ってくれたのに……』

『リッカさんは、どこですか?』


 目の前にいるダイカンを無視し、リッカを求める人々。

 思いだしただけで、ダイカンの顔は歪む。


「フン、リッカはもういないわ。支配人に追い出されて行方不明。きっと今頃どこかで野垂れ死んでいるに違いないんだから!」


 どんなに望まれようともリッカが戻ることはない。ダイカンを疎んじた者たちの願いは、決して叶うことはないのだ。

 ザマアミロとダイカンは思い、また酒を呷った。

 いつまでもリッカが現れなければ、今は彼女を求める愚か者たちも、いずれはリッカの存在自体を忘れ去るはずだ。


「その時になって私の幻影魔法を見たいと言ったって遅いんだから! 絶対に見せてやらないわ!」


 ――――ああ、でも跪いて請うならば少しぐらいなら幻影魔法を使ってやってもいい。もちろん対価は十倍……いや、百倍もらうけど。


 自分をバカにした者たちが、媚びへつらってくる姿を想像し、ダイカンはようやく溜飲を下げた。


 ――――そんな彼女の肩に手がかかる。


「今の話、詳しく聞かせてもらおうか?」


 声をかけてきたのは、一見どこにでもいそうな普通の男だった。


「ああん? 誰よ、あんた」


 酔っ払ったダイカンは気がつかない。

 いつの間にか店内には人っ子ひとりいなくなり、自分とその男しかいないことに。


 ダイカンは、ジッと男を見た。……そしてニッと笑う。


「あら? よく見れば結構いい男じゃない。私の話が聞きたいの? いいわよ。なんでも聞かせてあげる」


 ダイカンの言葉を聞いて嗤った男の目には、光が見えない。

 酔ったダイカンは、そんなことにも気づかずに男から奢られた酒を上機嫌で呑んだ。







 ――――それから数時間後。


「やはり、リッカさまはもう劇場におられないようです」


 派手さはないが品よく落ちついた部屋の中。先ほどダイカンに近づいた男が、別の男の前で跪き報告を上げている。


「そうか。……原因は支配人が変わったことか?」


「はい。どうやら新支配人は前の支配人からなにも聞いていなかったようです」


 報告を聞いていた男は、ギュッと拳を握り締めた。苛立たしげに椅子の肘掛けを指でトントンと鳴らす。

 跪いていた男は、深く頭を下げた。


「申し訳ございません。我らがもう少しリッカさまの周囲に目を配っていれば――――」


「いや。それは仕方あるまい。リッカへの過干渉を禁じたのはだ。王命に逆らうわけにはいかぬ」


 男の謝罪を止めた男は、この国の王太子だった。

 アイスシルバーの髪とロイヤルブルーの瞳。誰もがぬかずきたくなるような雰囲気を持つ王族が、ひとりの女性――――リッカの行方を気にしている。


「……それでも、今少し早く動きだすべきだったか」


 後悔の呟きが、形のよい唇から漏れた。


 王太子は、ある日を境にパッタリとリッカの幻影魔法が上演されなくなったときから嫌な予感がしていたのだ。何度劇場に催促してものらりくらりと躱され、あげくリッカは病気だなどと支配人が言いだすものだから調べてみればこの有り様。正直、なんてことをしでかしてくれたのだと、支配人を八つ裂きにしてやりたい気持ちでいっぱいだ。


「あれほど貴重な魔法使いを放逐するなどと……いくら知らなかったとはいえ無能が過ぎるな。あの劇場への援助は取りやめだ。もう二度と行かないからロイヤルボックスも空けておく必要はないと伝えてくれ」


 王太子の口調は冷たかった。

 跪いていた男は、なお深く頭を下げる。


「はっ! ……リッカさまを連れ戻されますか?」


 王太子は少し返事を言い淀んだ。

 できることならば、今すぐ持てる力のすべてを使ってリッカを捜しだしたい!


 しかし――――。


「……止めておこう。リッカの意志が最優先だからな」


 それは父王に重々言われていること。

 何があってもリッカの行動を遮ることなかれと。


「彼女には、我が国に――――できれば私のにいてほしいと願うが……彼女の自由を損なうことはできない。そんなことをすればと、父王陛下はおっしゃっているからな」


「国が滅ぶ……ですか?」


「ああ。彼女にはそこまでの力があるのだそうだ」


 とても信じられないことだが、国王はそう言った。

 現国王の趣味は魔法神典の解読。各国の王室にされ秘宝として継承されるその本は、読み解けば世界創世の秘密さえ手に入るのだとか。

 難解な本を僅かながら解読している国王は、リッカの存在を知ったそのときから、彼女にと厳命していた。


 だからこそ王太子は興味を引かれたのだが。


「リッカに手出しはならぬ。……だが、行方を探るくらいはかまわぬだろう。彼女が今どこでどうしているか、それくらいは調べてくれ」


「はっ!」


 王太子の名を受けた王家の影は、そのまま姿を消す。



「……リッカ」



 誰もいなくなった部屋に、王太子の声が空しく響いた。

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