第28話 ◇とある劇場が潰れるまで その2◇
「くそっ! なんだこの数字は?」
支配人室からは、今日も怒鳴り声が響く。
「なんだと言われましてもぉ~。今期の売り上げですけれどぉ~?」
妙に間延びした声で返すのは、化粧の濃い中年女性だ。彼女の視線は支配人の後ろの壁にかかっている時計で、支配人など見ていない。
「また前期より落ちているじゃないか!」
「実際落ちていますからぁ~」
女性の仕事は収支のとりまとめだ。日々や月ごとの実数を積み上げているだけの資料を上げている。
「どうしてこんなに落ち続けているんだ!」
「さぁ~? 人気がないからじゃぁないですかぁ~? そういうのの分析は、私のお仕事じゃありませんからぁ~」
女性はあっさり肩を竦めた。
「こ、こ、このっ、役立たずがっ!」
真っ赤になって怒鳴る支配人などどこ吹く風。時計ばかりを見ていた女性は「あ!」と嬉しそうな声を上げる。
「退社時間になったのでぇ~、もう帰りますねぇ~」
「なっ!」
「お疲れさまでしたぁ~。あ~、もし私をクビにするなら早めにお願いしますねぇ~。つぶれて退職金がもらえなくなる前に辞めたいですからぁ~」
自分から辞めるのと雇用主が辞めさせるのとでは、もらえる退職金の額が違う。それだけが女性が自分から辞めない理由だった。まあ、それも劇場がつぶれてしまっては元も子もないので、そろそろ見切りどきかなぁとは思っているのだが。
女性は、どこか期待をこめた視線を支配人に向ける。
しかし、ギュッと拳を握り締めた支配人は黙ったままだった。――――実は、次から次へと退職者が続出した劇場は、もうこれ以上誰も辞めさせられないほど追いこまれているのだ。さすがの暴君支配人も、自分の感情だけで突っ走ることができないことぐらいは、理解させられていた。
落胆のため息をつきながら、女性は支配人室を出ていく。
「クソッ!」
ドアがバタンと閉まったとたん、支配人は悪態をついた。
「どいつもこいつも使えない奴ばかりだ!」
使えるような優秀な人間はいち早くいなくなったのだから当然だ。
睨むように書類を見ていた支配人だが、ある一点に目を止めると慌ててドアに駆け寄り大きく開けた。
「おいっ! 戻ってこい! この数字はどういうことだ!?」
呼び戻したのは先ほど出ていった女性。
「え~? 勤務時間はもう過ぎたって言ったじゃないですかぁ~。残業代しっかり請求しますからねぇ~」
ブツブツ言いながらも女性は戻ってきた。
「いいから早く来い!」
支配人は女性を部屋に引き入れドアを閉める。机の前に引っ張ってくると、先ほど女性が提出した書類の一カ所を乱暴に指し示した。
「ここだ! この数字は、セアハラ領への地方公演の収益だろう。なんで謝礼が昨年の三分の一になっているんだ? 公演規模は昨年同様だったはずだぞ!」
資料の表には昨年の実績も載っていたのだ。おかげで劇場の収入があり得ないほど下がっていることがよくわかる。
セアハラ領は、この国の中でも雨季と乾季がはっきり別れる気候の地方だった。なぜか劇場は、毎年乾季まっただ中のこの時季にセアハラ領への地方公演を行っている。
「え~? だからぁ、数字の内容については、私はわからないって言っているじゃないですかぁ~。そういうことは、別の人に聞いてくださいよぉ~」
「これだけ大きな金額なんだ! 少しぐらいはわかるだろう!」
バン! バン! と机を叩かれ、女性は顔をしかめる。仕方なさそうに少し考えて「ああ」と呟いた。
「たしかぁ~、雨が降らなかったせいですよぉ~」
「……は? 雨?」
思いも寄らぬ言葉に、支配人は目を丸くする。
「ええ、そうですぅ~。セアハラ領との契約書にそう書いてあったんですよぉ~。謝礼は『基本料金+公演期間中に雨の降った日数に定額を乗じた額とする』ってぇ~。例年公演期間中はほとんど雨なのに、今年は一日も降らなかったそうですよぉ~」
女性の説明を聞いた支配人は……怒りだした。
「なんだ、その契約は! 雨が降るのと公演となんの関係もないだろう!? 誰がそんな契約を結んだんだ!」
もちろん契約者は支配人である。前年と同じ内容だと言われ、中身などまったく読まずにサインした彼自身だ。
女性は白い目を彼に向けた。
「……まあ、たしかにおかしな契約ですよねぇ~。でも事実そうなっていますしぃ、前年まではそれで十分な利益が出ていたんですぅ~。……なんでもリッカさんって人が、雨女だったみたいですよぉ~」
「――――リッカ?」
支配人は、棒をのんだような顔になった。
「リッカさんが『雨のナントカ』っていう幻影魔法を上演すると、必ず雨が降るんですってぇ~。雨女って運がいいっていいますしぃ~、リッカさんって幸運の女神だったりするんじゃないですかぁ~?」
女性はのんきそうに笑ってそう言った。
「じゃぁ私は帰りますねぇ~」
今度こそ女性は帰っていく。
残され固まっていた支配人は、やがてブルブルと震えだした。
「……またリッカか! クソッ、あの忌々しい疫病神め! いったいどれだけ
リッカがいなくなってから、劇場は右肩下がりに収益を減らしている。客が離れ幻影魔法自体の評判も下がっているのだ。
「いまだに第三王女殿下は、リッカの幻影魔法を催促してくるし――――」
再三再四せっつかれ、苦し紛れに『リッカは病気療養中です』と答えれば、第三王女のみならず王太子まで見舞いにきたいと言われる始末。
なんとか思いとどまってもらっているが、いつまで誤魔化せるかわからなかった。
「それもこれも全部俺に黙って行方をくらましたリッカのせいだ。……チクショウ、見つけたらただじゃおかん!」
語気荒く忌々しげに怒鳴る支配人の頭には、自業自得なんていう言葉は欠片もない。
支配人がこの調子では、リッカのいなくなった劇場が持ち直すことなど、夢のまた夢でしかなかった。
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