第30話 美味しいは正義です

 マルグレブの町外れに建つ小さな一軒家。

 豊かな森を背景にした赤い屋根の家の庭に、リッカは腰に手を当て立っている。


「そこを耕し終わったら、次はこっちにうねを立てましょう!」


 リッカの呼びかけに手を上げ笑顔で応えるのはトウジだ。グレーのつなぎ服に黒い長靴、麦わら帽子を被った農家姿の青年は、爽やかさ満点。どうしてこれで品まで感じられるのか不思議で仕方ない。


(ま、トウジだものね)


 わからないものは考えても無駄だ。リッカは早々に思考を放棄する。

 森から吹いてくる風に、耕したばかりの土の匂いが混じった。


「ここにはなにを植えるんだい?」


 ダンジョン宝箱から手に入れた新品のをふるいながら、トウジが聞いてくる。


「ローズマリーの予定よ。スープやシチューに使えるし薬用にも使えるの」


 薄青色の花も美しくサラダの飾りにもできる優れもののローズマリーをリッカは気に入っている。しかも丈夫で育てやすいのが最高だ。


「そっか。今から収穫が楽しみだね」


「来年以降になっちゃうけどね。そっちに植える予定のバジルなら、数ヶ月で収穫できると思うわ」


 バジルも肉や魚料理にもってこいのハーブだ。寒さには弱いがドライハーブにすれば長期保存もできるし、利用範囲は広い。


 まだまだ植えたいハーブや野菜を思いだし、リッカは胸をわくわくさせた。

 それは手伝うトウジも同じようで、ふたりは「あそこにはこれを」「これも植えたいね」などと会話しながらガーデニングに精をだす。





 ――――そして数時間後。

 畑を耕し終わったトウジとリッカは、庭に設置したテーブルを囲み遅めの昼食を食べていた。

 本日のメニューは、オリーブオイルにニンニクで香りをつけ、ベーコン、野菜を入れて辛めの味付けをしたパスタだ。


「うん。すごく美味しい」


「気に入ってもらえて嬉しいわ。トウジから貰った製麺機、すごく使い勝手がいいの!」


 手料理を褒めてもらったリッカは上機嫌で、声も弾む。


「役だっているようで嬉しいよ」


 トウジの笑顔も満開だ。肉体労働をした後でお腹も空いたのだろう、旺盛な食欲をみせていたトウジだが……パスタの上に乗っていたハーブのルッコラをフォークで突きさしたところで、ふと手を止める。


「そういえば思ったんだけど……なら、庭にハーブや野菜の幻影をだして、それを実体化させることができるよね。そうすれば、わざわざ畑に植えて育てなくとも収穫できるんじゃないかな?」


 先日リッカは幻影魔法を実体化することで、ダンジョンの砂漠にを降らせた。それに比べたら、たわわに実った野菜の幻影をし実体化して収穫することなど簡単なのではあるまいか?

 今も庭にはビィアが耕したばかりの畑の上を歩いている。柔らかい土にポンポンと足跡がついているので、実体化しているのは間違いない。


 リッカの幻影は、かくも易々と実体化できるのだ。


 感心半分、呆れ半分でトウジがビィアに視線を向ければ、リッカも黒猫に気がついた。


「あっ! こらっ、ビィアったらダメじゃない!」


 慌ててリッカは大声で叱る。

 自由気ままな黒猫は、フッと姿をかき消した。


「もうっ。一緒にガーデニングできなかったから拗ねているのね。まったく甘えん坊なんだから」


 プンプン怒るリッカに、トウジは苦笑する。


「あとでならすから大丈夫だよ」


「トウジはビィアに甘すぎるわ」


 しばらくビィアに文句を言っていたリッカだが、やがて落ちつくと自分もルッコラをツンと突いた。


「……幻影魔法でハーブや野菜を創るのは簡単なんだけどね。でも実体化させた食べ物ってぜんぜんのよね」


「え?」


 トウジは驚いたようにリッカを見る。

 ルッコラごとパスタを食べたリッカは「うん、美味しい」と言って笑った。


「たとえば幻影魔法でパスタをだして実体化するでしょう。でもね、そのパスタって味も素っ気もないのよ。香りもしないし食べてもお腹が膨れない。なんでかなって考えたんだけど……ほら、火の攻撃魔法を使う人って自分じゃ熱くないし火傷もしないじゃない。あれと同じじゃないかしら? 氷の魔法使いが自分で自分を凍らせたっていう話も聞かないし――――」


 言われてみればその通りだ。トウジも自分の攻撃魔法で傷ついたことはない。


「……自分の幻影魔法だから、たとえ実体化してもリッカには食べられないってことかい?」


「食べられることは食べられるわ。でも美味しくないの。美味しくない食べ物なんて創っても仕方ないと思わない? どうせなら美味しいものじゃなきゃ。……だから、私は自分で食べるものは魔法を使わずこの手で作るのよ! 美味しく食べるためにね」


 リッカは、フォークを持っていない方の手をグッと握る。

 目を丸くしてその手を見たトウジは「そうだね」と笑った。


「……確認なんだけど、ダンジョンの宝箱から出た食材は美味しいんだよね?」


「当たり前よ。あれは、の幻影魔法じゃないもの!」


 今食べているパスタだって、ダンジョン産の小麦粉から作ったものだ。美味しくなければ困るとリッカは話す。

 そうかと頷いたトウジは、少し考えこんだ。


「…………同じ創造魔法でも、のものならいいってことか? たしかに、火魔法をぶつけあっても、自分の魔法では火傷はしないが相手の魔法にはダメージをくらうからな」


 ブツブツと呟くトウジの言葉は、意味不明だ。火魔法はわかるが、創造魔法ってなんのこと?


(まあ、どうでもいいか)


 結果リッカはそう思った。


 庭は見事に耕され、植え付けを待つばかり。

 森から吹く風は心地よく、目の前には自分で作った美味しい料理が並んでいる。

 冷めないうちに食べなければもったいないではないか!


「……美味しい!」


 要は、食欲優先。世の中に、美味しいものを美味しく食べることより大事なことは、それほどないとリッカは思っている。


 満足そうなリッカの声が、庭に響いた。

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