第19話『設定』変更は簡単です
静かな地底湖を波が騒がせる。
そのうねりが収まった後に現れたのは、ひとりの老人だった。ストレートの長い白髪と長い白髭。纏ったローブは灰色で、手には二匹の蛇が絡み合った大きな杖を持っている。
『リッカさま。お呼びいただき光栄です』
老人は、深くリッカに一礼した。
その声は……本当に声なのだろうか? 耳ではなく頭に直接響くようで、ウワァ~ンと波打つように聞こえる。
老人――――おそらくヨルムは、恭しくリッカの手を取ろうとした。
しかし、そこに黒猫ビィアが彼の手をめがけ飛びかかる!
ぶつかる! と思われたビィアとヨルムは――――互いに互いをすり抜けた。
『…………相変わらず躾のなっていない猫ですね』
「ニャーッ!」
ひとりと一匹が睨み合う。
「もうっ、仲良くしなきゃダメでしょう!」
リッカが、頬を膨らませ彼らを叱った。
「…………まさか、幻影なのか?」
突然現れた老人の姿に驚いていたトウジが、ようよう声をだす。
「ええ。ヨルムもビィアと同じ幻影なのよ」
リッカはあっさり肯定した。
「こんな……本物の人間にしか見えない――――」
トウジは、目をみはる。
「そうでしょう! ヨルムは私が三年前に創った物語の主人公なんですよ!」
リッカは得意げに話しだした。
「ヨルムは、戦争で滅びた魔法国の王族って設定なの。本当は争いごとの嫌いな優しい性格なのに、祖国を失い
残念なことに、それは叶わなくなってしまった。そのことを少し申し訳なく思いながら、リッカは地底湖に目を向けた。
「物語の中にヨルムたち一行が大河を前に敵軍に追い詰められるシーンがあるの。……そのときヨルムは、魔法で河をせき止め水を割って川底を露呈させるのよ。自分と民を対岸へと安全に避難させて……その後、彼らの後を追った敵軍を、河を元に戻すことで全滅させて勝利を上げる! ……我ながら迫力満点のシーンになったわ」
両手を腰に当て、リッカは胸を張る。
トウジは、目をパチパチと瞬いた。……しばらく黙っていたが、やがて遠慮がちに口を開く。
「それは――――ずいぶん壮大で無茶苦……あ、いや、荒唐無……んんっ……スゴい魔法だね」
ようやくそう言った。
リッカはフフンと笑う。
「そうでしょう? 今度この幻影魔法の物語も見せますね。もちろんビィアも出ているのよ。……ということで、ヨルムにかかればこの程度の湖あっという間に割ることができるから!」
自信満々にリッカは宣言した。
「……それもそういう『設定』だからかな?」
「ええ! もちろん」
リッカの笑顔には、一点の曇りもない。
反対にトウジの笑顔は引きつっていた。
「君が言うのなら、そのとおりのことができるのだろうけど……この地底湖が割れるのは、いささかまずいんじゃないのかな?」
そんなことを言いだす。
「え?」
「さっきも他の冒険者が小舟を漕ぎだしていっただろう? きっと他にも何組かの冒険者がこの地底湖を攻略中だと思うよ。ここで湖に異変が起きたら彼らは間違いなく巻きこまれるし……それに、ものすごく注目を浴びると思う」
トウジの言葉を聞いたリッカは、サッと顔色を悪くした。たしかに、それは大問題だ。
うんうんと考えはじめたリッカを見たトウジは、一歩彼女に近づいた。
「どうだろう? この階は俺がクリア――――」
しかし彼が話しだしたタイミングで、リッカがポン! と手を叩く。
「あ、そうだわ! ……だったら、ヨルムに魔法を隠蔽できる能力を『設定』すればいいのよ! あと安全対策も一緒にやれば完璧よね!」
トウジは……黙りこんだ。
リッカは……止まらない。
「大丈夫。簡単だから――――えいっ!」
かけ声と同時にリッカの体からキラキラとした光が生まれ、その光がヨルムに吸いこまれていった。
「これでOKよ。……ヨルム、やってみて」
『はい。リッカさま』
「え? あ、いや……そんな簡単に?」
トウジがなにやら動揺する間に、ヨルムが湖の
『水よ! 我が前に道を開け!』
ウワァ~ンと響く言葉が終わるやいなや、ザザザ~ッと音を立て、地底湖が真っ二つに割れた!
水が左右にせり上がり、湖の底が露呈する。
黒く濡れた岩肌の道が真っ直ぐ奥へと続いていた。その幅は、人が二人並んで歩けるほど。
「さすがヨルム! 完璧じゃない。これで大丈夫よね、トウジ?」
リッカはドヤ顔で振り向いた。
トウジの表情は固まったまま。
「……………………あ、ああ。さすがリッカだな」
「そんな。大したことじゃないわ。幻影に『設定』を少し付け加えただけだもの」
「……少し……少しね」
アハハとトウジは乾いた笑い声を上げた。
そんなトウジに、ヨルムが目を向ける。杖でトンと地面を叩き、口を開いた。
『あなたがトウジですか……リッカさまを利用するだけの無能であれば、この手で引導を……と思っていましたが、先ほどの進言を聞くに、多少は役立つようです。今少し様子を見ることにしましょう』
相変わらず声は、ウワァ~ンと響く。しかしどこか遠いその響きの中に鋭い切っ先が見えた。
トウジは、思わず身構える。
そこに――――。
「こら! ヨルム、そういう偉そうな物言いは止めなさいって言ったでしょう!」
めっ! と、自分より背の高い老人をリッカが叱りつけた。
「ごめんなさい、トウジ。ヨルムは口うるさい老人『設定』もあるから、どうしても一言余計なのよね。偉そうに言ってくるけど、全然気にしなくて大丈夫だから!」
ペコペコトウジに謝りながら「もうっ! 今度したら寡黙設定にするわよ!」と、リッカはヨルムを説教する。そんな彼女に同調するように、ビィアがヨルムに突進してはすり抜けるを繰り返していた。
『リ、リッカさま! ど、どうかそれだけはご勘弁を!』
ウワァ~ン、ウワァ~ンと響く荘厳な声が、情けなくも謝り倒す。
トウジは……大きく息を吐いた。
「もういいよ、リッカ。それだけヨルムも君が心配だったのだろうから」
そう言った。
「そう? トウジがそう言うのならこれ以上叱るのは止めるけど――――」
リッカは、ヨルムをジロリと睨む。
「ああ……でも、本当に君の幻影はいろいろ規格外でスゴいね。ビィアもヨルムも、まるで生きているみたいだ」
トウジの言葉を聞いたリッカは、嬉しそうに笑った。
「ありがとう。最高の褒め言葉だわ。……私にとって彼らは、とても大切な家族も同然の存在だから」
「そうか。……そうだね。俺も仲良くなりたいな」
「ええ、是非! さあ、行きましょうトウジ!」
リッカが差し伸べた手を、トウジが取る。
ふたりは、湖を貫く道に足を踏みだした。
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