第2話 辺境で暮らしはじめました

 逃げるように劇場を去って、数時間後。

 リッカは王都のアパルトマンで鬱々としていた。あんな理不尽な目に遭ったのだ。気分は最低最悪で、怒る元気もない。


「あ~あ、もうどっか行っちゃおうかな」


 それは紛う事なき現実逃避。心だけでなく体も逃げだしたいという欲求だ。

 ひとり暮らしのリッカの言葉に返事などはないのだが……自分の耳に入ったその言葉は、我ながら悪くないなと思えた。


 幸いにしてリッカには今までの蓄えがある。幻影魔法に夢中で、稼いだお金を消費することがなかったため貯まる一方だったのだ。

 たっぷりある貯金を使い、王都を離れ、旅をして、気に入った町に住んでみるのも一興ではなかろうか?


(思えば毎日毎日部屋に籠って幻影魔法ばかり使っていたものね。旅行なんて久しぶりだわ。……どうせなら、外国旅行にしようかしら? この国を出て、知り合いとか誰もいない遠くに行きたいわ)


 なにより、このまま鬱々としていては、きっと心を病んでしまう。支配人やダイカンと同じ国で暮らすのも、不愉快だ。


(病気になる前に動かなきゃ! ……こうしちゃいられないわ。思いたったが吉日って言うじゃない!)


 今行こう!


 すぐ行こう!


 リッカは、決意する。






 ――――実は、彼女は昔から思い切りだけはよかった。

 基本引きこもりのくせに、おかしなところで行動力があるのだ。

 このため親からは「思いつきで行動するな。なにかをする前には、一度止まって熟考しろ」と口うるさく言われていたのだが……残念なことに、今ここに彼女の親はいない。


 結果、その日のうちにアパルトマンを解約したリッカは、マジックバッグ――――亜空間収納機能付きの便利鞄――――に私物を全部詰めこんで、王都を飛びだした。


 目指すは、誰も自分を知らない場所だ。


 魔法飛行船の国際乗車場に駆けこむと、一番遠い国へと飛ぶチケットを購入し、二時間後には王都を眼下に望んでいた。


(魔法学園を卒業した十六歳から十年間暮らした場所だけど……こんなに小さかったのね)


 自分の住む世界の狭さを知って、リッカは広い空へと視線を向ける。

 心は、思いの外晴れ晴れとしていた。









 その後――――。


 リッカは一年ほどかけて、足の向くまま気の向くままの旅をした。

 美しいと噂の景色があれば、そこへ向かって心ゆくまで眺め、珍しいと噂の物があれば、そちらに行ってしみじみと観察する。特に美味しいと評判の食べ物は見逃さず、確実に立ち寄ってお腹いっぱい食べ尽くした。


 もはや彼女の心には、支配人の姿もダイカンの姿もない。

 毎日が新しいものの発見で、どうでもいい過去なんて思い出す暇がないのだ。

 心身ともに充足する旅を続けていたのだが……終わりは突然やってくる。


(どうしよう? さすがに貯金が減ってきちゃったわ。……まだ余裕はあるけれど、すっからかんになってから慌てるなんてことはしたくないもの)


 あれだけ豪遊すれば、当然である。

 主に金銭的な理由で、リッカは行きついた町での居住を決めた。


 そこは、以前リッカが住んでいた国とは遠く離れた異国の地。マシュク王国の辺境にあるマルグレブという町だ。近くに大きなダンジョンがあるために、冒険者や、ダンジョン産の資源、宝物目当ての商人などを中心に、そこそこ栄えているらしい。


(人口も多からず少なからずでいい感じだし、生活水準も悪くない。冒険者が多いから大陸公共語が通じるのも助かるわ)


 物価も高くないし、町の雰囲気もいい。なにより食事が美味しいのが気に入った。一年間の旅行を通して、食生活が充実している場所ほど住み心地がいいのだと気づいたのだ。


 マルグレブを当面の生活拠点に決めたリッカは、さっそく町外れに小さな一軒家を借りた。町の中心のアパルトマンより安かったし、庭つきの家に住むのは、リッカの昔からの夢だったから。


 契約を終え、マイホームに入ったリッカは、マジックバッグから持ってきた私物を取りだし、並べはじめた。

 ふと手を止めて窓に目を向ければ、外には緑豊かな森が広がっている。


(前に暮らしていた都では、絶対見られなかった光景だわ)


 窓を開ければ、爽やかな風が吹きこみ小鳥の声が聞こえてきた。

 ここにきてよかったと……心の底から思う。


 窓辺に椅子を置いたリッカは、クッションを敷きストンと腰かけた。

 曲げ木の椅子は元々この家に備えつけの家具で、クッションは王都から持ってきたリッカの私物。それがなんとも言えぬバランスで収まっているのが……嬉しい。




「…………ビィア」



 だからなのか……リッカは、ずっと呼べなかったを口にしていた。


 体内からほんの僅かな魔力が抜けていき――――目の前に『幻影』の猫が現れる。

 黒い短毛種のスマートな猫の名前は、ビィアだ。リッカがに生みだした幻影で、一番のお気に入り。今まで創った幻影魔法の作品にも必ず登場させていて、リッカのファンの間では、作中のビィアを捜すのが隠れミッションになっているくらいの人気者。


 ビィアは、空中からトンと軽やかに床に降り立ち、リッカの足に体を


「ビィア――――」


 しかし、リッカが手を伸ばせば、その手をスルリと躱し壁際の棚の上にピョンと跳び上がる。

 素知らぬふりで毛繕いをはじめた。


「ビィアったら、ずっと呼ばなかったからねているの? だって仕方ないじゃない。私、契約破棄されちゃったんだもん……幻影魔法を使う気になれなかったのよ」


 リッカは、自分が遭った理不尽な扱いをビィアに切々と訴える。

 しかし、ビィアは知らんふり。毛繕いを止めることはない。


「ビィア~、いい加減機嫌を直して。ね、ね、ね!」


 リッカの猫なで声にも、フイッと背中を向けた。




 ……まあ、猫とはそんなもの。

 リッカは、

 だからこそビィアは、こんな風にのだ。


 幻影でありながらまるで本物の猫のようにに振る舞うビィアに、リッカもまた本物の猫のように接する。




 それは、本来ならば絶対あり得ぬことかもしれない。

 しかしリッカにとっては、既にこれがだった。

 だなんて、欠片も思わない。




 いくら宥めてもチラとも自分を見ないビィアに、とうとうリッカは仕方ないかと諦めた。私物を配置する作業を再会する。


「これは、ここかな? ……こっちは、向こうの部屋かしら?」


 ブツブツと呟くリッカが気づけば、いつの間にかビィアがこちらをジッと見つめていた。長い尻尾がユラユラと揺れ、なんとなく満足そうに見える。


(フフフ……どうやらビィアも新居を気に入ってくれたみたいね)


 それに気づかぬふりで、リッカは口角を上げる。


 一般の普通とはちょっと違う……これがリッカのだった。

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