第六話『先行く者の助言・その1』

「いくら景気が悪いからって、お前が子守りの仕事とはなあ」

「早合点すんな。まだそこまで困窮はしてねえよ」


 顔を出した途端目を丸くて自分とその横へ視線を往復させた店主に、男は顔を歪ませて口を尖らせる。それまで薄暮れの影のように努めて気配を消していた子供は、店主と一度目が合うなり雨避けの外套を震わせて男の後ろへ隠れてしまった。


「あぁ?じゃあなんだよその子は。お前さんまだ独り身だろ?あの大店の娘とも──」

「余計な事言うんじゃねえ。こいつは……その、常連の子だよ」


 言い分としてはいささか苦しいものだと自覚していても、もとより嘘や方便の得意ではない男としてはその取り繕いが限界だった。

 商人の申し出を受けてから一夜が明けた昼下がり、男はまるで何かの予兆のように雨脚を弱くした薄曇りの下に子供を連れ立って再び市場を訪れていた。

 禁じられはしなかったものの、徒に外を連れ回していい許可を得ている訳ではない。とはいえ店にひとり置いておくのも、何かと不安が募った。昼の営業をこなす傍ら幾分か考えた末、結局男は商人が置忘れた余所行きの服と唯一与えたであろう真新しい靴に感謝しつつ、子供に『命令』を下してともに街へと下ることにして今に至ている。


「よりによってお前さんに預かってほしいなんてなぁ」

「あー……急な用事で2、3日預かってほしいって頼まれたんだ」

 

 更なる追及に晒され、男の口調は段々と鈍くあやふやなものになっていく。その姿を全く信用に値しないといち早く見限った店主が、回り込むように男の背中に隠れる子供を覗き込もうと首を伸ばす。


「いいだろもう。アンタの仕事は客を詮索する事なのか?そんな暇があったら──」


 そんな店主の視界を塞ぐべくずいと一歩前に出た男が、昨日と全く様相の変わらない空きだらけの棚を指差して肩をすくめる。上げたその声色と身振りの大仰さには、一刻も早く話題を変えたいという必死さが見え隠れしていた。


「この惨状を何とかしたらどうだよ?得意客が2日連続で無駄足踏んでんだぞ」

「言ったろ。昨日今日で変わるような事情じゃねえって」


 子供連れという姿が珍しくて目に留まりはしたものの、元々そこまで興味が尾を引く訳でもなかったのだろう。

 あるいはこれ以上は上客の機嫌を損ねると見たか。店主は未練をおくびにも見せず、割にあっさりと首を引っ込めて嗜めの文句を浮かべた。その言葉尻に細めた目線を横に反らして男の首向きを誘導した先には、相変わらず武具の代わりに土工道具の類を背負った兵士の姿があった。昨日と違う所といえばその数を倍近くに増やしており、市場の入り口を埋める勢いで、身を濡らす霧雨にも構わず懸命に馬車へと土嚢袋を積み上げている。


「お隣さんが本当に攻め込んでくるつもりなら、塞がったままにしておいても良いんだろうがね」

「始まる前から物足らずなんて笑えねえよ。税金分きちんと働いてもらわねえと開戦前に食えなくなっちまう」

「はは、違えねえやな」

「頼むぜ、全く……」


 呑気な笑い声に眉の角度を増した男は、事の重大さが理解できていないのかと呆れ混じりに首を振る。そんな冗談に対する反応の鈍さを受け、店主はしばらく宙に目線を投げてから思い出したように手を叩いた。


「ああ、そうだ。チーズは分かんねえけどよ。洋酒とかその辺りだったら、それこその所へ行ってみりゃいいんじゃねえか?」

「──あぁ?」


 思わぬところで望まぬ話題を蒸し返され、途端に男の表情と声が気色ばんだ。射抜くような鋭い三白眼に晒された店主は、いち早く抱かせた誤解を解かんとばかりに顔の前で両の掌を振ってみせる。


「違う違う。ほら、あそこは菓子を専門に売るパティス……なんとかとかいう商売だろ?」

「……あぁ」


 胡乱な記憶違いを訂正もせず、男は同じ音でいくらか勢いの減衰した相槌を打つ。店主が指しているのは国中で初めて食事ではなく甘味を中心とした間食を専門とした事で大成功を収め、この都の中心と呼ばれて何ら恥じる事の無く威容を聳える店の事だった。


「生菓子には酒を使うからってんでよく卸してんだよ。他ならぬお前さんが頼み込んだんなら、1本や2本くらいあの娘が融通してくれんだろ」 


 男は店主のそんな提案を否定せず、かといって妙案と褒めちぎる事もない複雑な表情を返すに留める。事実その当て込みは間違いではなく、男はその店の二代目である次女と長く、時に懇意に付き合いを続けていた。


「……あいつに無用な借りを作りたくはない」

「どの面下げて会っていいのかわからない、の間違いだろ?」


 だが同時に浮かべた苦味の強い香草を思い切り噛んでしまったようなその顔には、その関係の深さと共に横たわっている、一筋縄ではいかない何かを物語っていた。

 歪む男の口元から零れたのは、そんな急所を誤魔化しまたちっぽけな自尊心を覆い隠すための文句だ。それをさも当然のように喝破して、店主はさらに続ける。


「あんまこう言う事言いたくねえけど、ウチ……っつうかこの市場全部探したところで、多分次の入荷の目途が立っている所はないと思うぜ」 

「……背に腹、ってやつか」


 長い沈黙の後で観念したように鈍色の空を仰ぐ男を見て、今度は店主が呆れたように息を吐く番となった。構える店こそ小さいものだが、その顔に走る皺と共に刻んだ商い人としての年季はこの街で指折りに長いものだった。決して太平とは言い難い世情のなかで長く商売を続けているという事実は、それだけ確かな勘働きと商機を読む力の裏打ちでもある。それ故に集まる同業からの尊敬の念と一緒に、自然と縦横問わず繋がりの情報も手にしていた。

 事実男は身の上話や相談を持ち掛けたことはないが、店主はどこからか事情を全て聞き及んだうえで、決して人付き合いを得手としない男と絶妙な距離を保ち続けている。


「言い草だな。別に、お互い納得の上だったんだろ?」

「うるせえよ……また来る」


 すっかり訳知り顔の店主へおざなりな挨拶だけを残し、男は目配せひとつを後ろへと送って踵を返す。やりとりは時間にして10分足らずだったが、それまで表情ひとつ長らく微動だにしていなかった子供がまるで石化が解けたかのように3歩下がった後ろを歩き出す。


「やれやれ……きずにならねえといいがな」


 挨拶も残さなかった小さなその背中を見送りながら、店主はまたも小さく溜息を吐いた。

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