アンティーク・ウォッチ 〜思い出の家へようこそ〜
あられ
オープニング(過去編)ある老人と少女の話
ある日、老人と少女は、出会った。
老人は、イタリアで工芸家として生計を立てていたが、日本の工芸技法を学ぶため、日本にやってきた。
この国は、おもしろい。
最初の目的として見にきた、日本の工芸家のたくみな技術、祖国とはまったく違う食べ物、建物や街並み――。
どれもこれも、老人の好奇心をそそられた。
来日してから、三年がたった。
もう日本語もかなりスムーズに話せるようになったし、技術もおぼえ、それを応用して自分の作品をつくれるようになった。
――でも、この国をまだまだ知りたい。
老人は、日本が大好きになっていた。自分の故郷と同じくらいに――。
その日、老人は少し遠くまで散歩していた。
――やはり、おもしろい。ヨーロッパとはぜんぜん異なる、独特の雰囲気だ。
海を眺めたり、路面電車に興奮したり、店をのぞいてみたり――。
気づけば、市場の通りにきていた。
ここも、にぎやかだな。イタリアにも市場はあるけど、なにかが違う。なんでだろう、トマトがあまり売ってないからか?
でも、ここもむこうも、楽しい雰囲気なのは変わらない。それでいいじゃないかと、どこか楽し気に笑う。
トマトで昔を思い出し、老人はひさしぶりにトマトソースのパスタが食べたくなった。
今日、つくってみるか。となると、材料を買わんとな。
老人が市場を見てまわり、材料を探していると――。
老人は、店と店の間にある路地に、小さな人影をとらえた。
よく目をこらすと、人影は女の子だ。小柄で華奢。ところどころボロボロにやぶけ、土に汚れたワンピースを着ている。彼女は細い腕に顔をふせていた。
腕の細さから推測すると、満足に食べていないようだ。
「…………」
老人は、きた道を引き返した。
三十分かけて探したパン屋で、パンを五つほど買う。
そしてまた、例の女の子がいる路地にもどってくる。
今度は女の子に近づき、パンが入った紙袋をさし出す。
「これ、食べるか?」
そうきくと、少女は頭を上げた。
もともと大きいであろう目が、さらに大きく見開かれる。
「……いいの?」
おそるおそるきく少女に、老人がうなずく。
それを見て少女は、手をのばした。
「ありがとう」
といって袋からパンを一つ取りだすと、ぱくりとほおばる。
「おいしい!」
にっこりとほほえむ少女に、老人も自然と顔がほころぶ――。
紙袋がすっからかんになった時、少女は食べ終えて、となりに腰をかけている老人に、お礼をいっていた。
「本当にありがとう、おかげで助かったよ」
満面の笑みをうかべる少女。こんな子をだます詐欺師はいないだろうなというほど、純粋無垢でかわいい。
「いや、いいよ」
さらに、少女は話しかけた。
「わたし、ハル。おじいちゃんは――?」
老人は、とまどいながらも質問に答える。
その日は、簡単な自己紹介だけで別れた。
それどころか老人は、もうこれっきり会わないだろうと考えていた。
だが、子どもの行動力はすさまじい。
次の日、老人の自宅の前に、あの子がきていた。
「どうして、住所が……」
「ごめんなさい。昨日、あとをつけてたの」
どうどうと追跡していたことを白状する少女。老人は、日本の子どもに対するあやまった情報を得てしまう。
日本の子どもは、おそろしい……。
冷や汗が、ほおにつたった。
最初のうちは、警戒していた。だが、少女は警戒なんてなく、毎日のように老人に会い、話しかけた。
そのうち老人も、自分の仕事、家族の話、誕生日の思い出などの話もするようになっていった。
一度、自分の作品を見せた時に、懐中時計を出したことがあった。
イタリアでいっしょだった時計技師の親友と、協力してつくった懐中時計。中の時計を友だちが、外の細工は自分で製作したものだった。
しかし、あいつは破天荒な一面もあったからな。この時計も、ふつうに売っているものとはまったく違うのだが……。
そんな友の記憶が呼び起こされる老人。
「わぁー……」
対して少女は、目をキラキラに輝かせて、歓声を上げる。
「これすごいっ!」
少女は興奮して、時計からずっと目をはなさなかった。
どんな感想を持ったか、気になった老人は、きいてみる。
「どこがすごいんだい?」
「蓋の模様も、中の時計も、色もぜんぶ! ぜんぶきれい!」
ほおを赤くして、いっしょうけんめい説明する。そんな少女が見られて、老人はうれしかった。
「そうかい、ありがとう」
そんな日々が続き、何か月かが経過したころ――。
すっかり仲よくなった老人に、少女はたずねた。
「おじいちゃん、そういえばどこからきたの? 日本語すごく上手だけど、外人さんでしょ?」
日本語をほめられたことに少し照れたが、かくして答えを一言で口にする。
「イタリアだ」
「いたりあ……ってどこ?」
「地中海に面する国だ。欧州の南にあるんだよ。」
「へぇー」
〈ちちゅうかい〉……? 〈おうしゅう〉って、どこ?
と内心、少女は思ったが、黙っていた。
かわりに、こう問いかける。
「いいとこ?」
「ああ、いい場所だ」
ほほえむ老人。その表情を一目見ただけで、少女は〈いたりあ〉がとてもすばらしい場所なんだと思った。
「わたし、がんばってお金ためるよ。それで〈いたりあ〉にいく! その時は、案内してね」
「……ああ、いいよ」
その返事をきいて、笑いかける少女。
「本当! じゃあ約束!」
出会って一年後。
老人が、故郷に帰らなければいけなくなった――。
そのことを伝えられた少女が、大泣きする。
「すまないね」
やさしく頭をなでる老人。
しかし、少女は泣きじゃくって声が出ない。
「誕生日の贈りものを用意したんだ。その日になったら、この店にいきなさい」
「誕生日の……贈りもの?」
疑問のあまり、少女は声が出る。彼女にとっての誕生日は、ただ年の数が一つ増えるだけ――ただ、それだけ。
「そう、贈りものだ。わたしは君の誕生日がくるまでに、日本を発たないといけない。だから、悪いが店をたずねて、受け取ってほしい」
老人が、手がきの地図を少女に渡す。
「…………」
地図を見た少女の涙が、止まった。
老人はかばんを持って、ゆっくりと手をふる。
「それじゃあ、元気で」
「……おじいちゃんもね」
少女は笑顔で、同じように手をふった。
しかし、少女が教えてもらった店にいくことはなかった。
理由は二つ。
一つは老人がかいてくれた地図が、ぜんぜん理解できなかったため(ふつうの大人が見れば、それは〈へたな地図〉というだろう)。
そしてもう一つ。約一年、少女はなんとか地図を見ながら、店を探していた。
だが、ついに戦争がはじまった。そして少女が住む街に、空襲があったのである。
さまざまな建物が燃えて、あたりが焼け野原になった。
店をさがすどころじゃなくなり、いつしか少女の頭の中から、店のことは飛んでいた。
しばらくして、街も少女も落ち着きを取りもどしたころ、ようやく思い出したが、
――おじいちゃんがいってたあの店も、なくなっちゃたかな。
そう結論づけ、探すことをあきらめた。
よって老人からの贈りものは、今もだれにも発見されていない。
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