第7話 見た目で判断してはいけない
魔染領域から帰還したマルシュは、魔剣ちゃんを自宅——借りているアパートの一室に置いて、すぐにジャスパーと合流した。
アニータの緊急治療が行われて、無事に解呪に成功した事を確認。
泣きながら何度も頭を下げてきたジャスパーと別れ、マルシュは帰宅した。
「ただいま」
「お帰りなさい、ご主人っ!」
パタパタと駆け寄ってくる魔剣ちゃん。
「お待たせ。夕飯食べに行こっか」
「わーい!」
魔剣ちゃんを連れて再び外に出る。二人並んで歩き出す。
「ところでさ、魔剣ちゃん。街中で『魔剣ちゃん』『ご主人』って呼び合うのはまずい気がするんだけど、どうかな?」
幼女に「ご主人」と呼ばせているなんて周りに思われたら、どんな目で見られるか分からない。
百年前はいつ魔族との戦闘になるかも分からなかったため、魔剣ちゃんが人前で人間形態になる事は皆無だった。
だからこそ今、マルシュは未知の状況に直面していた。
「心配ご無用ですっ!」
魔剣ちゃんが元気よく答えた。
「人間形態のとき、私は周囲からは完全に人間であると思われています」
確かにカルボーとかいう魔人も、魔剣ちゃんの事を人間だと誤認していた。
「実は私、人間形態のときは『認識改変』の魔法が同時に発動するように造られているんです。この効果は絶大で、私が『ご主人』と呼んでも『魔剣ちゃん』と呼ばれても、周りにはそれが普通だと認識させる事ができます」
「そうなんだ、凄い……」
魔剣ちゃんは魔道具の中でも最高位——「神器」に位置づけられる存在である。
通常の魔道具が魔力を流し込まれる事で機能するのに対し、神器は自ら魔力を生み出して魔法を行使する。
自我すら備えた魔剣ちゃんは、そんな神器の中でもさらに格が違うのだろう。
「『認識改変』が効かない相手は、私が信頼し、意図的に除外している人だけです。例えばご主人とか」
「ありがとう」
「本当は……ルシールにも、本当の私を見せても良いと思っていたんです」
百年前の旅で、ルシールは魔剣ちゃんが人間形態になれる事を知らなかった。
ただ、魔族との戦いの後でよく魔剣ちゃんを磨いてくれていた。
その優しい手つきが大好きだったのだと、魔剣ちゃんは言う。
「せっかくまた会えると思ったのに、ご主人捨てられちゃってますし」
「言い方……! その通りなんだけど」
パーティーを追放されていなければ、すぐにでも引き合わせてあげられたのに。
だが、頭に食らったテッドの一撃がなければ勇者時代の記憶が戻らなかったのだから、結局はこれで良かったのだろう。
「明日になったら、遠くからこっそりルシールを見守ろうよ」
「幼女を連れたストーカーですね。最悪な響きですっ!」
「言い方っ!」
楽しそうに笑う魔剣ちゃんに突っ込む。
「だけど確かに、客観的に見たらそうなんだよね。警察に職質されたときの言い訳は考えておいた方が良いかも」
「公権力相手に嘘はハイリスクです。私は正直に『ご主人専用の道具です』って答えます」
「待って待って」
「『きのこ魔法』が得意なご主人に、日頃からいっぱい突っ込まれてます♡」
「マジで待って!」
言い方と言葉選びに悪意を感じる。『きのこ魔法(意味深)』みたいな。
「俺が破滅するから本当にやめてね……?」
マルシュは頬を引きつらせる。冷や汗が背中を伝った。
「ご主人、大丈夫です。私には『認識改変』があるんですよ?」
魔剣ちゃんが悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「幼女をえっちな道具扱いしているのが普通だと思われるだけです」
「何一つ大丈夫じゃない……」
マルシュはガックリと肩を落とす。
魔剣ちゃんはどうやら、自分からそういう話題に持ち込む分には気にしないらしい。むしろ、楽しんでいる様子だ。
薄い本が見つかった瞬間とか、性癖を自爆したときとか、めちゃくちゃ真っ赤になっていたのに。
「……というか、『認識改変』があるなら、公権力相手の嘘も全然ハイリスクじゃないよね?」
「むう、論破されました」
残念そうな、けれども楽しそうな魔剣ちゃん。
マルシュも苦笑を浮かべた。
「無難に『兄妹』って事にしようよ。髪の色も瞳の色も同じなんだから、まず疑われないよ」
「はーい」
魔剣ちゃんが笑顔で頷き——不意に真顔になった。
「……ご主人、気づいていますか?」
「ああ、つけられているね。三人かな?」
「どうします?」
「路地裏に入ろう、あそこの」
十メートル進んで右に曲がる。
照明の消えたビルの横を通り抜けて、人の姿が全くない場所で立ち止まる。
振り返ると、三人の男が佇んでいた。年齢は十代後半から二十代前半といったところか。
ヤンキー、チンピラ。そんな言葉が似合いそうな青年たち。
彼らの鋭い眼光を受け止めながら、マルシュは口元を緩めた。
「こんばんは。俺たちに何かご用ですか?」
三人の中心にいる、金髪オールバックの青年が前に出てきた。
(狙いは金か……あるいは、俺自身か)
まともに魔法を使えない自分が『リベレーション』にいる事を、快く思っていない者も多かった。
この三人は、その筆頭の可能性もある。
もしそうだとしたら、彼らは三人分の『戦力強化』の魔法が重ねがけされた状態であろう。
(……魔力による『身体強化』の方法を思い出す前だったら、勝ち目はなかったかも知れないな)
『身体強化』を密かに施して、マルシュは迎撃準備を整えた。
金髪オールバックが口を開く。彼は鋭い眼光のまま——。
「あ、あの……『リベレーション』のマルシュさん……っすよね?」
……何だか、腰が低い感じであった。
「え? あ、はい。そうですが……?」
マルシュは困惑しつつ頷いた。
正確には追放された身ではあるが、まだパーティー脱退の手続きを終えていないため、書類上はまだメンバーである。
金髪オールバックはごくりと唾を飲み込み……。
「——お、俺っ! あなたの大ファンっす! 握手して下さいっ!」
バッ! と頭を下げて手を差し出してきた。
「!? ど、どうぞ……?」
マルシュは動揺しながらその手を握った。
青年が顔を上げる。側から見ても感激していると分かる笑顔だった。
「な、追いかけて正解だったろ?」
「良かったな、ギャリー」
後ろの二人も朗らかな笑みを浮かべている。
(目つきが鋭かったのは、緊張していたからだったのか)
敵意の表れかと思っていたが、自分の勘違いだったらしい。
人を見た目で判断してはいけないな、とマルシュは改めて肝に銘じた。
「いきなりすいませんでした。俺、ギャリー・ガルニールって言います」
握っていた手を離し、ギャリーが名乗る。
「俺たち三人、幼馴染で子供の頃から狩人に憧れてたんす。だけど、俺だけどうしても魔力が伸びなくて……」
彼は照れたように頬を掻いた。
「諦めようと思ってたときに、あなたの事を知ったんす。『きのこ魔法』しか使えないのにA級パーティーにいる謎の狩人」
「あはは……」
マルシュとしては苦笑するしかない。
「だけど幼い頃からずっと鍛錬を続けていて、素の身体能力だったらこの街トップクラスなんすよね! 魔法だけが全てじゃないんだって勇気を貰って、俺も頑張ってみたんす。そんで、一ヶ月前に試験に合格して狩人になれたんすよ!」
自分の存在がギャリーの背中を押したという事だ。
そういう人もいるのか、とマルシュは驚きつつも笑みを浮かべた。
「これから大変な事もあると思いますが、応援してます」
「ありがとうございます! お時間頂いてすいませんでしたっ!」
もう一度頭を下げて、ギャリーたちは笑顔で立ち去っていった。
「見かけによらず礼儀を弁えたお方でしたね、ご主人。……ご主人?」
マルシュはギャリーたちの姿が消えた後も、その方向をじっと見つめていた。
「……魔剣ちゃん。今のギャリーさんの話を聞いて、どう思った?」
「え? ご主人の凄さが分かっていて、なかなか見どころがあるなぁと……」
途中で、魔剣ちゃんが声音を変えた。
「……ご主人、何か気になる事が?」
「ああ、歩きながら話すよ。取り敢えず俺たちも行こうか」
魔剣ちゃんを伴って歩き出しながら、マルシュは目を細めた。
「テッドの計画は、俺を追放しただけで終わりじゃなかったんだ」
「えっ……?」
魔剣ちゃんが困惑した顔を向けてきた。
マルシュは僅かに口元を緩める。
「だけどね……テッドの計画は、既に大きな綻びを見せている」
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