第4話 アイデンティティは捨てました

 洞窟の奥に、下に続く穴があった。

 深く暗い底を見つめ、マルシュは目を細める。

 お菓子を食べ終えた魔剣ちゃんが、隣に並び立った。


「行きましょう、ご主人」

「ああ」


 マルシュは下に飛び降りた。

 空中で魔力を解放し、『身体強化』を施す。

『戦力強化』の魔法とは異なる、単純な魔力による肉体の強化方法。

 扱える者が百年前に軒並み死亡したため、現代では既に失われた秘技とされている『身体強化』。

 それ以外にも、勇者時代の記憶を取り戻した事で様々な戦闘技術を思い出した。

 まともに魔法が使えなかったからこそがむしゃらに身に付けた、剣技や武術などもある。

 リハビリを兼ねて、後で色々試してみよう。

 そう思いながら落下の衝撃に備え——、


 ——ドボンッ! とマルシュは水中に墜落した。


「!? がぼぼぼぼっ!?」

「ご主人——っ!?」


 直後にもう一つ大量の水泡が弾ける。

 どうやら、続いてきた魔剣ちゃんも水に落っこちたらしい。

 刺すような冷たさに全身が悲鳴を上げる中、マルシュは魔剣ちゃんを掴み必死で水を掻き分けた。

 何とか陸地に辿り着く。

 マルシュは魔剣ちゃんを押し上げ、自分も即座に水から飛び出した。


「ッ……ゲホッ! ゲホ……だ、大丈夫? 魔剣ちゃん……」

「冷たい……死ぬ……死んじゃう……」


 魔剣ちゃんはガタガタ震えていた。






☆—☆—☆






 魔剣ちゃんは凄い子なので、簡易なものであれば自分で様々な魔法も扱える。

『きのこ魔法』しか使えないマルシュとは違って、光や火を生み出す事もできるのだ。


(魔剣ちゃんがいてくれて助かった……)


 しばらく焚き火に当たったので、服も乾いて身体も温まった。

 だが、ジャスパーから借りていた懐中電灯は壊れてしまった。

 ポケットに入れていたスマホも修理の必要があると思われる。

 真っ暗な地底世界、魔剣ちゃんの光魔法と炎魔法だけが頼りだった。


「地形が変わってるなんて聞いてないですよ! もう!」


 魔剣ちゃんは怒りが収まらないようで、さっきからずっと文句を言っている。

 以前は落下地点は陸地だったのだが、この百年で水位がかなり上昇していたらしい。


「……だけど、こいつまで沈んでなくて良かったよ」


 マルシュは呟きながら立ち上がり、横に目を向けた。

 そこには、静止画のように固まっている竜の姿があった。

 大きな翼を広げている、全長二十メートルほどの黒い竜。

 百年前。魔王との最終決戦後、マルシュが死に場所を探していたときに遭遇し、襲いかかってきた竜である。


(あのときは俺の力が尽きていたから、封印だけに留まってしまったが……お陰で、一つの命を救う事ができる)


 竜種は強力な分、滅多に姿を現さない。ここ数十年、討伐記録がないほどに。

 今から新たに竜を探すとなると、アニータが死ぬまでに間に合わない可能性が高かった。


「よし、さっさと倒してしまおう。魔剣ちゃんは離れてて」

「了解です」


 魔剣ちゃんが立ち上がって後ろに下がる。

 マルシュは竜に近づき、その足に張りついている小さな金属片——『封印の護符』に触れた。

 そこに魔力を流し込む。


 ——バキンッ! と『封印の護符』が砕け散った。


 次の瞬間、耳をつん裂くような轟音が烈風と共に押し寄せた。


「ッ……!」


 吹き飛ばされたマルシュは、空中で身体を捻って地面に降り立つ。


「大丈夫ですか、ご主人っ!」


 魔剣ちゃんが駆け寄ってきた。


「ああ、大丈夫。それじゃあ魔剣ちゃん、剣になってくれる?」




「え、嫌です」




 マルシュはびっくりして魔剣ちゃんの顔を凝視した。


「……嫌なの?」

「嫌です」

「何で……?」

「身体が汚れるから」


 真顔の魔剣ちゃんに言い切られた。

 マルシュは唖然とする。

 どうやら魔剣ちゃんは、この百年間で心境の変化があったらしい。


「大体、私を使わなくてもあんな竜くらい倒せるじゃないですか」

「そうだけど……」


 視線を竜に戻す。竜は白い燐光をまとい、空中に浮上していた。

 そして、その鋭い爪を突き出して急降下してきて——。


 ——不意に体勢を崩して墜落した。


 勢いを殺し切れず、竜は地面をえぐりながらマルシュの眼前まで転がってきた。

 そのまま起きあがろうとして、力が入らない様子でもがいている。

 マルシュは竜から視線を外して魔剣ちゃんを見た。


「魔剣ちゃん、俺の『きのこ』は——」

「ご主人、卑猥ひわいですっ!」

「……………………俺の魔法は、魔力を奪う事しかできないんだよ」


 顔を赤らめた魔剣ちゃんに責めるような目を向けられ、マルシュは釈然としない思いで言い直す。

 魔剣ちゃんは目をパチクリし、可愛らしい動きで首を傾けた。


「何か問題でも? 少し時間はかかりますが、確実に葬れるじゃないですか」


 魔剣ちゃんが竜を見上げた。

 マルシュも竜に向き直る。竜の頭に、赤い『きのこ』が生えていた。

 相手に寄生し、その魔力を吸収する——それが『きのこ魔法』の真価であった。

 一般的な生物と違い、魔力で動いている魔族にとっては天敵とも言える凶悪な魔法であるが——。


「ダメなんだよ。魔族は魔力が尽きれば魔王の肉片に戻ってしまうでしょう? だけど、今は竜の心臓結晶が欲しいんだ」

「なるほど。では素手で破壊すれば良いのでは?」

「無理だよ。竜の鱗は硬いんだよ。今は勇者時代の装備も強化薬もないんだよ……」


 マルシュは肩を落として、魔剣ちゃんを見た。


「……そんなに汚れるの嫌?」

「当然です。私も女の子ですのでっ!」


 何故か得意げな表情で胸を張る魔剣ちゃん。

 剣としてのアイデンティティは完全に捨て去ったらしい。


「そっかぁ。それじゃあ仕方ないか……」


 嫌がる女の子を無理やり、なんて絶対に許されない。

 マルシュは気を取り直して竜に顔を向ける。

 とはいえ、どうしたものか。

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