第2話 要求

「おーい? おーい?」

「はっ……!」


 目の前でひらひら手を振られて、マルシュは我に返った。


「すみません、脳がバグってました」

「大丈夫? 君、頭を怪我してたもんね。無理しないでね」


 ムキムキな恩人さんが心配そうに眉根を寄せる。


「ありがとうございます。大丈夫です」


 脳がバグった本当の理由は、そうではないのだけれど。

 マルシュは誤魔化し笑いを浮かべ、改めて目の前の男性に向き直った。

 二十歳くらいだろうか。

 ブロンドの短髪で、エネルギーが全身に漲っている感じである。


「そう、良かったわ」


 男性は安堵したように柔らかく微笑んだ。


「あたしはジャスパーよ。ジャスパー・カロット」

「俺はマルシュ・ムールと申します。助けていただいて、ありがとうございました」


 差し出されたジャスパーの手を握る。

 ゴツゴツと硬くなった皮膚の感触が伝わった。


「あなた、『リベレーション』のマルシュ君よね?」

「ご存知でしたか?」

「この街最強の狩人パーティーだもの。でも良かったわ、あなたと話ができて」


 ジャスパーが手を離す。

 その目がそっと伏せられて——。




 ——次の瞬間、マルシュは激痛に襲われた。




「ッ……!?」


 身体が動かない。背中からベッドに倒れ込む。

 全身がビリビリとした痛みと不快感に包まれていた。


(これは、『麻痺魔法』か……?)


「ごめんね、マルシュ君。必要以上に傷つけるつもりはないわ」


 マルシュは視線を動かす。

 ジャスパーの右手にはナイフが、そして左手にはスマホが握られていた。

 ナイフが眼前に突きつけられる。


「あなたは人質よ。さあ、『リベレーション』の仲間に連絡しなさい」


 電話番号を言え、という事か。

 それで『リベレーション』を脅し、ジャスパーは何かを要求しようとしているのだろう。

 しかし悲しきかな、彼は一つ誤解をしている。


「ジャスパーさん。実は俺、『リベレーション』から追放されたんです」

「…………は?」


 ジャスパーが顎が外れそうな様子で固まった。

 同時に、マルシュは痺れが消えて身体が楽になったのを感じた。

 ジャスパーの注意が逸れた事により『麻痺魔法』が解除されたようだ。

 マルシュは起き上がって苦笑した。


「リーダーから実力不足を指摘されまして。ちなみに、俺を殴って道端に捨てたのもリーダーです」

「そんな……それじゃあ……」

「ええ。俺を人質にしたところで無意味です。『リベレーション』は助けに来ません」


 ジャスパーが瞳を揺らす。

 動揺——それに落胆。いや、それよりももっと暗い……絶望に近い感情が、ジャスパーの顔に陰を落としたように見えた。

 マルシュは目を細め、ここまでに得られた情報を脳内で繋げる。

 自分の予想が正しければ、ジャスパーの目的は——。




「救いたいのは、妹さんですか?」




「え……!?」


 ジャスパーが目を見開いた。


「どうして、それをっ?」

「まず違和感を持ったのはベッドです」


 マルシュは柔らかな声で答える。


「俺が寝かせてもらっているこのベッド、明らかにあなたとサイズが合っていません」


 そう。マルシュの身体がはみ出しそうな小さなベッドで、自分より二十センチ以上背が高いジャスパーが寝られるはずがない。


「だとすれば、これは誰か別の人のベッド。ここは別の人の部屋だと考えた方が自然です。では、その別の人とは誰なのか」


 部屋を見た印象では女性のようだが、断言はできない。


「そこで、あなたの口調に着目しました」

「あたしの口調……?」


 ジャスパーはその野生的な外見に反して、可愛らしい言葉で話す。

 最初は意表を突かれたそれも——。


「きっと、お母様がいないのでしょう?」

「……ッ!」


 ジャスパーが息を呑んだ。

 マルシュは僅かに目を伏せる。


「こんな話をしてすみません」


 初対面で家庭の事情に踏み込むなど、あまりにも無礼すぎる。

 それでもマルシュは続けた。


「ですが、そうすれば筋が通るんです。あなたが女性のような話し方をする理由……歳の離れた妹が粗野な言葉遣いを覚えないように、あなたが手本になるしかなかったのではないですか?」


 母親がいないから、幼い妹はジャスパーの真似をしていた。


「ここまで分かれば、あとは簡単に推測できます。幾ら何でも、妹さんが日常的に使っているベッドに、勝手に男を寝かせる事はしないでしょう。であれば、妹さんは普段から家にいないという事」


 使われていないベッドだったからこそ、ジャスパーはマルシュに使わせた。


「妹さんが家にいなくて、この街最強の狩人パーティーを脅すとなれば——妹さんを救うために力が必要だった。けれども、正規の依頼をかけられるほどの資金がなかった。違いますか?」


 口を閉じて、ジャスパーの返答を待つ。

 彼は唖然としていたが、やがて静かに頷いた。


「……すごいわ。これがA級の思考力なのね」


 本気で圧倒されている様子のジャスパーに、マルシュは違和感を覚えた。


「こうなる事に賭けていたのでは?」


 だからこそマルシュを妹の部屋に寝かせて、その存在に気がつくように仕向けていたのではないのか。

 そう尋ねると、ジャスパーは目を泳がせた。


「いえ……あたしの部屋はその、ちょっとだけ散らかっててね。本当にちょっとだけなんだけど!」

「そ、そうだったんですね」


 この感じ、絶対ちょっとだけじゃない。


「取り敢えず、事情をお聞かせいただけますか?」


 マルシュは思わず浮かんだ苦笑を引っ込めて、話を戻す。

 ジャスパーが首肯して口を開いた。

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