第49話 予知の終わり

〈怪獣壊演〉


 怪獣ラジュードの一歩は『ギロード渓谷』の森を、大地を一瞬でひっくり返した。只の一歩でそれだったのに、二歩、三歩と続くだけで、大地はその色を次々と変える。汚染に塗れた黒い土。その下の赤茶けた地層。さらにその下、遥か昔に噴火でもあったのか、火山灰を思わせる灰褐色が、数千年、或いは数万年ぶりに呼吸する。それが、ただのスキップ感覚で引き起こされたものだから、大地は爆音でもって悲鳴を上げた。


 大地に刻まれた歴史が千年ぶりに空気と交わり、代わりに木々がその下に没した。そして、それらを均す様にラジュードの尾がギロード渓谷を撫でまわせば、あっという間にそこは、平坦な土地に変貌する。もうそこに、さっきまで魔女がいて、それめがけてオークが矢を言っていた事実など、微塵も見当たらない。


 怪獣は吼えた。一面の真っ新に向かって、金属の擦れるような絶叫。そして、大地に新しい泥が降り注ぐ。怪獣の体から零れた汚泥が、辺りを埋め尽くす。


――定めの裂け目『ギロード渓谷』特撃完了。


 僅か、二分。


 気づけば、ジゴー・エルギーは暗い空を見上げていた。見下ろせるものは何一つなく、泥が大きく感じた。もう、今が昼なのか夜なのかもわからない。ラジュードとなって辺りを滅茶苦茶にしてから、もう一日以上が経過している、気もした。


 ただ、怪獣になって、無我夢中でミニチュアを壊していた。否、途中からわかっていた。自分は、この世界を壊していたのだ。そして、怪獣の汚泥でもって蓋をして、その破壊を永遠のものにした。


 正しいことをしたとは思う。だが……


 身を起こしてみる。あたりには谷も山もなく、平たい大地が続いていた。魔女達も、オークもきっと、この汚泥の下だろう。


 吹き抜けていく風が、腐敗と酸、そして重油の臭いが混ざった得も言われぬ最悪な空気を連れてくる。ジゴーは思わず顔をしかめた。遮蔽物のなくなったこの場所で、臭いのもととなるラジュードから零れた濁泥は何の障害もなく大地を駆けていく。多分、魔族達が撒き散らしている大気汚染よりも深刻なはずだ。


「……大丈夫、どうせ、こうなる。全部おれがそうする。少し早まっただけだ」


 魔族達はいずれ、より『現代』に近い社会を形成する。空虚な上に、期待と未来なんていう不確かなブロックを積み上げて作る偽りに満ちた世界。誰も、それが無意味だなんて夢にも思っていない愚か者の国。


 ジゴーの胸には、今までにない決意が宿っていた。


 この世界を、壊し尽くす。怪獣の力を使って、この滑稽な世界を真っ新にする。


 ここには、ほんの少し前まで、オークが笑いながら矢を射り、それを黙して受ける魔女達がいた。赤々と燃える焚火があって、それより前には、まだ子供の魔女見習いもいた。


「ウトト……」


 運命と嘯き、死ぬことを日常の様に受け止めていた魔女の一団の中で、まだ、彼女だけがそれを受け入れられず震えていた。


 多分、もう死んでいる。怪獣となった身では、その足元で蠢く人間など蟻にも満たない。それに、それも覚悟して踏み潰した。人間一人一人の命など、俯瞰してみれば結局のところ大した価値もない。気にしてはいられない。


 ジゴー・エルギーは『次』に行くべきだった。それなのに、彼はそのまま動こうとはしなかった。ふと横を見ると、まるで急かす様にあのカチンコが地面に突き刺さっている。彼は思わず目を反らした。


「ジゴー……」


 その時、彼の名を呼ぶ声がした。はっとして振り返ると、そこには泥に塗れた橙色の外套をまとった少女がいた。


「ウトト!」


 ジゴーは思わず、彼女の名を叫んだ。気付けば体が勝手に走り出していた。ウトトの顔には疲労が見えたが、それでも生きていた。


「よかった……ジゴーは無事だったんですね」


 ウトトはそう言って、ジゴーの胸の中へ自身の頭を埋めた。


「覚えています。ジゴーは、わたし達を助けるために何かをしてくれたのでしょう」


「それは……」


「何が起きたのかは、わかりませんでした。ただ、地面が揺れて、オークが吹き飛んで……でも、みんな無事です。その、オークに射られた傷はありますが……魔術で身を守ったのです」


 それはまさに、驚くべき奇跡だった。あれだけの地面を踏み鳴らし、尾で薙ぎ払ったこの場所で、魔女達が命を繋いだのだ。


「だから、ジゴー、泣かないでください」


 ウトトが顔を上げ、小さな指をジゴーの頬まで伸ばす。


「そんな、そんなわけないだろう!」


 ジゴーは慌ててウトトに背を向け、目をこすった。


「じゃあ、皆さんは……」


「うん。あっちにいる。だけど……」


 ウトトはなぜか言葉を濁した。その様子に、ジゴーは改めて彼女に向き直り、顔を覗き込んだ。


「ジゴー、わたしはみんなから離れて生きます」


「え?」ジゴーは目を丸くした。


「ジゴーには信じられないでしょうが、本当にわたしは、わたし達は、あの時死ぬ定めにありました。魔女の予知は絶対です。これが違えることはありません。でも、それをあなたは壊した。本来、それはわたし達にとって何よりの凶兆、否、合ってはならないことなのですが、それでも、わたしはそれを今、嬉しく思います」


 ジゴーは黙ってその言葉を聞いていたが、視線だけは泳ぎ続けていた。彼女の言葉をどう受けと止めればいいかわからなかった。


「わたしは、予知の上とはいえ、あなたを助け、一団に迎え、共にここで死ぬことに巻き込みました。だから、ずっと心苦しく思っていました。一時はあなたを助けても、これではまるで、わたし達が殺すようなものです。それをずっと黙っていてごめんなさい。許してほしいのです」


 ウトトはそういってぺたん、と地面に膝をついた。


「違う、おれだって、みんながいるところで全部壊すつもりで、この辺りを滅茶苦茶にしたんだ。だから……」


「でも、ジゴーは救ってくれました。あなたは、確かにわたし達の運命を壊してくれたのです。こんな、あなたを殺すような真似をしたわたし達の命を守りました」


 ウトトはジゴーの言葉を遮った。ジゴーの弁明など聞く気など無いようだった。


「わかった。とりあえず、みんなのところに戻ろう。それで、これからどうすべきか考えよう」


「いいえ、もうすべきことは決まっています」


 ウトトはきっ、と顔を上げ、ジゴーの目を見た。


「わたしは、魔女から抜けます。そして、あなたの傍においてください」


「な……」


 ジゴーはついつい言葉を詰まらせた。そんなことを言われるなど考えていなかったのだ。


「ずっと、思っていたのです。わたし達は予知の通りに生き、予知に従って死にます。でも、それは誤りではないかと。母を、仲間を見殺しにするような生き方を、本当に正しいと思わなくてはならないのか。それだけではなく、予知だからと、誰かを巻き込んで死ぬことが正しいのでしょうか。予知とは、そういうものなのでしょうか」


「……」


「だから、ジゴー。あなたのこれから行く先、そこへわたしを連れて行ってください。決して邪魔は致しません。ただ、わたしは人を救う、そのために力を使わず、ただ予知に従って生きる魔女の生き方に、やっぱり納得できないのです」


 ウトトの強い言葉に、ジゴーは返事を躊躇った。


「あなたは予知を破り、そしてわたしは、あなたに助けられました」


「違う、おれはそんなことをするために全部、壊したわけじゃない。とにかくみんなのところに戻って、それから考えればいい」


 おかしなことを言っている自覚はある。だが、それでもジゴーの言葉は止まらなかった。あの女神はきっと、またまた自己矛盾かい、なんて言って笑っているに違いない。


「でも……」ウトトは目を伏せた。


 ジゴーはその様子に首を傾げ、彼女の脇を抜けて歩き出した。汚泥の上にはウトトの足跡が残っている。ウトトも、ジゴーを止める気はないらしく、とぼとぼと彼の後ろをついてきている。そうして、ほとんど平らになったと思われたこの辺りにも、谷の名残か、二メートルほどの段差が残る地形に来た。ジゴーはその小高い崖の上から、橙色の外套をまとった魔女の集団を見下ろした。


 ——その誰もが地面に項垂れ、微動だにしない。


「あれは……」


「皆、予知が外れ、生き残ったことを受け入れられず、ああしてオークに取って食われる日を待っているのです」


「そんな、馬鹿な……」


 ウトトの説明に、ジゴーは絶句した。


「わたしはもう、あそこには戻れません。それに、予知が当てにならないことをあなたが教えてくれました。だから、ジゴー。わたしはこれからは予知を封印し、本当に人を助けるために生きていきたいのです」


 ウトトはそう言って、泥に塗れたジゴーの手をやさしく握った。


「あなたのように、そう生きてみたいのです」

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