第48話 怪獣壊演
カチンコを鳴らした瞬間、ジゴーの意識は真っ白に染まった。ただ、何かが、始まろうとしていると直感した。
――急に辺りが真っ暗になる。
『上映開始』
タイトル/化学怪獣ラジュード
監督/中屋修一
主演/鹿島十郎
日付/1968.10.2
配給/太宝株式会社
■審査『上映不許可』
すると、再び周囲は真っ白な空間に戻った。否、それだけではない。目の前に、泥や土を模したミニチュアが広がっていた。六畳ほどの広さ一杯に、本物の地形をそのまま圧縮したような光景。もしもこれを、人の手で作っているとしたら、職人芸としか言いようがない。
『ほら、どうした、ぼーっとしてないで、早く』
目の前のミニチュアに見とれていると、女の声がした。はっとして振り返ると、まるで周辺の白に溶け込むかのような、これまた目に痛い白い服を着た女がいた。ワンピース、というよりも白いカーテンをそのまま纏っているかのような、女。
「早くって、何を?」
ジゴーは思わず聞き返した。すると、女は笑った。
『決まってるでしょ。それ、壊すんだよ』
「これを?」
女は目の前のミニチュアを指している。ジゴーは困惑した。この爪先ほどにも満たない土くれの精度や、崩れた崖の、まるで見てきたような繊細さ。小さな木、一本一本に同じ形のものはなく、それぞれが手作業で作られたことがすぐに分かった。
『その通り。君、さっき決意したでしょ。全部壊すって』
「それは……」
目の前に広がるミニチュアを見て、ジゴーは押し黙った。確かにこれは、ついさっき、自分が壊そうとしていたものだ。
『なに、君の決意はそんなもんだったの?
「そういうわけじゃ……」
しかしてジゴーの視線はめのまえのミニチュアに釘付けだった。精巧に作られたそれは、一朝一夕では作れまい。それまでに作った本人、否、職人とでもいおうか、彼らの技術のすべてが込められているのだ。所詮は作り物の枝葉だとして、それでもこれには魂が宿っている。
『うーん、じゃあ、ルール違反だけど私がちょっと齧っちゃおっかな』
そう言って、女はすたすたとミニチュアに近づく。
「やめろ!」
ジゴーは慌ててミニチュアと女の間に立った。
「おれがやる。大丈夫だ」
『本当に?』
女は首を傾げる。大して、ジゴーは力強く頷いた。
「落ち着いてみれば、イメージ通りだった。こんな、変な空間に、世の中が浮かんでいるんなら、こんな出鱈目の上に載っているとしたら、そのさらに上に載っている、やっぱりおれ達はやっぱり滑稽だ」
ジゴーの言葉に、女は目を丸くした。そして、深く頷く。彼女はジゴーの頭を撫でると、言う。
『そう、その通り。結局さ、世の中全部喜劇なわけ。でもさ、それ、わたしみたいにちょっと世界から離れちゃった人の意見でさ、当事者からしたら堪ったもんじゃない』
「でも、だからと言って、お前を締め上げてもどうにかなる話じゃないんだろう。滑稽なことに変わりはない。おれ達はいつでもどこでもずっと惨めだ」
『勿論。でも怖いこと言うね。締め上げられるのは嫌だな』
「だとしたら、もう、おれにできる喜劇の終わらせ方は、これしかない」
ジゴーは、ついにそのミニチュアに足を掛けた。その瞬間、地面は割れ、その重量が大地を伝播し、あの精密に作られた木々が吹き飛んで宙を舞った。
それを引き起こした原因たる、その一歩。それは巨大な鉤爪を持ち、黒々とした表皮と、そこからだばだばと漏れ出す重油や汚泥に塗れている。それらがゆっくりと大地に染み入る。まるで影のようにそれらは浸透していくが、そもそも今、それらの上には巨大な影が落ちている。それは、二十メートルほどの長い爪をもち、筋肉とも鱗ともつかぬ不気味な表皮を持って、雲に届きそうなほどの巨体。蜥蜴の様に裂けた顎を持ち、牙を湛え、この世界に初めて、本物の破壊をもたらすもの。
——化学怪獣ラジュード。
それが、異世界を更新する。大地は不変のものでなく、ただ歩けば崩壊する。数百年生きるはずの木々でさえ、怪獣の一踏みで簡単に生涯を終える。
壊れろ! 壊れろ!
ラジュードは、それらを目いっぱい踏み潰し、蹴り上げ、体を捻った。そうすると、尾が怪獣の動きを追従し、ぐるりと辺りを薙ぎ払うのだ。
そして、そんな彼を見つめるのは、三脚に支えられた大きなカメラだった。それが、ラジュードを、一つ一つ、小さなコマに切り取っていく。
そうして、一つの作品が出来上がった。
■女神特権発動→架想世界←鑑渉開始。権利買収、一部変更強制承認。ウルトラスポンサード完了。
タイトル/化学怪獣ラジュード
監督/ジゴー・エルギー
主演/ジゴー・エルギー
日付/3122.02.19
配給/すてきな女神様
■再審査『上映許可』
――上映が始まる。
●●○3
●○2
○1
『まもなく上映のお時間です。携帯電話、スマートフォンの電源を切り、夢溢れるすてきな映画の世界をお楽しみください』
ブザーの音が鳴り響いた。
「怪獣、壊演!」
〈怪獣壊演〉
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