第47話 予知の日

 その日は、昼間でさえ、まるで夜のように暗かった。一段と分厚い雲と、黒い煙の層が天を覆い、太陽光を完全に遮っている。それなのに、魔女の一団は獣道をすいすいと歩いていく。


 七歳のジゴー・エルギーは、先を行く魔女の一人、セブの外套の端を摘まんで歩いていた。


「この辺りは大きな石が多いから、足元には注意しなさい」


 セブは優しく声をかける。確かに、この辺りには足首に負担がかかる障害だらけ。左右には崖が聳える。例の『谷』に至ったとは思われるが、それでも魔女達は足を止めない。


 一人、予知の使えないジゴーを、皆が皆気を使ってくれた。今までも当然、道中の危機を教えてくれた彼女達であったが、今日は特にそうだった。


 ただ、ウトトの様子だけが違った。彼女だけがずっと俯いている。魔女達は確かに、いつもどんなに人を気遣うような言葉を発しても、顔だけは無表情である。だが、ウトトのそれは、どうも別の意味がある気がする。


『だから、わたし達を、許してください』


 二日前の晩、ウトトが一人呟いた謎の言葉。それだけがジゴーにとって気がかりだったが、それに反して魔女達はいつも通りを貫いた。


 その日も、どうやら夕方に差し掛かったらしく、ついに魔女達は足を止め、焚火をし出した。皆が皆荷物を下ろし、いつも通り食事や寝床の準備を始めた。


 高く上った焚火の日。そしてそれに対し、魔女達はせっせと、テントや荷物をくべ始めた。赤く燃え上がる寝泊まりの道具や、まだな髪の残る食料を燃やし始めた彼女らの奇行に、ジゴーの背筋が凍った。あまりにも意味が分からず、慌ててセブの腕を掴んだ。


「あの、何をしているのですか」


「予知の日が来たのです。これが、わたし達の運命の日。見なさい、ジゴー。この赤く上る炎の先を」


 ジゴーははっとして空を見上げ、そして切り立った崖の上にも同じく火の手が上がっていることに気が付いた。そして、その炎に当てられて揺らめく影に、思わず目を丸くした。


 それは、叫んだ。


「■■■■■■!」


 まるで豚の悲鳴のよう。甲高く不快な音。炎の中、シルエットとして浮かび上がるのは、人間と似た直立二足歩行だが、そのやや寸胴な体系と、不気味に尖った耳。なにより、紅焔の中に見える長い牙や爪。


 これが、オークか!


「逃げよう!」


 ジゴーはそのままセブの腕を引いたが、彼女は微動だにしない。


「どうして!」


「これが、わたし達の予知の至る結果。これが運命。未来は正しく訪れた」


 彼女は淡々とそう言う。ジゴーはあたりを見回し、敵の数を把握する。谷の上に、焚火は四つ。それぞれの傍に、三体ほどのオークの影。十二体のオークに囲まれている。


「大丈夫です、逃げられます! だから……」


「いいえ。それは予知に反します。わたし達の見た未来は、ここで終わり。先はないのです」


 あまりにも平然と、死を受け入れようとする彼女の姿に、否、魔女達の姿に、ジゴーはぞっとした。もう一度腕を引っ張ろうとしたが、今度は彼女に両肩をしっかりと掴まれてしまった。


「予知の日。終わりの日。これでいいのです。わたし達は、過去から未来、そのすべてを見て、受け入れてきた。過去を見て魔術を使い、未来を知って予知を得る。そして、その果て、至る終わり。それに安住の地を見出す。それがわたし達魔女の定め。受け入れなさい。あなたも」


「だって……じゃあ、僕を助けたのは……」


「あなたも一緒に、わたし達と果てを受け入れる。それが、わたし達の予知です」


「そんな、じゃあ、こうなるために、僕まで巻き込んで……」ジゴーはぞっとした。


「それが、予知です」一切の澱みのない返事。彼女達が予知に対して盲目に従っていることはわかっていたが、死ぬことすらとうに受け入れていたのだ。とはいえ、それも理解はできる。だが、さらにその先、それを他者に強要し、一切の罪悪感も沸いていない。


 ——これが、魔女なのか。


 その時、ひゅん、と風を切って、オークの矢が焚火に一番近い魔女、ダロの胸を貫いた。すると、オーク達の声に、明確な愉悦、笑いが含まれたことに気付く。


 続いて、一本、二本と矢が射られ、その度に魔女達が静かに膝を屈す。


 エルヤの胸が貫かれる。

 ゾニニの頭が弾け飛ぶ。

 ジャジャは膝を射抜かれ倒れ込む。

 セブは胸を貫かれてなお、立ち尽くした。


 ジゴーの鼻先を、矢が掠める。


「ウトト!」


 そこで漸く、ジゴーはウトトのことに思い至り、振り返った。彼女は宣言通り、ジゴーの傍に只、立っていた。


「逃げて! 子供だったらまだ……」


「いいえ。これが予知の通りなのです。わたし達はここで、オークに見つかり射貫かれる。それが決まり。予知の通りの未来です」


 セブと同じく、何の感慨もなくウトトは言う。周囲の魔女達と同じく、ついさっきまで優しく道案内をしてくれていた彼女達が、数時間前まで一緒に食事をしていたのに、今はまるで彫像のように動かず、ただ黙って犬カレルを飲まっている。対照的に、オーク達は笑い声をあげながら、的当てでもするように弓を引く。ジゴーばかりが、その様に恐怖を感じていた。


 否、本当にそうだろうか。ウトトの手は、固く握られている。しかし、揺れる大きな焚火の炎は、彼女の揺れる全身を克明に影として映し出していた。


「わたし達魔女は、生まれた時からその最後の時を知り、それと向き合いながら生きています。これが、わたし達の見た、最後の光景。死の瞬間です。邪魔を、しないでください」


 ウトトはぶつぶつとそういうが、ジゴーには、ただ手をきつく握り締めて震える彼女の様子しか目に入らない。


 矢は、どうやらもう、どうやって魔女達の耳や鼻のギリギリを射抜けるか、という勝負になっているらしく、平然と立ち尽くす魔女を、いかにして驚かせるか、その一点に収束し始めていた。風を切り、ひゅんひゅんと鳴く矢の量に対して、人に刺さることが稀になっている。


 ジゴーは、オーク達を見上げた。声だけではない。顔もまた、笑っている。異種族だろうと、笑顔の形は変わらない。気づけば、ジゴーは自分が奥歯を砕かんばかりに強く噛んでいた。そっか、と思った。


『壊さねばならない』


 ジゴーはそう直感した。


「ウトト、ウトトはこれでいいのか。カレーだって、生きていればたくさん食べられる!なのに、なんで突っ立ってるんだ。逃げよう、ウトト!」


 ジゴーはウトトの手を引いた。だが、彼女は動かない。


「駄目! だって、わたしは死ぬの! 見たんだから! お母さんだってそうだった!

オークに刺されて死んだ! わたしは見ているだけ! でも、魔女は、運命から逃げちゃいけないの!」


 ジゴーは愕然とした。同時に、手に力が籠る。無表情だったが、あれだけ自分に親切にしてくれた人達が、ただ漫然と死を受け入れていく。ウトトすら、その場にまるで根の生えた様に突っ立って動かない。


「それは、そんな中途半端な力を持っているから、そう思い込んでいるだけだ」


 ジゴーは、低く唸るように言った。


「気持ちは、少しわかる。だけど、それは間違っている。結末が同じ、わかっている、っていうのは、そういうことじゃない」


『あれれ、ジゴー君、君、ここでそれを使うのかい。なーんか矛盾してないかな』


 突然、ジゴーの頭の中に声が反響した。


「うるさい! とにかく、これは、正しくないだろ!」


『独善的。身勝手。自己中心。でもまあいっか、君がやる気になってくれるなら』


「こういう死に方は間違っている、ただそれだけだ。どうせ終わるなら、そう、どうせ終わらせるなら、それは、こうやって終わる時だ。もっと理不尽に、意味もない」


 ジゴーは走って彼女達から距離を置く。そんな彼の手の中に、それはあった。


 ——カチンコ。


「予知も、魔法も、全部壊す。間違ってるって証明してやる。いいか、お前達が予知にへばりついているのは、これを見たことがないからだ」


 その板部分には、以前はぐちゃぐちゃとした乱れた線がぐるぐると書かれていたが、今は違う。きれいに消され、その上から改めて、文字が書き殴られていく。久しぶりに見る日本語だった。


『わたしが一緒に読んであげよう。元気に、大きな声で! 現場のスタッフに、俳優に、みんなに聞こえるように、さあ!』ジゴーはカチンコの板と棒の間に指を入れ、開く。


『シーンゼロ!』「シーンゼロ!」

 

 ジゴーは叫んだ。


「定めの裂け目『ギロード渓谷』」

『特撃用意』

「アクション!」『アアアアアックション!』


 ——カン!


 見様見真似であったが、カチンコはその快音を渓谷一杯に響かせた。


「これは……」


 そうしてジゴーは、初めてその時、目の前にこの世界の『セット』を目にした。

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