第46話 予知の果て

 悩んだが、そもそも彼女達旅の一団を離れては死ぬのみ。だが、それ以上にまず、その度の一団の習慣というものがジゴーの興味を惹いた。そうして、旅の一団にジゴーが紛れて三日。噂しか聞かなかった彼女たちの生活を、ジゴーは漸く理解しつつあった。


 まず、女性しかいない。


「その通りです。わたし達は魔女の一族です」


 ジゴーの問いに、ウトトは無感情にそう答えた。


「そういう定めにあるのです。わたし達に男児は産まれません」


 隣にいた魔女が情報を加えてくれた。彼女はセブ。ウトトの叔母に当たるという。それ以上、魔女の生態について詳しくは追及しなかったが、おそらく時と場合によって、旅先で子供を作り『魔女の血』を維持していると思われた。『旅の一団』がそう簡単に排斥されない理由、大人達があまり言及したがらなかった訳をジゴーは今更ながらに理解した。


 話によると、ほかにもいくつか彼女達ムヤナの民の一団はあるらしく、時に交流もあるという。


 魔女達は世界中を徒歩で旅する。だが、そこに明確な理由はないようで、例えばこの時期、あの土地に行けば麦が手に入るから、だとか、そろそろ布が欲しいから羊のいる牧場へ顔を出そう、とか、そういった考えはない。


「予知です」


 それに疑問を呈すと、帰ってくる言葉は一つだけだった。大人では埒が明かないと思い、ウトト言うこの一団で唯一の子供に予知とは何か、と訊ねる。


「わたし達は、この『世界』と記憶を共にしています。故に、未来のことも見ることができるのです」


 しれっとそんな言葉が返ってきたから面食らった。


「記憶とは、魔術なのです」


 ウトトは杖から火花を散らして見せたり、風を呼んだりしてジゴーを驚かせた。ジゴーもまた、中世ファンタジー風の世界で漸く目にした魔法に、つい胸が躍った。


 すごい、と感心するジゴーの言葉に、珍しくウトトは頬を赤くして顔を背けた。


「じゃあ、未来が見えるってことは、この先、今向かっている谷では何がある?」


 ジゴーは当然の疑問を口にする。すると、ウトトは黙って首を振る。言えないこともあるらしい。否、予知ではそれを口にしていないから、ぐらいの理由なのだろう。魔女達の行動について理解は進んだが、それでわかった不気味な点といえば、彼女達が予知に対してあまりにも忠実に行動し、或いは疑問一つ抱いていないことだった。


 ただ、この一団で唯一の子供であるウトトだけがまだ人間らしい。ジゴーの質問を無視したが、それはそれとしてやや困ったような表情が見える。


「ご飯の時間だ」ジゴーへの解答の代わりに、ウトトはそう言って立ち上がる。すでに匂いが漂っていた故、ジゴーはウトトが促す前から食事の時間が近づいていたことは理解していた――もう一つ、魔女達の食事には驚かされた。


「異世界に来たのにレトルトカレーがあるなんて」


 魔法で火をつけ、魔法で鍋に水を張り、沸騰させたそれに掛けられるのは、見慣れた銀色のパッケージ。


「魔族、オークの市場から盗んできたものです。保存がきくため、重宝しています」


 彼女達はそう言ってそれをしかし、無表情で咀嚼する。食べ慣れているからだろうか。


 だが、ジゴーにとっては別だった。さらにパッケージを開いたときに香る、猛烈な懐かしさ、そして複雑なスパイスの香り。オークが、魔族がなぜレトルトカレーを嗜んでいるかなんてどうでもいい。今は、この薫り、味、刺激に感謝した。この異世界において、ここまで味が濃い料理も珍しい。惜しむらくは、白米ではなく保存食のクラッカーしか付け合わせがないこと。


「……美味しいよね」


 舌に刺さり、弾ける辛さ、旨味に打ち震えていると、小声でウトトがそう囁いた。ウトトの目に涙が浮かんでいる。子供には確かに辛すぎるだろうが、そういう涙でないことはすぐに分かった。


「男の子は、もっと食べると良いでしょう」


 わざわざ離れた場所で焚火をしていた魔女が、ジゴーの傍へやってくると、新しいカレーを彼のさらに開けた。ウトトが唾を飲む。


「いいんですか」


「勿論。わたし達がたくさん集めたのは、あなたに食べてもらうからですよ」


 そう言って彼女は、やや離れたところにあるテントを指した。確か、あそこに食料を集めた荷物がある。


「でも、なんか申し訳ないです。僕なんて、ここにいるだけなのに」


「いいの。大丈夫だから」


「そうそう。ゾニニがそう言ってるんだから」ウトトはつん、とそう言って、皿を舐めるように匙を走らせていた。ウトトはあっという間に皿を空にしていた。そうしてふと、ゆっくりと食事を続ける大人達を、恨めし気に見つめていた。


「ウトト、いくらそうしていても、お代わりは手に入りません。そういう予知が見えているでしょう」


 ふと、セブはウトトを振り見て釘を刺した。ウトトは口をすぼめ、そして食器を洗うために呪文を唱え始めた。


「大人達は予言をたくさんしているから、味も匂いもすぐに慣れちゃうんだと思う」


 後でこっそり、ウトトからそう言われた。思うに、彼女達はかなり頻繁に予知をしている。故に、実際にそれを目にしても、思うことは少ないに違いない。


「本当はこっそり、エルの鞄からご飯、抜き取ってもいいんだけど、どうせばれちゃうからできないし」


 ウトトは頬を膨らませて言う。どうにも食い意地の張った少女だと思った。否、これが普通な気もする。ジゴーはグララグ領の友達、エリーやコリーを思い出した。そういえば、今のウトトは初めて会ったときの無表情な少女とは似ても似つかない。


「魔法を使えば何とかならないの? カレーぐらい盗めるんじゃない?」


 ジゴーの質問に、ウトトはいくつかの呪文でもって答えた。ウトトが手を伸ばすと、その上に小さな飛蝗が飛び乗った。それを、子供らしく一切の邪気なく握り潰す。


「捕まえる魔法はあるけど、どうせやっても意味ない。予知があるの、忘れたの?」


「違う」ジゴーは真っ直ぐウトトの瞳を見つめた。これから自分が言うことを、ウトトはどれだけ知っているだろう。そんな疑問が浮かんだ。でも、言うべきことはそれではない。


「予知って、そんなに絶対なの? 例えば、予知と全く違う行動をとるとか……」


 ジゴーがずっと感じていた疑問。予知と関係ない行動をとったら、それはどうなるのか。何気ない疑問の一つだった。


「駄目! そんなことしちゃいけないの!」


 ところが、急にウトトは声を荒げた。


「予知は絶対。運命だって、お母さんも言ってた。だから、わたし達は運命を受け入れないといけないの! 予知の通りに、行動しなくちゃいけないの!」


「ごめん、怒らせるつもりじゃなかったんだけど……」


 ジゴーは慌てて言葉を繕う。だが、ウトトは急に眼に涙を浮かべ、ジゴーへ背を向けてとっととテントへ走ってしまった。


 もう日も大分落ちている。ジゴーもまた、宛がわれたテントに入り、眠りにつく。一応男だからか、ジゴーのテントは特別に一人だった。


 だが、その夜はあまり眠れなかった。ウトトの激昂、それはこの、全てを悟ったような表情ばかりしている魔女達の中で初めて見ることだった。


 と、そんなジゴーのテントがしゅるりと捲られ、誰かが入ってくる気配がした。跳び起きてもよかったが、体が緊張して動かなかった。


「ジゴー。起きてる?」


 それは、そうジゴーへ告げた。ウトトの声だった。どう反応していいやら、ジゴーは思わず、狸寝入りを続けてしまった。


「寝てるよね。さっき、久しぶりに予知を使ったから知ってる」


 と、いうことは、どうも予知上では、ジゴーはきっと最後まで、寝たふりを貫くに違いない。確かに、このまま返事をしてやってもいいのだが、そうすると、きっとこの先彼女の口から告げられるであろう、重大な情報を取り逃す可能性がある。そう思うと、ジゴーは安易に目を覚ますわけにはいかなくなった。


「あのね、実はわたし、最近、予知を使ってないの。大人はみんな、予知を使って運命を知って、その通りに行動するんだけど……例えこの先の結末が決まっていても、最近は、ジゴーといることが楽しいから。ジゴーが魔法で、どんな顔で驚くのか、ご飯を食べて、どんな顔で笑うのかも、予め知ってたら、つまんないし」


 急な独白に、ジゴーはなんとなく顔が熱くなる思いがした。ついで、なぜが心臓の鼓動が早くなる。


「だからね、ジゴー。ごめんなさい。こんなことに巻き込んで、ごめんなさい。でも、わたしはきっと、最後までジゴーの傍にいます。だから、わたし達を、許してください」


 そっと、ジゴーの頭が撫でられる。そうして、気配はそのままゆっくりと、ジゴーの傍から離れていく。


 どういう意味なのか。ジゴーはしばし思案したが、あることに行きついた。


 ——魔女の一団に迎えられてから、彼女たちは魔界の南にある『谷』へ行く、ということ以外の話をしていない。

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