第43話 最初の罪演

「ご子息に、〈転生者〉の疑いがある」


 運がいいのか悪いのか、それは誰にもわからない。時刻は夕方、六時ぐらいだろうか。ジゴー・エルギー少年は、エリーとコリーの二人とたっぷり遊んでから、いつも通りこっそり館に帰ってきた。ばれていないか確認するべく、父リドリー・エルギーの居所を探っていたところ、客間からそんな声が聞こえてきた。外は暗い。


「まさか。確かにあの子は聡いが、転生者ほどじゃない。考えすぎだ」


「だが、アルバンからも聞いたぞ。あの子は、時間の『長さ』や『量』に興味を示している。それに、転生者は過去にも法律に言及し、人々をそうやって縛ってきた。ジゴーもまた、転生者だ。やつは時間をも区切り、決めようとしているのだ」聞いたことはある声だが思い出せない。アルバンではないが、彼の秘書だっただろうか。


「考えすぎだ。何を言っているかわかっているのか」


「人々を裁定する権利があるのは王だけ。これは立派な謀反だ」


「アルバンにしろ、君にしろ、エルギー家によく尽くしてくれたはず。君は一体、誰に、何を言っているのかわかっているのか、と聞いているんだ」彼の声に力が籠る。


「すでにラタンに駐屯していた兵にも通報した。もう間もなく包囲される。そうなる前に、息子を差し出せ」


 廊下にまで、机をたたく音が響く。


「お前は、自分が何をしたのかわかっているのか!」


「王国への謀反は許されません。それは、あなたへの忠義に優越します」部屋の中で激しい物音がする。だが、それに対手は動じる様子はない。


「あいつは今頃町で遊んでいるはずだ。それより、発言を撤回し、誤報だったと連絡を入れろ。お前がするんだ」


「もう遅いのです。あなたにできるのは、王国軍が雪崩れ込んでくる前に息子を差し出して王を安心させることだ」


「うるさい! 出ていけ! わたしから、息子に話を聞く。お前は関係ない!」


 まずい。ジゴーは慌てて廊下を走り、庭に出た。このままでは厄介なことになる。開けたところに出るのはまずい。家の側面をこするように歩き、最短距離で庭からの脱出を目指す。


「お坊ちゃま」


 すると、背後から声がかかり、ジゴーは思わず飛び上がった。


「わたしです、アルバンです」リドリー・エルギーの右腕、アルバン・ミョルン。彼はランタンをもって庭に潜んでいた。


「驚いた……その……」


「聞いてしまわれたのですね」


「……はい」


「この騒ぎを起こしたのはザハト・リゼンカです。西の果樹園の主です。わたしが、時計塔の話をしたばっかりに……」


「いえ、大丈夫です。大丈夫ですから」


「まったく、妙なことを考える。いや、あいつはずっと、お父上の席を狙っていたようです。ただの果物好きだとばかり思っていましたが、最近お父上が推進していた開発計画に不満があったのは間違いありません。ですが、まさか、ここまでの言いがかりをする輩だとは……」


「僕は、どうすれば……そうだ、父に会わせてください。あなたの手引きがあればできるはずです」


「いいえ、まずは身を隠しましょう。わたしの屋敷へどうぞ。あそこなら、まさかジゴー様がいるとは思いますまい」


 確かに、エルギーの邸宅はこれから捜査が行われるだろう。それに比べたら、彼の邸宅は安全なのは自明だった。


「わかった。よろしく頼む」


「はい。よろこんで」


 そう言って、アルバンはジゴーの手を引いた。彼の陰に隠れるように、屋敷を囲む壁に達する。だが、そうして手を引かれている間に、ふとジゴーの胸に過る言葉があった。


『この町も、人も、全部壊しなって。わかってるでしょ、人間なんて碌なもんじゃない』


 自称・女神の言葉が頭を過る。その時だった。


「ジゴー、離れろ、そいつが軍に通告したんだ!」


 子供の声、コリーだ。


「おれ、聞いたんだ! ネルドに来る軍の奴らが、アルバンの通報のおかげだって、そう言ってた!」


「この、クソガキめ!」


 そういうが早いか、アルバンの手がジゴーをより強く握る。否、掴んだ。慌ててそれを振りほどき、ジゴーはコリーの声がする方に走る。すると、コリーはランタンを掲げて誘導した。彼は石垣の上にいて、ジゴーが走ってくるのを認めると、ぴょんと反対側の街道に飛び降りた。彼の意図が手に取るようにわかる。ジゴーこの石垣に空いた、大人には到底入れない小さい穴に身をねじ込んで、館を脱出した。


「大丈夫か、ジゴー」


「大丈夫。心配ない。早く逃げよう」


 コリーの顔を見てついつい安心してしまったが、問題はこれからだ。どこに逃げようというのか。ジゴーにはそのアイデアが思い浮かばない。


「とりあえず、町はずれの小屋に逃げよう。エリーと、秘密基地にしようって言ってた……」


 ジゴーはすぐに合点がいった。昔は農具でも保管していたらしいが、今ではすっかり使わなくなっている小屋がある。

 

「わかった。急ごう」


 ジゴーはコリーより前に出て、さっさと歩く。


「でも、ジゴー、その前に教えてほしい」


「なんだ?」


「ジゴーは、転生者なのか」


 ジゴーは思わず言葉を詰まらせた。今は命のほうが圧倒的に大事だ。このままでは簡単に縊り殺される。この異世界には、遠くの土地に魔族はいるらしいが、それ以外にファンタジーらしい要素はない。すぐにこの場から逃げ出せる便利な魔法や、敵をあっさり昏倒させる剣は存在しない。


『本当にそうかな? この世界には確かに、そういう便利なものはない。だけど、君には、特別に……』


「ジゴー、もしもお前が、エリーに悪いことをするようなら、容赦はしない」


 子供のくせに、一丁前の口を利く。ジゴーは奥歯を噛んだ。


「おい、逃げるなよ、転生者め!」


 その時、背後から声がした。石垣を超え、アルバンがやってきた。


「今、そんな話をしてる場合じゃない!」


 ジゴーは先に進もうとしたが、それをコリーが全身で防ぐ。


「やっぱり、お前、エリーも僕も、騙していたのか!」


「違う、そうじゃなくて……」


「ここです、アルバンさん!」


 コリーが、ランタンを振って大声を出す。ジゴーは思わず舌打ちをして逃げ出そうとしたが、今度こそコリーが彼の体を掴んで離さない。


 ランタンの光に導かれ、アルバンが通りに現れる。そして、服を少し整えてから、悠々と近づいてくる。


「やっとだ、転生者を匿った罪で、君の父さんは間違いなく処刑される。そうなれば……」


 その時、ごちん、と鈍い音が響いた。そして、あっけなくアルバンは膝を屈し、その場に倒れ込む。その背後、現れたのはジゴー・エルギーの母、ユリア・エルギーだった。


「ジゴー、大丈夫?」


「近づくな!」


「お前こそ! ジゴーを離しなさい!」


 コリーの精いっぱいの威嚇を、母は一喝した。ただそれだけで、コリーの手が緩む。すぐさまそれを振りほどいて、ジゴーはユリアに駆け寄った。ユリアはジゴーをしかと抱き留める。


「ジゴー、お父様からです」


 しかして、すぐに手を離し、ジゴーの胸へ、ユリアは硬い何かを押し付けた。


「これは……」


 ジゴーも見たことがある。エルギー家が大昔、この土地にいた豪族を平定し、イヴァントの領地とした褒美に賜ったという短剣である。それと、真黒な布、否、外套だった。ユリアは手際よくそれをジゴーへ被せる。大人用だが、裾を追って簡単に縫い付けて子供の丈に直しているようだ。重いが、頭からかぶれば簡単にこの闇に溶け込むだろう。


「お父様は今、屋敷に押し入った軍と戦っています。わたしも、行かなくてはなりません」


「どうして……」


「川に、お父様の仲間がいます。彼らは信用できますから、一緒にお逃げなさい。お母さんもすぐに行きますから」


「でも……」


「いいから、はやく!」


 母の言葉に押され、コリーの脇を抜けてジゴーは走った。坂を下り、果樹園を抜け、そのそばを流れる川がある。だが、そこでジゴーは思わず足を止めた。松明を掲げた集団がそこにいた。


 そして何より、その周辺に、倒れて血を流す人々の姿が目に映る。


 ——遅かった!


 ジゴーは思わず口を押えて、その場に屈んだ。


 ——逃げ場はない。


 戻るしかないと、改めてジゴーは後ろを振り見る。そこで、ジゴーは今度こそ言葉を失った。屋敷の方角が赤々と燃えている。


 火を放った者がいるのだ。


 もはや、居ても立っても居られない。ジゴーは全速力で駆けだした。父は、母は無事なのか。


「物音がしたぞ!」


 そんな声など捨て置いて、ジゴーは走った。そして、絶句する。


 木造の屋敷など、少し火を付ければ簡単に燃え広がる。天を焦がす勢いで、エルギー家の邸宅は赤々と叫んでいた。


「消火が済んでからでいい、息子の死体を探し出せ」

「屋敷から出る者があれば殺せ。それが転生者だ」

「父親と母親の死体も晒す準備を」

「転生者をかくまった罪、きちんと示さねば」


 ジゴーの拳がきつく握られた。目から、自然と涙があふれる。もう、全てがどうでもよくなった。


「おい、誰かそっちに逃げたぞ」


 背後から声がする。川で人を殺していた一団が近づいているのだ。目の前には燃える屋敷。もう、逃げ場なんてない。


「——シーン、ゼロ」


 ジゴーは自然と、その言葉を、呪詛のように口にした。その手には、知らぬ間に〈カチンコ〉があった。


「最初の罪演……」


 ——エルギー領グバード。己が生まれ育った土地の名を続けようとした、その時だった。


『われが呼ぶは 一つ、

語るは 明暗の旅その一遍、天地を問わず跋扈する、

聞くところ 白き風の獣のごとく』


 それは、ジゴーの知らない、本物の呪文。深い海の底から沸くような女の声。不思議なもので、その言葉が響いた途端、ジゴーの意識が途端に薄れた。ただ、地面に顔面を打つ前に、誰かがやさしく彼の肩を抱いた。


「あなたは、最後のその時まで、わたし達とともに歩くのです」


 ただ、眠りに落ちる。だが、瞼が閉じる寸前に、赤々と燃える自分の家より鮮烈な、橙色の外套を羽織った一団を、ジゴーは確かに認めた気がした。

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