第38話 ジゴーとスラ

「随分と、高い山に囲まれていたのですね」


 スラは改めて、その山脈から湖を見下ろした。今、曇り空の下、その湖は黒く汚れている。


 ――慈義の檻『ミュルンヘント総合病院』特撃完了から、三日。


 彼ら四人は、ひたすら山を登っていた。病院に至る谷は怪獣ラジュードに焼き払われ、崩れ、到底人間の立ち入れる場所ではなくなっていた。


 故に、ただひたすら整備されていない山を、否、斜面を、四人は彷徨っていた。もはや寝床を見出すのも困難な未整備の山の中だったが、彼らは今、一時の平穏とでもいうべきか、ちょっとした平らな崖の端を見つけ、病院や湖を見下ろしていた。


 雑草が伸び放題ではあるが、平らな土地も久しぶりで、さすがのルダンも地面に座り、呼吸を落ち着けていた。ただ、たまに彼女におんぶされていたスラはまだ元気なのか、崖の淵まで様子を見に行っていた。


「そうでもないと、あの汚れた大気から病院を守ることは出来なかったでしょう」


 ウトトは、病院跡を見下ろすスラへそう答えた。


「まあ、もう関係ありませんが。二度この地に、病院どころか、工場すら建ちません」


 黒い湖へ冷たい視線を送る。


「ウトト、魔族と人間は所謂近縁種であることは、理解しました。ですが、なおのことわからないことがあります」


「なんでしょう」


「彼らと、わたし達人間。それは、何が違ったのでしょう。知識や技術がまるで違います。わたし達にはコンクリートなどを始めとした建築技術は未だ持つことができず、あんな大きな建物など夢のまた夢。それに、あの建物の中の明かりも、理解できません。ランタンではどうやってもあんな白い光は出せませんから。どこで差がついてしまったのですか」


「さあ。それを考えることに……」


「意味はあります。ずっとわたし達は、魔族の進歩は恐ろしいまじないを使えるからだと思っていました。でも、そうではない」


 ウトトの言葉を先に断つ。


「じ、ジゴー、何か言ってやってください!」答えに窮し、ウトトはジゴーに答えを請うた。


「意味はない。考えなくていい。まだ、わからないのか」


 気怠そうにジゴーは言う。彼は彼で、木の陰で転寝を打とうとしていたところだった。


「はい……いいえ、なおのことわからなくなりました。ジゴー、あなたのおかげで、魔界の何たるかは理解してきたように思います。彼らはただのおどろおどろしい怪物なのでは決してなく、歴史的にも、精神的にも同属なのでしょう。ですが、だからこそ、わたし達と彼らの間にある、技術的な溝が気がかりです」


「失点、だそうだ」


「失点?」


 その言葉に、スラだけでなく、ウトトもまた顔を上げた。


「魔界は、神様にとって『失点』だと、そう言っていた。だから壊さないといけない。壊す役目が必要だった。それが、おれだ」


「ジゴーは、役目だから、破壊を全うするのですか」


「……違う。壊した方がいいからだ。歪だとは思わないか」


「何がですか」


「結局、魔界にとって、否、魔族にとって、奴らの作った汚染物質は毒だ。いくら耐えられるからと言っても限度があって、そのためにわざわざ、療養のためにこんな遠いところに病院を作ったりもする。だけど決して、汚染物質の発生源を止めようとはしない」


「それは……」


「なんで、そうするのか。もう、お前が一番わかっているだろう。奴らは白い光を出すランタンや、お前が寝るときに使うクッションがほしい、否、もっといいものがこれから南に行けばたくさんある。そういうことだ」


 ジゴーは目線すら合わせず、ただ一指、スラへ向けた。


「わかるか。いままでお前が喋ってきたこと、それがすべてだ。それが、こんな歪な病院を作る」


 眼下に広がる残骸。だが、そうなる前の整然とした病院の内装や外観をスラは思い出していた。


「お前が持ち帰るべきは、それだ」


 ジゴーは指をそのまま、病院の遺骸へ向けた。


「お前が欲しがっていたものが至るのは、歪みだ。そして、それは誰にだって矯正できない。人間だったら、なんてことはない。お前は正しい。魔族、オークやゴブリンと人間は歴史的にも精神的にも同一だ」


 スラは黙り込んで何も言わなかった。ジゴーは勝ち誇るでもなく、静かに続ける。


「わかったら、国に帰れ。ずっと山に沿って、森の中で暮らしてそこから出るな。間違っても、進むことを考えるな……そのうち、便利さの代償に生まれた歪みは、将来のためだからなんて世迷言に流されて、結局何かをする前に死んで無意味になる人間を大勢産む。それの、何が正しい」


「それは、ジゴーの体験ですか。転生者としての」


 スラの言葉に、ジゴーは眉一つ動かさない。ウトトだけが心配そうに二人の間で視線を行ったり来たりする。


「……そうだ」ジゴーは時間を置いて、答えた。


「では、ジゴーはどう考えますか。その、山に沿って、森の中で暮らすことすら許されず、故郷を追い出されるわたしの気持ちは」


「……なんのことだ」


「家族から疎まれ、必要とされず、提出した意見書を見、扱いきれないから人質として外国に追いやられる、わたしは、何なのですか」


「姫、落ち着いて……」


「ジゴー、すでに人の世は、歪んでいるのです」


「だが、お前達はまだ……」


「わたしの未来の話です。それに、わたしが抵抗して何が悪いというのですか!」


「お姫様、もういいですから」


 ジゴーとスラの間にウトトが立った。


「あなたにも事情はあるでしょう。ですが、ジゴーとわたしの道は変わりません。わたし達の遊びはここまでです。あなたは、今日まで見知ったものをもって、王国へ帰りなさい。送って差し上げていいですよ」

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