第35話 人間達の総回診です

イヴァント王国の最南端からさらに南、オークを始めとした異形の魔族が支配する領域、魔族境界線以南、通称、魔界。


そこにスラやルダンが足を踏み入れて一週間以上が経つ。これまでは彼らの軍事施設や住宅街、牧場を目にしてきたが、今回の場所はまたいつもと違うと感じた。


バスに揺られて、どれほど経っただろう。窓の外の景色は、相変わらず知らないほど早く流れていく。だが、高い山や木々に遮られ、その様子はわからない。ついにこのバスは、トンネルに入った。あたりが闇に支配され、隣にいるオークの寝息が深く聞こえ、スラは意味がないと知りながら、自分の胸を手で潰す様に抑えた。


だが、そうしてトンネルを抜けた先。そこでスラは、思わず、あ、と声を漏らした。


そこにあったのは、最近ついぞお目にかかっていなかった、青空だった。隣を見ると、ルダンも目を丸くしている。


そして、その目の前に屹立している、白くてきれいで、真四角な建物。


それこそが、オーク達の最前線にある戦場ではなく、彼らにとって最先端の技術と知識の結晶、病院だった。オーク達が利用するというその大型病院は、彼女の想像を遥かに超える場所だった。


 ——慈義の檻『ミュルンヘント総合病院』


 六階建て。二十メートルほどの高さのため、スラにもルダンにも、あの集合団地ほどの圧はない。だが、二人が驚いたのはそれではない。


「空が青い……」


 ルダンの口から、つい言葉が零れ落ちる。スラだけがあたりを見回したが、別に誰も反応するオークもいない。小声だったから澄んだの、ひとまずウトトの言うことは本当らしかった。


 そうして、スラは改めて外の光景に視線を注いだ。そう、久方ぶりの青空が広がっているのだ。


 しばらく見とれてしまったが、気になってバスの窓から後ろを振り向くと、周囲には故郷を思い出す山々が連なっていた。おそらく、これが周囲のいわゆる『煙』を遮っているのだろう。加えて、バスが建物の正面に回り込んだ時、スラは大きく息をのんだ。


 その青空が真っ直ぐに落ちてきたように澄んだ湖があった。それは、七キロ平方メートルに及ぶ湖。


 そこでバスは停止した。だが、スラもルダンは、邪魔そうにウトトから小突かれるまでずっと窓の外の光景を凝視していた。


 外に降りてその時、スラは今までの空気が汚れて、息苦しいものだったことを理解した。湖側から吹き込む風が心地いい。


「湖の水気を含む風が汚染物質を遠ざけているのでしょう。ほら、行きますよ」


 バスを降りても言葉なく湖を見つめたままの二人に、呆れてウトトは囁いた。そこで漸く、二人は改めて、目の前にそそり立つ白い建物を凝視した。


 ガラスの自動ドアの入口と、大きな庇。そして、縦に六つのガラス窓が等間隔にあることから六階建て。横には百メートルはあるだろうか。さらに、左右を見渡すと、同じような建物がもう二つ。計三棟で構成されているらしい。


「見回していると目立つ。とっとと中に入る」


 ジゴーの言葉に促され、四人で自動ドアをくぐる。その先は小さな部屋になっており、背後のドアが閉まると正面の自動ドアが開いた。意味は分からないが、きっと衛生的に意味があるとスラは感じた。


エントランスはダンスホールと見紛う広さだった。そこに背の低いソファのような椅子が規則正しく二十個以上並べられていて、そこにぽつぽつと、計十名ほどの『患者』が座っている。そんな彼らが足をつく床は、徹底的に磨き上げられていて、天井から下げられた、棒状の不思議な光源から放たれる、ランタンでもなく陽光とも違う明かりを反射していた。


白い壁にぐるりと囲まれ、冷たいが不快感のない風が室内をスキップしていく。スラだけでなく、思わずジゴーやウトトも深呼吸していた。


そんな中を、せわしなく歩くのが、青黒い肌で、人夜遥かに広い肩幅を揺らすオーク達だった。


白い服に身を包むものは病院の職員だろうか。エントランスの奥の廊下に消えて行ったり、逆に小走りで別の廊下へ移動したりする。受付らしいカウンターにも彼らがいて、時折言葉を発しては、ほかのオークを呼び出して、何やら喋っている。呼び出されたオークは何やら指示を受けたらしく、そのまま別室に移動していく。患者らしく、彼らの足取りだけがやや重い。


そこには、忙しい動きこそあれ、喧噪とは程遠く、理路整然としている。


野蛮で、空を汚し、森を引き裂き、人を食う。血と戦いに塗れた蛮族、それがオークと聞いていた。それなのに、こんな場所がオーク達の手によって運営されているとは信じ難かった。


「ウトト、術はどれくらい持つ」


「まだまだ大丈夫です、が……」


ウトトの言葉を聞いて、ジゴーは奔放に足を運んだ。その後ろをいつも通りウトトが続く。だが、あのウトトがジゴーの外套の端をつまんで歩いていた。


ジゴーは受付のカウンター横の不思議な図版を一瞬だけ見遣り、どこへ行くか決めたらしい。素早く踵を返し、ドアノブのない扉の前に立った。どうするのかと思えば、扉の横の丸い板を押し込むだけ。それでもすぐには扉は開かず、しばし待ってからだった。


ドアの向こうから、一人のオークがさっさと歩いてきて、四人を一瞥もせずに去っていく。


しばしそのオークを見送ってしまったスラだが、改めてそのドアの向こうに視線を戻すと、奇異であった。人間が十人ほどで肩と肩がぶつかってしまいそうな広さの部屋。そこに四人で入ると、ジゴーは黙って部屋の中のドア横の板に触れる。するとドアが閉まった。狭い部屋に閉じ込められてしまった。しかも、この部屋が微振動し始めると、途端に不安が口から噴き出てしまう。


「あの……」「どういうつもりだ」


 スラとルダンが小声で抗議するが、ジゴーは首を振り、代わりにウトトが答えた。


「これはエレベーターというそうで、建物を上下に移動しているんですよ」


「そんな、どうやって……」


「階段の上り下りを、わざわざ省く技術?」


 二人が首をかしげている間に、ドアが開いた。その先は、先ほどのエントランスと異なり、白くて明るいが、だだっ広い廊下だった。


「本当に、階が変わったというのか」ルダンだけがぼそりと呟いた。


その廊下は、当然ではあるがたくさんの部屋に接続されている。その部屋の中にはそれぞれ、四つのベッドと患者を格納していた。珍しく横にスライドするこのドアは、ほとんどが開け放たれていたから、簡単に中を覗き見ることができた。ジゴーはただ廊下を通過していくだけだが、スラとルダンは興味津々に首を振り回した。


そんな彼女らの目に飛び込んでくるのは、戦う者たちの姿ではなかった。代わりに、疲れ切った顔で車椅子に座るオークや、点滴を受けながら静かに横たわるトロールたちがいた。


戦場での恐ろしい姿とは対照的に、ここでは弱く、ずいぶんと小さく見える。青黒い肌や、白い斑点が目立つその体は、まるで彼らが戦士であることを忘れさせるかのように無防備であった。


部屋によっては、一人のゴブリンが、別のオークに付き添われながらリハビリのために歩いていた。彼の足取りは不安定で、ひとつひとつの動作が慎重だった。


ルダンは、その小さな体がかつてどれほどの戦闘力を誇っていたのかを思い出しながらも、今の姿が信じられなかった。ゴブリンも、ただの戦士ではない。彼もまた、弱さを抱えた存在なのだ。否、ここに、種族の違いなどあるのだろうか。


とある部屋には、オークの老女がベッドに横たわっていた。青黒い肌は年老いて皺だらけであり、彼女の顔には深い苦痛が刻まれていた。だが、その目は優しげで、まるで世界に向かって微笑んでいるかのようだった。隣に座る若いオークが、そっと彼女の手を握り締め、何かを囁いている。その様子に、自然とスラの拳もまたきつく握られていた。


 気付けば四人は外に出ていた。しかし、スラはいつ、どうやってまたあの変な昇降する小部屋を使ったのかも覚えていない。


 ただ、再び見上げたこの白亜の建物を見上げるのみ。それが、今は夕日で赤く染まり始めていた。


「壊すのですね」


 スラは、ジゴーの手に握られたカチンコを見て訊ねた。ジゴーは黙って頷いた。


「お姫様、魔族とわたし達は彼らのことを区別して呼んでいますが、それは正しくありません」


「はい」


 ウトトの言葉に、スラは返事をした。


「この魔界には、光の大地と呼ばれる特殊な土地がありました。そこは、本来生き物が暮らすのに極めて適さない、毒の光が満ち溢れた、ある意味黒い煙の中より劣悪な環境です。それでもなお、そこに適応した特殊な人間、それが、魔族です。頑丈な体、敏捷な足、力に特化した腕。オークもゴブリンも、トロールも、その適応の仕方が異なるだけです」


「そして、あなたも」


 スラは、ウトトを指した。


「そうです。魔女はここ、が変異しました」スラは杖で自分の頭をこんこん、と突いた。


「そして、わたし達は、その過酷な環境から逃げ出し、影響のない場所で繁栄した」


「その通りです。魔族が汚染を引き起こし、環境を変化させる理由、少しはわかりましたか」


「はい。彼らは、単に頑丈だから、それに耐えられるから汚染と破壊を続けている。本質的には、人間と同じ、清らかな世界でないと生きていけない、限りある存在なのでしょう」


 スラは背後、大きな湖を眺める。きっと、この病院にいる魔族達も、この湖を眺めては自身の体にまとわりつく漫ろ事から目を逸らして過ごしているのだろう。


「できる限り、距離を置きます。気を付けて」ウトトはジゴーへ向けて言う。


「お前達もな。巻き込まれたら悲惨だ。病院では診てもらえないからな」


 そういって、ジゴーは病院に背を向け、湖に向かって歩みを進める。


「シーン三十」『慈義の檻『ミュルンヘント総合病院』』「特撃、用意」『アアアアックショオオオン!』


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