第34話 バスに乗ろう!
ジゴーがオーク達の病院へ行く、と言い出して五日目。
「少しは楽をしよう」
その日も昼頃まで歩き詰めだったが、突然ジゴーはそんなことを言い出した。
「楽とは、なんですか」スラは訊ねた。
「オークの国道が近い。足も疲れたし、食料も温存したい。早く着くに越したことはない」
「待て。何故わざわざここでそれを伝えた? ルートの変更なら、お前が勝手に行く先を変えればいい。何を考えている」
ルダンは一歩前に出るとジゴーへ迫った。
「別に。それは……」
「いいではないですか。ジゴー、もはやわたし達二人は行くも戻るもあなたの気分次第です。好き進んでください」
口籠るジゴーをスラが助けた。
「さあ、道はどちらですか」そして、先を促した。ジゴーは浅く頷き、再び歩き始める。
「ウトト、そろそろ例の術を使ってほしい」
「まだ昨日掛けた分の効果が残っているので大丈夫です」
ジゴーがそういうということは、魔族の生息域が近いということ。自然とルダンはスラの手を引き、スラもまた彼女の陰に隠れるように歩いた。
だが、四人の眼前に現れたのは、集合住宅の様な巨大な建築物などではなく、アスファルトで舗装された大きな道であった。道幅は十メートルほど。
「なんだこれは。また、魔族の新しい家の跡か」
「いえ、ただの道です。見ればわかるでしょう。アスファルトを敷いて歩きやすくしているんですよ。石畳よりも平らでいいでしょう」
ウトトはアスファルトの上でぴょんぴょんと跳ねて見せた。
「それはそうだが……つまりここは魔族がよく通るんだろう。それで、どうする気……」
そこまで言って、ルダンは口を閉ざした。地面が揺れている――今ここに、何かが来ようとしているのだ。それはスラにもわかる。だが、それ以上にルダンは緊張しているようで、スラは不思議そうに彼女を見上げ続けた。だが、音や振動がより近づいてきたとき、漸く理由を理解した。
揺れは一定ではなく、ずっと地面を揺らし続けている。つまり、これは足音ではない。大群、それも途切れることなく足音を発し続ける大軍団が近づいている!
しかし、それなのにジゴーもウトトも平然とアスファルトの脇に突っ立っているのみ。
いかに術で自身たちの見た目が変わっているにしても堂々としすぎていた。
「さて、お二人。二つだけ守ってくださいね」
ウトトは緊張して固まる二人を振り見た。
「まず一つ、喋らないこと。わたしの術は、『気にならないようになる』ので、当然誤魔化しは利きますが、限度はあるので過信しないよう。そして、オーク達に触らないこと。服や布越しなら大丈夫ですが、それ以上はばれてしまいます。お姫様はよくご存じですね」
その言葉に、二人は黙って頷いた。周囲の揺れは最高潮に達していたが、それでも対手の姿は見えない。それだけが二人の胸をかき乱した。と、ついにそのとき、道路の向こう端からぬっと、大きな塊が顔を出した。
「これが、馬のない馬車?」
スラは思い出した。ルダンが幽霊馬車と呼んでいた乗り物のことを。だが、それにしてはあまりにも大きかった。全高五メートル、否、六メートルほどの大きさ。車輪一つがすでにスラより大きいように思える。なにより、黄色で塗られた目立つ見た目、そして前方に取り付けられた目の様な部分からは光が伸びていて暗い魔界を引き裂いている。その巨大な乗り物が、地面を走り、揺らし続けていたのだ。
そして、それがいよいよ目の前に迫った時、スラはその正面、大きなガラス張りの向こうに座る、御者と思しきオークと目があった気がして慌てて顔を伏せた。
「■■■!」
その声は、ウトトから発せられた。しかも、こともあろうに彼女は手を精いっぱい伸ばして、御者に自身の存在を示しているようだ。
ルダンは慌ててウトトを止めようとしたが、二人の間にジゴーがそっと割って入って防いだ。
その巨大な幽霊馬車は、長くもあった。十五メートルに差し掛かりそう。車輪の数も六つはあった。それが四人の前にピタリと止まった。
「バスだ。そういう乗り物だ」
こっそりジゴーはそう言った。そのバスの前方、その側面がドアのように開く。そこに、躊躇いなくウトトは足を掛けた。こうして、漸くスラとルダンはジゴー達の目的を悟った。楽をする、すなわち、幽霊馬車ことバスに乗り、移動速度と歩く手間を省く気なのだ。しかも、オークの駆る乗り物で。ジゴーの歯切れが悪かった理由を今更ながらにスラは理解した。
ルダンは唾を飲んだ。本来ならばここでとっとと逃げ去りたかったが、御者に目を付けられている以上、下手な動きは出来ない。それどころか、ジゴーに続いてスラはすでに一歩を踏み出していることに気付き、彼女もまた意を決し、バスの中に乗り込んだ。金属のステップが鈍く軋む音を立てたが、誰も気に留める様子はなかった。
内部は想像していたよりも広かった。天井は高く、中央の通路を除いて壁際にびっしりと設置された座席もオーク達の巨体に合わせて大きく作られている。疎らに空いた席のいくつかに、すでにジゴーとウトトは平然と座っていた。助けを求めるようにスラとルダンもまた速足で二人に近い座席に掛けた。
すると、ゆっくりとまたバスが走りだす。安堵したとともに、馬車でも経験したことのない速度で景色が流れていき、スラは思わず口を押えた。
「酔うなら外は見ないように。目を瞑ってもいいです」
そっとウトトが囁いた。だが、スラはこの貴重な経験を逃すまいと、顔を伏せつつ周囲に目を配った。
この大きな乗り物の中に、オークは七体。彼らは無言で席に座り、それぞれの時間を過ごしているようだった。ある者は窓の外をじっと見つめ、またある者は本を開くなどして、何かに集中している。戦っているときの彼らはすでに幾度となく見てきたが、こうして大人しくしているのは初めてだった。こうして、大人しくしている分にはまるで人間のようだとスラは思った。だが、彼らの青黒い肌や斑点、牙が見える口や尖った耳などは、どうしても彼女の心を圧する。心臓が早鐘を打った。早く済んでほしい、そんな思いが彼女の胸中に浮かんだ。
と、その願いがかなったのか、急にまたバスは停止した。もしや、目的地に着いたのでは。そう思ったが、なんとバスに新しく、四体のオークが乗り込んできた。どうやらこの乗り物は、道に出てきたオークを不定期に乗せて病院に連れて行くものらしい。
今、そのうちの一体がスラの隣に座った。
緊張で手が震えるのを感じたが、それを抑えるように膝の上で拳を握りしめた。彼女の隣に座るオークは、彼女の存在を気にすることもなく、ただ目を閉じて休んでいるようだった。
バスが発進し、車体が微かに揺れた。その揺れに合わせて隣のオークの肩が彼女の肩に触れそうになった瞬間、少女の全身が硬直した。慌てて身を引いたが、その動きが不自然でないかと不安が頭を過る。
その時、隣のオークが大きな手を動かし始めた。彼女の方に向かってくるように見えて、思わず息を呑んだ。しかし、その手はただのバッグに伸び、彼が中から本を取り出すのを見て、漸く彼女は再び息を吐いた。オーク達の動きが、あまりにも人間らしく、平和であることが逆に彼女を混乱させた。
それでも、少女は気を緩めなかった。バスが進むたびに、車内の空気が重く、息苦しくなっていくのを感じた。隣のオークと触れそうになるたびに、彼女の心臓は跳ね上がり、冷や汗が背中を伝っていった。
ほかの三人はどうしているのだろう、ふと視線を走らせると、ルダンは隣で剣を抱えて顔を伏せていて、さすがのウトトもやはり緊張はしているのか、バスの隅にいる癖に目を見開いて顔を硬直させている。
だが、ただジゴーだけは、なんと顔を伏せて転寝などしていて、非常にリラックスしているようだった。
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