第33話 魔女って何?
ルダンの大剣〈シルヴィバン=ガン〉が、オークの顔面を砕く勢いで炸裂し、案の定その魔族は横に吹っ飛び、汚れた木々の中に身を沈めた。
「この!」
さらにもう一振り。万年ぬかるんだ油まみれの地面にも慣れてきた。オークの作った未知の素材で作られた靴底は、存外役に立つ。使いようによってはしっかりと地面を噛み、姿勢を安定させる。
ルダン達一行を取り囲むオークの数は四体。それに向かって剣を叩きつける。
——それにしても、固い。
彼らに同行していたゴブリンは倒した。トロールも倒した。だが、オークは やけに頑丈で、いくら叩いても吹き飛ばしても立ち上がってくる。
「まったく、これで護衛の騎士とは……おっと、もう解任されたのでしたっけ」と、ウトトは木の陰で囁き、
「はい。あれはもうウトト様のものです」それにスラは答える。
「そうですか。あ、ほら、後ろです、後ろ! ちゃんとしてください! わたしの騎士なんでしょう!」次いで、ウトトがヤジを飛ばした。
「ふざけるな!」戦闘に参加しないウトトをルダンは恨めしそうに睨んだ。ジゴーもまた、その傍で退屈そうに木に寄りかかって座っている。否、寝ている?
ルダンは歯ぎしりしながら背後のオークに蹴りを入れて牽制し、戻した足で地面の泥を散らして別のオークを警戒させる。そうして油断しきっていた右手側のオークに切っ先を向け、左足だけの推進力で移動し、そのまま圧し潰しにかかる。オークは押されながら後退したが、背後に木がぶつかって、ついに身動きが取れなくなった。
「■■■■!」
しかし、人間なら当然、ゴブリンやトロールだって同じく、その身を潰せるはずの勢いを持っていても、なかなかそれはかなわない。
「あーあ、時間かかりすぎです。仕方ないなあ」ウトトはそう言って杖を掲げる。
「われが呼ぶは 一つ、
語るは 廻り輝く異なる伝承のその一遍、空より来る星の瞬き、
聞くところ 全てを断ち切る眩き一振り」
素早くそう唱え、出し抜けに飛び出して、オークを木と剣の間に挟み込んでいるルダンの横に並んだ。
「これでやっと、剣士らしくなれますよ」
囁き、杖でルダンの剣を叩く。すると、瞬く間にオークの体も、その背後の木もまた切断されて千切れ飛んだ。
「なんだこれは!」
ルダンは目を丸くして己の剣とウトトを交互に見比べた。
「剣の切れ味を上げました。よくそんななまくらで戦おうと……」
「これはそう言う剣だ! 後で戻せよ!」
ルダンはそう吼え、すでに起き上がって体制を整えようとしていたオークに振り下ろす。
ずばん。
オークも勿論、回避と同時に剣を突き出してルダンの一撃を凌ごうとしたが無駄だった。ルダンの踏み込みは想像以上に深く、剣の間合いもまた長かった。故に、防御に突き出した剣ごとオークは縦に裂かれて絶命した。
二体撃破。
それがオーク達に恐怖を与えた。さっきとは手合いが違う。だが、逃げるという選択肢を持たないのもまた彼らの生態であった。故に、汚い鳴き声で威嚇し、跳びかかる。
そうなると、もうルダンを止めることは出来なかった。剣技に長けた彼女にとって、野生むき出しの獣など相手ではない。
すぱん、すぱんと、自身より大きいその剣を鮮やかに振るって切断する。こうして、彼女らが偶然遭遇した武装オーク達は屍となって散った。
二体撃破。計四体撃破。
煤で汚れた森の上に、魔族の血がしみ込んでいく。
「これが、病院に近づく、ということですか」
ルダンは大きく息を吐いた。彼女らがオークの分隊に遭遇したのはこれで三件目。病院を目指して歩きだして四日も経っていた。
「いいえ。短期間にラジュードが暴れすぎたのです。彼らも警戒します」ウトトはなぜか自信たっぷりにそういった。
「だから、ラジュードの出現は期間が空くのですね」スラは頷く。王国でも怪獣の出現自体は記録しているし、スラ自身それらに目を通していた。怪獣が連続して出没することは極めて稀だと知っていた。
「でも、それが弱点にはなりません。いいですか」ウトトはスラに釘を刺す。
「勿論です。どうもジゴーには不思議な加護があるようですから」
スラはうっとりとした視線をジゴーへ送る。その間にウトトは素早く身を入れた。
「ルダン、もう術は解けています。触って大丈夫ですよ」
そして、どこか困ったように剣を地面に刺して硬直していたルダンへ声を掛けた。ルダンはそっと剣に触れ、鞘を背中から正面に回して納めた。スラだけがじっとウトトを見上げ抗議の視線を送ったが、肝心の相手は彼女を一瞥もしない。
「前から聞こうと思っていたのだが、ウトトの術、それはどういう仕組みなんだ」
ルダンはウトトの杖を指して訊ねた。
「別に説明してあげてもいいですが、あなたには真似も何もできませんよ」やれやれ、とウトトは肩を竦めた。
「構わない。雑談だ。道中無言だと姫が暇を持て余す」一瞬ルダンは姫を見遣る。しかし、不満げに歪んだ彼女の唇は戻らなかった。
すでに、いつの間にか起きていたジゴーは、外套の泥を払って先を行こうとしていた。ウトトも無言でジゴーの後に続く。だが、一瞬振り返ると、小さくため息をついて答えを口にした。
「正真正銘、わたしは魔女なんですよ。あなた達と違い、わたし達は先祖の記憶をそのまま受け継いでいます」
「どういうことだ? 先祖の記憶を持っていれば、それで魔術が使えるのか?」疑うような口調を隠さずルダンは問うた。
「そうです。先祖といっても、わたし達のいう先祖とはこの大地です。みんな、この大地から生まれてきた。そうでしょう。だから、こんなことあったな、って思い出せるんです。そして、思い出したら、それが目の前に起こる。姫もあなたも、ちょっと目を瞑れば、王宮で食べてきた豪華でおいしい料理の味や匂いが思い出せるはずです。この杖は思い出すときのメモ書きです」
ウトトは杖の表面に刻まれた詩歌を撫でた。
「そんな馬鹿な。じゃあ、お前は、過去にこの土地で起きたことのすべてを知っているとでもいうのか。いや、思い出したって、剣の切れ味がよくなったり、都合よく魔族の目をやり過ごせたりするなんて意味が分からない!」
ルダンは混乱をそのまま口にした。スラもやや怪訝な顔だった。ウトトはそんな二人を少し振り返る。だが、その表情は硬い。
「過去にいた、大いなる命や、今では到底考えられない出来事がこの大地には溢れていた。それだけです。そして、あくまで思い出すだけですから、その力は事実に劣ります。わたしは火山の記憶を思い出してもこの大地を焼き尽くしたりできないのです。精々木っ端に火をつけるだけ。さっきの剣の切れ味を上げる魔術だって、本来は山と見紛うほど大きな命を両断するほどの力の記憶がもとになっているんですよ」
当然、といった口調でウトトはそう語った。
「じゃあ、ウトトは、わたしが生まれてきたときの天気や出来事を……否、ルダンや、或いは父上、もしくはわたしの知らない曾祖父や、イヴァントの建国の話などもご存じなのですか!」スラは堰を切ったようにまくしたてた。好奇心が抑えられないようだった。
「そういうのは知りません。わたしが覚えているのはわたしに血縁のある人たちの記憶だけです。あなたが生まれた時、あなたの傍にわたしの祖母がいれば知っていましたが」
「でも、そうしたら、ウトトは昨日の出来事を思い出すだけで、ラジュードを呼び出したり、オークの叫びがあたりに響いたりすることにはなりませんか」
「記憶に蓋をして、自在に操るのは魔女の初歩の技術、否、本能です。わたしは祖母や母から必要な時に必要な記憶を呼び出し、或いは魔術として成立しないように記憶の『量』を調整する訓練を受けているのです」
「すごいです! じゃあ、ウトトは魔族の誕生やイヴァントが建国される時代にあった出来事などを、やはり知っていることになります!」
「そうですね……いえ、ですが、教えません」
一瞬頬が緩んだウトトだったが、改めて表情を引き締めた。スラは露骨に残念そうな顔をする。
「お姉さま、とお呼びすれば教えてくれますか」
「な……それは……えっと、教えません!」ウトトはやや顔を赤くして突っぱねた。
「意地悪ですか。わが王家が、あなたの、魔女の一族に掛けたよからぬことが原因ですか」
「いいえ。無価値だから、ですよ。ね、ジゴー」
「そうだ。これまでもこれからも、そんなことを考えても意味はない」急に話を振られたにもかかわらず、澱みなくジゴーはそう答えた。
「ほら。ジゴーもそういっています」そして自慢げにウトトは鼻を鳴らす。
「無価値……」スラはふと俯いた。
「そんなことはありません。王国の歴史は姫の様な立派な王女をこの世に齎しました。これが誇るべきことでなくてなんというのでしょう」
素早くルダンは話を継いだ。しかし、当の姫は俯いて何やら考え込んでしまった様子。
「ほら、あなたがつまらない話題を振るせいでお姫様は泣きそうですよ。もっと楽しい話題をわたしにねだるべきでしたね」
勝ち誇ったようにウトトは笑い、ルダンは頭に血が上る思いだった。
「この、言わせておけば!」
「いいのです、ルダン。で、あればなおのこと。過去が無価値なら、ウトトはなぜ王家にそうやって嚙みつくのでしょう」
「……」
スラの問いに、ウトトの背中は何も返さなかった。ただジゴーの後を続くのみ。粘りの強い泥の上を歩く足音だけが、汚れた森を静かに揺らした。
「思うに、その考えはジゴーのもので、ウトト、あなたの言葉ではない」
「……」
「まあ、その答えは、魔族の工場に着いてから、でしたね。遠回りしているようですが、いつか聞けることを楽しみにしていますよ、ウトト」
スラの声に抑揚はなく、ただ平坦に言葉が流れた。
「ほら、お前は調子に乗っていつも喋りすぎるんだ。もう少し考えればいいのに」
ぼそり、とジゴーがそう漏らした。ただ、ルダンだけが、ウトトの耳が真っ赤に染まっていることを知っていた。笑ってやってもよかったが、彼女は何となくこのとき、それを指摘せずに静かにしていた。
こうして以降、この日の一行はただ、辺りが少し暗くなるまで黙って歩いた。
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