第26話 裏切り者の伝言

 晴天のおかげもあって、その日の旅はそこそこ快適に進んだ。人間の目にはやはり、晴天の光こそが肝要で、あの赤い光はやはり目に毒であった。


 だが、日が傾けば、赤も青もなく暗黒が魔界を支配する。ルダンは半身を持ち上げ、暗闇の中で目を凝らし、スラバドラがぐっすり寝込んでいることを確認した。実は、オークの家からクッションを一つ拝借していた。それを敷いたおかげか、スラはあっさり眠りに落ちた。


 まだ七歳だというのに、隣国との取引のため婚姻を予定され、今は魔界を放浪する身。悲劇ぶってもいいだろうに、しかして、このスラバドラという姫君はそんなことは一言も口にしない。それどころか、今はこの魔界で王国のために何か一つでも役に立てないかと、魔女すら手籠めにしようとする始末。


 ——危うい。


 ルダンはそう思う。彼女の柔らかな頬も、白い絹のような肌も、細い手足も、こんなところで生活するために作られたものではない。ただその聡明な頭脳と覚悟に満ちた瞳は、国の奥深く、王宮のどこかがふさわしい。でも、それを望まないのもまた姫の姫たる所以だった。


 だからこそ、自分がいる。姫はいつも国のことを第一に考え、それを遂行しようとする強い意志を持っている。そして、それを支え、守るのが自分の役目だ。


「まだ寝てないのか」


 ふと、そんなルダンに声がかかる。声の主は、ジゴーだった。


「こんな場所で悠々と寝られるのはお前達みたいな旅人だけだ」


「そうでもない。寝られないことはある」


「そうみたいだな。もう寝始めてから時間が経ったろう」


「おれは問題ないが、慣れてないお前達が寝不足なのはまずい。ついてくるつもりなら早く寝るんだな」


「そのつもりだ。でも、その前に一つ訊ねたい……お前、王国の出だろう」


「……答えると思ったのか? おれはもう寝る」暗闇の中、布団代わりの外套が翻る音がした。だが、その黒へ向けて、ルダンは言葉を続ける。


「なら、それで構わない。だが、お前がいつの日か使っていた短剣があったな。あれには見覚えがある。イヴァント王国の東に領地を持っていた、エルギー家のものだ」


「……」


「十年ほど前、火事で一族が住んでいた館が焼け落ち、全員死んだと聞いているが、その中には幼い息子が一人いたはずだ。怪獣が、ラジュードが出始めた時とも一致する。違うか?」


 闇は返事をしなかった。


「黙るならそれでもいい。でも、もう一つ、興味深い噂を聞いている。エルギー家は火事で全員が死ぬ前に、街の区画整理や川から引いた水を積極的に取り入れるなど、あまり見ない政策を行っていた。屋敷から発見された図面は、われわれには理解できないほど稚拙か、或いは高度であったともいわれている。そして、その背後には、エルギー家の長男が、〈転生者〉だったという噂がある」


「……」


「生まれながらに、前世の記憶を正確に持ち得、かつ、その記憶は異界のものであるという。この世界に万物の基準、メートルやグラムを持ち込んだのも転生者だと聞く。彼らは国を大きく変える知恵を持っているが、一方でとある国に生まれた〈転生者〉は国家転覆の意志があり、以来われわれは〈転生者〉を見つけ次第、処刑する決まりになっている」


 やはり、闇は何も答えない。


「なにも情報は残っていないが、エルギー家の滅亡は、〈転生者〉が関わっているという噂がある。〈転生者〉は幼くとも過去の魂の延長線上にいる。子供とはいえ大人と同等の知恵が回る。エルギー家は息子の異界の入れ知恵で町の再開発を行い、それに気づいた誰かが暗殺を企てた、と」


「だとして、なんだ。おれを殺す口実を考えているのか」


「違う。一つ教えてくれないか。何故、怪獣の力で魔界を破壊する。あの力があれば、本来ならイヴァント王国なんて欠伸をしている間に滅ぼせるはずだ。お前の破壊の矛先は、本来は王国にあるべきではないのか」


「さあ。別にお前に教える必要はない。もう寝た方がいい」


「そうか。それならそれでいい。じゃあ、最後に、礼を言わせてほしい」


「……何故だ。別におれは何もしていない」


「まさか。お前がいなければ姫もわたしもここにはいない。ウトトが気まぐれを起こしたのもお前がいるからだ」


「それはおれじゃない。ウトトの気まぐれは、あいつが単に、あれでもお人よしだからだ」


 ジゴーは気怠そうに反論した。だが、それが聞こえていないかのようにルダンは言葉を続ける。


「ウトトは姫に呪いを掛けた。許すわけにはいかないし、あいつがわたしの命を百万回救おうと、口が裂けても礼を言わない。だが、お前は別だ」


 視線を感じ、ついジゴーは少しだけ身を捩った。すると、それを察したのかルダンは続ける。


「……ありがとう。お前は最初に姫やわたしに食料を分けたし、あのスーパーマーケットとやらでは、身をもってオークを引き付けた」


「……お前が死んでいないのは、また別の理由だ。おれじゃない。本当だ」


「だとしても、だ。そうでなくても、この靴の礼を言わなければならないだろう」


 ルダンは足を延ばした。彼女の靴はオークの家でジゴーが勝手に拝借したものだった。


「……」


「姫にはああいったが、この靴は思ったよりも履き心地がいい。オークの技術だが、いいものはいい。そう思う。眠れそうにないから、わたしは少し、夜風にあたってくる。姫を頼んだ」


「……遠くに行くと、ウトトの浄化が利かなくなる。ほどほどにしておけ」


 返事に期待はしていなかったが、ふと投げかけられたジゴーの言葉に、ルダンの頬が緩んだ。スラを目覚めさせないようにゆっくりと立ち上がると、すたすたと歩きだす。もともと、夜目は利く。明かりが落ちた時でも王族を守る訓練をしてきた。最悪、音だけで周囲の把握もできる。


 幾分歩いた後、耳を澄ます。すると、夜風を切る羽の音が聞こえた。ルダンが腕を伸ばすと、その上にふわりと風が吹き、一羽の鷹が止まった。一本の角の生えた奇妙な鳥。それは、イヴァント王国の北、コスモス山脈を超えた先のカシリド帝国で重用され、国旗にも描かれているオオツノタカ。その脚に、伝書が括られていた。ルダンは、それを躊躇いなく回収し、中を開いた。


 紙切れに書かれていたのは、カシリド帝国で用いられる暗号文。しかし、それをすらすらと読み解き、ルダンは作戦を継続せよ、という帝国の意図を改めて理解した。


 そして、胸ポケットからペンを取り出し、返答を書く。


 ——カシリドの同志へ。怪獣と接触。怪獣の正体は人間。転生者の疑い有。弱点有。殺害方法の調査を継続。


 そこまで書くと、再びオオツノタカの脚に伝書を括り、夜空に放った。オオツノタカはその角で鋭敏に周囲の風の流れを読む。魔界の汚染された空気の中でも目を閉じて飛行できる故、貴重な連絡手段となっている。

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