第27話 日没が近づいて
「夕日は人間がよく活動して飛び散った粉塵などが原因で赤くなるんです。魔界では、魔族の煙突から出る煙や粉塵が昼夜を問わず吹き出しているので、ずっと赤い空が続いているのです。賢くなりましたね」
少し遠い、というジゴーの言に違わず、工場があるという地点までは日を跨ぐ結果になりそうだった。そんな道中、スラが漏らした魔界の赤い空への疑問だったが、ウトトが自慢げにそれを解説した。空はすでに赤を取り戻し、四人は目立たないよう黒く腐った森を歩いていた。
「魔界では工場の煙に含まれる硫酸や酸化鉄などのエアロゾルが大量に巻き上がっている。それが光を散乱させるおかげで空が赤く見える。魔界では二十四時間工場が稼働しているからか、粉塵がずっと上空に滞留しているらしい」
そのウトトの解説を、より詳しくジゴーが説明した。ウトトはやや不満そうに頬を膨らませた。
「つまり、〈オド〉の爆発が一時的に周囲の粉塵を遠ざけて、青空が見えている、と。魔界の赤い空は夕焼けに似ていると思いましたが、同じ仕組みですか」
「そうだ。魔界では常に空を粉塵が覆っているからずっと真っ赤、というわけだ。だから、別に魔界が常に真っ赤というわけでもない。たまに青空もある」
風が強い時や、嵐が過ぎた後なんかは特にな、とジゴーは言った。
「ジゴーは物知りです。王都でも、空が赤い理由や……そう、青い理由すら答えられません。あの、空が青い理由は……」
「ジゴー、喋りすぎはよくありません。それくらいがいいでしょう」
ウトトが二人の会話に割って入った。
「わたしもそう考えます。姫、あまり彼らの話を聞かないように。真実を語っているとは思えません。ただの煙で空が赤くなるなどあり得ません。やはり、彼らには特別な魔術があるのです。それ以外に、あんなに空を覆いつくす煙を産む方法などないでしょうし」ルダンも忠告する。
「ですが……」
スラは不満そうに俯いたが、すぐさま顔を上げた。あることを思いついたからである。
「では、ジゴー。怪獣のことを教えてください。ラジュードのことです」
「あ」
ウトトが顔を歪めた。不快感などではなく、面倒臭いことが始まったことを察する顔であった。しかし、その理由などわかるわけもなく、スラとルダンは顔を見合わせた。
すぅ。
気のせいか、ジゴーは静かに、しかしたっぷりと息を吸った。そして、口を開く。
「そんなことか。ラジュードは、特撮映画『化学怪獣ラジュード』に登場する怪獣で、先行する怪獣映画が子供向けにシフトしていく中、改めて恐怖や混乱、破壊の象徴としての怪獣映画を復活させた重要な存在だ。その上で奇異にも映る首を振り回して〈光化学レーザー〉を吐き出す様や、先行する怪獣映画にそっくりすぎるシナリオなど、様々な話題に囲まれながらも人気を博し、当時様々な映画会社から乱立していた怪獣映画の中でも、唯一、十を超えるシリーズものになった以上、銀幕のスター怪獣の一体だというのは間違いないだろう」
「?」
スラは思っていた解答と全く違う、なおかつ何を言っているのかさっぱりわからない内容に首を傾げた。
「公開当時社会的な問題になっていた公害を取り上げつつ、それと人類の行き過ぎた文明批判を交えた痛烈なメッセージ。そしてカラーであることを前面に押し出し、真黒なビジュアルの中に重油や洗剤の泡などの虹色の反射をイメージした鮮やかな着彩やヘドロを被ったような醜い姿もまた、観客へ環境への反省を促し、やがて当時の首相すらコメントするほどの社会現象になった。特に、もうもうと煙を上げながら国会議事堂へ迫るシーンなどは、光化学スモッグや汚水や悪臭問題で政府への不満が溜まっていた国民から共感を呼び、連日ラジュードと絡めて政府批判が毎日のように飛び出たそうだ。文明の持つ、光と影。人々の安全と快適の犠牲になったものが、紆余曲折を経て人間を脅かしたり、矛盾を産む。そこにスポットライトを当てたのが、『化学怪獣ラジュード』の本質だ」
「??」
「ラジュードとは何か。それは難しい質問だが、あえて言うならそれは、時代が必要としていた代行者だろう。架空の、映画の話とは言え、それが当時の人々にとって求められていたからこそ、長期のシリーズになったのは間違いない。ほかの怪獣映画とは違い、ラジュードは常に観客が求めるものを壊してきた。それは政治家や報道にも至り、或いは戦争にも及んだ。時には業界から締め出されそうにもなったが、それでもラジュードは破壊を続けた」
ふう、とジゴーはため息一つ。
「——そういう、感じだ」
「全然わからないです」「さっぱりわからない」「伝わるわけがないでしょう」三人は三者三様に感想を述べたが、その内容は一つだった。
「どいつもこいつも。やっぱり全部ぶっ壊すしかない」
ジゴーは舌打ちし、懐から黒い奇妙な道具を取り出した。蝶番で繋がれた棒と、板を組み合わせた道具。ジゴーはその板に視線を落とした。そこには何かが書かれているわけでもなく真っ黒。ジゴーは首を振った。三人は、まさかそこに、文字が書かれていないことに落胆しているとは夢にも思わない。
「前から思っていたんだが、それはなんなんだ」
ルダンは懐に仕舞われる『道具』を指して訊ねた。
「〈カチンコ〉だ。映画を撮影するときに使う道具らしい。使い方はよくわからない」
「エイガ? サツエイ? なんだそれは。その道具が関係しているのか?」
「あるようで、ない気もする。そういえば、なんでこれが必要なのかはいまいちわからない。今度会ったら聞いてみる」
ジゴーはそう言って立ち止まった。何があったのかと三人が彼に注目する中、ジゴーは〈カチンコ〉を持った手を振り被り、〈カットここから〉遠くへ思いっきり投げ捨てた。ひゅん、と風を切って〈カチンコ〉は飛んでいき、〈ここまでカット〉やがて見えなくなった。
「ジゴー、それは……」スラが慌てて道具を追いかけようとし、
「おい、いいのか? 怪獣になるときそれを使うんじゃないのか?」ルダンは慌てて訊ねた。
『カーット! 面倒臭いことしないでよ!』
「大丈夫。ここにある」
ジゴーはそう言って、三人に向けて手を振った。その中には、確かにさっき投げたはずの〈カチンコ〉があった。
「どうなってるんだ」ルダンは頭を抱えた。
「これが、魔法?」スラはもはや魔法としか解釈のしようがないその現象に首を傾げる。
「まったく、ジゴー、あまり遊ばない方がいいですよ」一方、慣れているのか、ウトトだけがやれやれと肩を竦めた。
「ほら、先に行きますよ。もしくは、今日の野宿する場所を確保して……」
「待て、面倒臭そうなことが書いてある」
先を行こうとジゴーの外套を摘まむウトトを、ジゴーは止めた。
「シーン二十九、人間牧場『トッカータ大農場』」
ジゴーの視線は〈カチンコ〉に注がれている。よく見ると、投げる前には書かれていなかった文字のようなものがその板部分に書かれている。だが、ルダンやスラには何と書いてあるかさっぱりわからない。
「人間牧場?」ルダンは反射的にそう言っていた。得も言われぬ不気味な言葉に毛が逆立つ。
「牧場、見ましたか?」ウトトがジゴーへ訊ねた。
「いや、見えなかった。多分この辺は標高が高くて、陰になっている部分があったんだと思う。だから見えなかった。つまり、この先には崖があるのかも」
「そうですか。寄りますか?」
「書いてある。あの強引な女神様のことだ。どうせ、寄ることになる。脚本通りだ」
「はい、寄りましょう! 興味があります! どうでしょう、折角ですからクッションをもう一つ二つ奪っておくのも悪くありません」
神妙な面持ちの二人に対し、明るく太陽のようにスラは言った。
「順応するの早すぎませんか」
ウトトは顔を青くして、悲鳴にも似た感想を述べた。
「ウトトの魔術も、オークの技術も、吸収できるものはした方がいいでしょう。一体どのような技術が使われているか興味があります」
スラは元気よくそう言い、辺りを見回した。
「ルダン、先を歩いて斥候を。耳がいいのですから、わたし達と少し離れても、戻ってこられるはずです。犬みたいに」
「ばうわう」
ルダンはそう言って足早に三人の元を離れた。
「さあ、わたし達は予定通り工場へ向けて歩きましょう。途中、いい平地があればそこで支度を。その前にルダンが牧場を見つけたら、距離と時間を考慮してそちらへ向かうか考えましょう。それでいかがですか」
スラは二人の前に立ち、しゅるしゅるとそう語った。
「それは……いや、なんで急にお姫様が仕切るんですか!」ウトトは抗議の声を上げる。
「別に、仕切るわけではありませんが、そうした方がいいでしょう」自慢げにスラは胸を張った。ウトトがぎりぎりと歯を鳴らし、
「じ、ジゴー!」と助けを求めた。
「別にいいだろ。元からそうするつもりだし」ジゴーは面倒くさいと言わんばかりに顔を逸らした。
「まあいいです。元からそうするつもりでしたから」
鼻を鳴らし、ウトトは肩で風を切り先へ進む。それに二人も続く。だが、しばらくして、森の中をがさごそと、何かが接近してくる音がした。
一瞬身を固くした三人だったが、すぐにその正体がルダンだと分かるとため息をついた。ウトトに至っては、本当にわかるんですね、と少し感心した様子。
だが、草木をかき分け現れたルダンの顔が、青褪めていることに気付いて、再び身を固くした。
「大変だ、オークが、オークが……」
ウトトが杖を構え、ジゴーは早々に〈カチンコ〉を取り出した。スラはジゴーの陰に隠れた。
「オークが、馬のいない馬車に乗っている! ここは駄目だ、幽霊がいるぞ!」
その言葉に、三人は顔を見合わせた。
「農場ということは、『自動車』があってもおかしくはありません」やれやれ、とウトトは肩を竦めた。
「トラクターだろう。なんてベタな異世界人の反応を……」ジゴーは深くため息をつく。
「つまりそれは、オークの新しい技術なのですね!」スラはすでに、幽霊馬車の正体が彼らの不可思議な技術に由来することを察し目を輝かせた。
そんな三者三様の反応が、ルダンの焦りを加速させる。
「怖くないのか、奴らの乗り物が……馬がいないのに動く馬車だぞ」
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