第22話 光
『と、いうわけで! まもなく上映のお時間です。携帯電話、スマートフォンの電源を切り、夢溢れるすてきな映画の世界をお楽しみください』
〈怪獣壊演〉
大いに揺れる大地。その中で、兎にも角にもウトトは逃げた。怪獣が現れたその時は、とにかく距離を置かなくてはならない。怪獣の視界に人間などほとんど入ることがなく、現れたその瞬間大地は罅割れ、存在するだけで汚濁をまき散らし、歩けば地震を起こし周辺のものをその衝撃で吹き飛ばす。吹き飛んだものは地上二十メートルほどの空を楽しんだ後、地上に降り注いで被害を出す。
杖の詩文を指でなぞり熱を産み、目の前の鉄の柵を溶かして、ついに〈ダダバ第三集合団地〉を飛び出した。
暗褐色の森をひた走り、そうして、周囲に崖もない平らな森に至った。そこで、ウトトは足を止める。
その後ろに、遅れてスラが追い付いた。一応辺りは平地であり、崩れてくる崖や建物もない。安全といえば安全かもしれないが、距離はとても心許ない。
スラもすでに、怪獣というものは、只存在し、僅かに身を揺すっただけで脅威になるということを理解していた。故に、どうしたのだろうか、もう安全なのだろうか、とスラは思い、ウトトの先を見た。すると、そこには予想外のものが立っていた。
「ルダン?」
スラは思わず目を丸くした。ぼーっと、大剣を構えたまま、不格好な案山子の様に突っ立っている己の騎士を見て、スラは目を細めた。
「はっ、姫! 御無事でしたか! ……あれ?」
間抜けな声を上げ、ルダンは辺りを見回して首をひねった。それはスラも同じだった。
「ルダン、あなたは確か、あの町でドラゴンに向かっていったのでは?」
「はい。確かに。その通りの、はずなのですが……」
ルダンは深く頷いた。それにしては実情と記憶が一致しない。ルダンはどこか恥ずかしそうに大剣を鞘に納めた。
「ウトト、何か知りませんか」スラは素早く、最もこの事象に詳しそうなウトトへ質問を投げた。
「さあ? 言うわけがありません。おっと!」
ウトトが愉悦に満ちた表情でそんなことを言っている間に、大きな地震が三人を襲った。木々が騒めき、三人が思わず伏せるほどの大きな揺れ。
そして、黒褐色の木々の切れ間に、ぬう、と巨大な影が立ち上った。
「……怪獣、ラジュード」
一キロメートルも距離を置けてはいない。その姿は天に登る塔というよりも、天地を縦に裂く、黒く陥没した巨大な闇に見えた。
「騎士なら、姫の盾になったらどうです」
ウトトはそう言いながら怪獣に背を向け木の後ろに隠れた。何のことかと思ったが、遅れて怪獣の方角から、茶色い砂塵の塊がどっと押し寄せてくるのが見えた。ルダンは慌ててスラを抱き寄せ、砂塵に背を向けて地面に丸くなった。地面の上の落ち葉が巻き上がり、砂塵と一体化して駆け抜けていく。ルダンの背を木っ端や砂礫が何度も打ち付けた。
十秒ほど経って、辺りは静けさを取り戻した。
「もう少し遠くに行きましょう。向こうの砂塵の上がり方が歪でした。高いところから様子を見ます」
どこから声がしたのかと思えば、ウトトは木の上からぴょんと飛び降り、二人に声をかけた。
「慣れてますね」ルダンは無感情にウトトを誉める。
「ええ。お姫様のおかげですよ」
ウトトは冷たくそう言い、ルダンは素早く剣の柄に手を掛けた。それを察し、スラは二人の間に入った。ウトトを庇うように。
「ウトトに従いましょう」
「……畏まりました」
ルダンはそう言ってスラを抱え、すでに駆け出しているウトトに追従する。その間も大きな揺れが三人の脚に絡みつき、遅れて襲い来る粉塵に足を止めつつ、緩やかな傾斜を登り、丘の上に立つ。
「ドラゴンを相手にしている、のでしょうか」
そうして視界に入った光景を、スラはウトトに訊ねた。一体のドラゴンが、怪獣の周辺を飛び回りながら火を噴きつけている。
「でしょうね。まあ、相手にならないでしょうが」ウトトはどこか自慢げに言う。
「というよりも、相手にできないのではないでしょうか」
ルダンはその様子をそう分析した。
確かに怪獣の体は巨大で、ただ存在するだけで脅威であった。しかし、殊に相手を狙っての攻撃は不得手に見える。動きは重鈍で、小回りが利くわけではない。それに対し、空を自由に移動し、縦横無尽に飛び回すドラゴンを相手にするのは分が悪かった。いくらダメージにはならないとはいえ、邪魔な相手には違いないはず。
「おや、聞いたことはありませんか。化学怪獣ラジュードの面白いところ」
「面白い?」
「ジゴーによると、それが子供に人気が出た要因の一つだとか」
「怪獣が、子供に人気?」ルダンは首を捻った。そんなことは聞いたことがない。
「そうなのですか、ルダン」スラは確かめるように言う。すでにルダンの表情から、そんなことはないと分かり切っているだろうに。
「いえ、あまり市井の評判を聞いたことはありませんが、そんなことは……」
「まあ見てるがいい、ほら」
そういう間に、遠くでドラゴンに首の後ろを付けられた怪獣は、急にその首を縦方向に百八十度傾けた。上顎は下に、下顎は上に、ぐりんと頭を後ろに倒し、そうして鼻先をドラゴンに向けたのだ。
「なにあれ」「不気味」
二人の感想は顔を火切らせた状態で放たれた。だが、その次の瞬間に起きた出来事に、ついに口を閉ざした。
眩い閃光。赤黒く彩られた魔界において、二人が久しぶりに見る白い裂光。それが真っ直ぐな線となって、怪獣の口から放たれたのだ。しかし、その光の最も似た色といえば、太陽のそれに違いないのだが、圧倒的な人工物、偽物のように二人は感じた。
「〈光化学レーザー〉というそうです。あまり見ない方がいいですよ。目に良くないです」
ウトトの助言はもっともだった。〈光化学レーザー〉の光はまるで百の雷が一度に落ちたかのような鮮烈さを誇り、なおかつ絶えることがない。
そして、遅れて三人のもとに、〈光化学レーザー〉が巻き起こした爆音が届く。激しい金属音、否、空気が熱で膨張し、引き裂かれ、含まれた水分は蒸発し、悲鳴を上げる音だろうか。甲高い絶叫に似た音が周囲を駆け巡る。だが、怪獣の口から放たれた光は終わらない。
そのまま、怪獣は真後ろに倒した首を元に戻し、閃光で暗黒の雲さえ引き裂いて、正面の大地を焼き払う。すると、真っ赤な炎が怪獣の全高、八十メートルに達さんばかりに吹きあがり、黒煙が天を焦がした。さらに怪獣は閃光を吐いたまま首をぐりんぐりんと円を描くように振り回す。まるで骨も筋肉もない動きにつられ、何度も閃光が振り回されると、怪獣の周囲には白い光の円盤が生まれた。当然その縁には爆炎が彩られる。
「そういえば、怪獣はドラゴンの炎に似て、雷を産むと聞いたことが……」
「あれが、それなのでしょうか。だとすると、規模も何もかもが違う……」
ルダンとウトトは目の前に広がる惨劇に言葉を失った。すでに怪獣の巻き起こした炎は、周辺の森にも燃え移って広がっている。赤黒い魔界が濃密な黒煙と、その中に煌めく白い光に飾られて、より破壊の規模を広げていく。その中で、一段と黒く、移動を続ける者こそが、怪獣。化学怪獣ラジュードのシルエットであった。
「これだと、ジゴーを回収に行くのには骨が折れそうですね。まったく」
ウトトはやれやれと首を振り、その場に座り込もうとした。
「ウトト、あれはなんでしょう」
しかし、そんな彼女をスラは止めた。ん、と気怠そうに応じたウトトだったが、その暗黒の世界にあってその上空に、一瞬銀色の光を見た。それに、ウトトは目を見張った。
「まずい、オーク共め、民を見捨てる気か! 否、もう、準備はしていたということか。ジゴーの言う通りだ」
ウトトは慌てて身を起こし、杖を正面に構えた。その様子に、二人は緊張感を覚えた。未だかつて、ウトトがここまで動揺を露わにしたことはなかった。
「何が起こるのですか?」
「破壊の光を使う気です。魔族の大魔術〈オド〉、とあなた達は呼んでいる物です」
「〈オド〉!」
それは、魔族が一度、魔界に現れた怪獣に向けて使われたとされる大魔術であった。その力はあまりにも鮮烈で、その威力たるや怪獣を飲み込んで、あの濃密な魔族の暗雲や黒煙すら吹き飛ばす青白い光を放ち、周囲の植物を焼き切り大地を更地に変えて、一時だけ魔界に青空すら呼び込んだ破壊の光。
「まさか、あれは魔族にとっても、苦手な日の光すら呼び込む魔法では……」
「いいから、わたしの後ろへ!」
ウトトはそう言い放ち、杖をきつく握った。
「われが呼ぶは 数え切れぬほどの夜空の星に似て、
語るは 鮮やかなる伝承のその一遍、そして、それに続く戦いの歴史、そして、それに続く勇気の物語、そして、それに続く千年紀の物語、
聞くところ 命を賭して輝き、因果の報いのその先に、千切れ舞う羽の怒りを沈めよ、ルーストヴィア……」
ウトトが呪文を素早く、しかしまたいつになく長大に唱える。その間にも、空に光る小さな粒が、ゆっくりと怪獣へ落下していく。
ただならぬ気配に、ルダンはスラを抱いてウトトの真後ろに立ち、彼女の陰に隠れるように屈んだ。
銀の小さな塊は、怪獣に向けて空を切って移動していたが、その時、怪獣の背から生えた棘全体が幾度となく光った。そして、怪獣の頭は銀の塊〈オド〉へ向けられた。
すでに幾数度と自身も閃光を放っていたが、それに疲れる様子もなく、怪獣は〈オド〉へ光を吐いた。すると、〈オド〉は瞬く間に空中で爆散し、こちらもまた熱と真っ赤が爆炎を湛えて破裂し、暗雲を引きはがして蒼穹と鮮烈な陽光を魔界に与えた。その範囲はどんどん広がり、四十ヘクタールの〈ダダバ第三集合団地〉の敷地を超えて広がっていく。
それが意味するところは、猛烈な爆風が三人を襲うということでもあった。怪獣へ背を向ける形でいたルダンも、爆発の瞬間を振り見ていて、それが伴う衝撃波に備えた。当然、大地は揺れ、今度こそ団地の瓦礫は衝撃に押し流されていく。そして、森の木々は地面事根こそぎ引き剥がされ、ひっくり返され、見えざる手によって無理やり外へ外へ押し出される。それを、当然三人も被る、はずだった。
だが、ルダンと、そしてスラは見た。自分達の体の周囲に黄金の粒子が瞬いていることを。そしてそれらが、襲い来るあらゆる破片、衝撃を打ち返している様を。それの元になるのは、当然ウトトの術であろう。
ウトトはずっと、何事か術を唱え続け、杖から、否、周囲に黄金の粒子を呼び続けている。
一方で、久々の青空を呼び込む爆風と青白い閃光が、漸く止み始めた。当然、怪獣は迎撃したこともあって無傷。それどころか、団地がきれいさっぱり吹き飛んだことを確かめるべく、周囲を見回し、残った大きな破片に足を向けていた。
「……はあ、全く、なんでこんなことに」
再び動き始めた怪獣を注視していた二人は、改めてウトトに戻った。彼女の額には大粒の汗が滲み、顔色はぞっとするほど青白い。なのに、触れた彼女の体は猛烈な熱を帯びている。
「ウトト、大丈夫か?」
そうではないのは明白であったが、ルダンは慌てて声をかけた。
「そう見えるなら、その目玉くりぬいてゴブリンの餌にしてやる」
言葉だけは元気だったが、ウトト自身はずっと肩で息をしている。彼女は杖を投げ出し、震える手で鞄を漁った。ついさっき『スーパーマーケット』で奪ってきたもので膨れたそれの中から、白濁した液体の詰まった、瓶に似た容器を取り出し、その中身をぐびぐびと飲み始めた。
「水なら、もっときれいなものを飲んだ方がいい。汚れている」
ルダンは心配してそう言った。ウトトの死は、スラの命にも関わる。
「うるさい、これはいい」
あっという間に飲み干すと、空になった容器を捨てる。スラは素早くそれを拾い上げ、しばし見分した。ガラスのように透明だが、それはガラスではなく、未知の素材であることに気付き目丸くする。軽くて、しなやか。スラの力でも簡単に撓み、歪むことから頑丈ではないかもしれないが、どんなに潰しても破れることのない靭性を持っている。知らない素材であった。木でもないし、紙でもない。鉄でもない。
さらに、その容器の中に指を突っ込み、残った液体をなめてみる。
「甘い。甘いですよ、ルダン!」
思いがけない味覚の刺激に嬉しくなり、スラは叫んだ。
「はあ? いえ、毒見が済んでいるとはいえ、そんな汚れたものは口にしてはなりません」
ルダンは慌ててスラから容器を奪う。
「静かにしてくれ……」
そんな二人に、心底うんざりした様子でウトトはいい、そのまま鞄を枕に横になった。
「ジゴーはまだ、しばらく暴れているだろう。少し寝る」
本格的に調子が悪いらしく、仮にも仇ではある対手へ、しかしてルダンは手出しする意思が薄れていた。
「あの、ウトト。目が覚めたらで構いません。あなたの知る、魔族の魔術や技術、それから怪獣について、もっと教えてはくださいませんか」
「黙ってくれ……ましになったら喋るから……でも、怪獣が、ラジュードがいなくなったら教えてください。迎えに行かなくてはなりませんから。あと、わたしから離れないように……〈オド〉は毒の光を持ちます」
投げやりにそう答え、ウトトはそのまま夢の中に没した。
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