第21話 オーク視点

〈怪獣壊演〉


 竜騎兵隊長の〈ゲフォルス〉は、最初の異常に気付かなかった。この集合住宅の北にある『スーパーマーケット・ザザイユ』の代わりに、真黒な壁が現れた時も何も思わなかった。それは、どちらかといえばあたりが急に夜になったような感覚に近かった。なにせ、相手の体は真黒で、それが目の前に急に現れれば、それを壁と認識するよりも早く、誰もが『闇』と認識してもしょうがないことである。


誰がその、目の前の闇の正体を、周囲の集合住宅の四十メートルを超える棟よりも大きな、『怪獣』の表皮だと想像しえたか。


 白銀のドラゴン、〈メルゴ〉だけが天へその鼻先を向け、絶叫した。それにつられて〈ゲフォルス〉もまた顔を上げる。黒々とした壁、或いは塔、住宅街の背を超えて暗黒。その暗黒が、団地の棟の端をすでに食い潰し、崩しているのを認識し、その、さらに上! 肘を持ち上げ、長い爪先をだらりと垂らした不気味な恰好、そこから先を見るために、〈ゲフォルス〉はさらに首を、痛くなるほど上にして、漸く対手の頭が見えた。


「■■■!(怪獣か!)」


 そこで漸く、目の前のスーパーマーケットが踏み潰され、ともに連れてきていた二体のドラゴンもまた、どこかにいなくなっていることに気付く。子供達が球技をする程度なら十二分に余裕のある広さのあった公園が、怪獣の足の下になっていた。


 そうして、やっと目の前に怪獣がいることを〈ゲフォルス〉が認識したころ、ほとんど同時に、世界もまた怪獣の姿を認めた。


 ――魔境の新天地『ダダバ第三集合団地』特撃開始。


 団地のコンクリートで出来た頑丈な『皮』はいとも簡単に罅割れ、中の鉄筋を剥き出しにし、火花を散らしながら引き裂けていく。吹き飛んだコンクリートの粉塵が下層へ下層へ噴き出して、根元へ根元へ崩れていけば、大地がその重みに耐えかねて大いに揺れ出した。震度六を優に超える大地震が団地を駆け巡り、それだけで建物たちは粉塵の海にゆっくりと身を沈めていく。


〈ゲフォルス〉を乗せた白銀のドラゴン〈メルゴ〉は素早く翼を広げて空に逃げた。粉塵を突き破り、怪獣よりも高く高く。


「■・■■■■■・■■■(ふん。怪獣め。飽きずによくも)」


〈ゲフォルス〉は呟いた。怪獣を中心に発生した大地震は、コンクリートで舗装された大地ですら、滴の落ちた水面のように波を作る。コンクリートと鉄筋は、うねり、叫び、歪んで波打ち、すべての塔を飲み込んで崩そうとしていた。発生した波は怪獣を中心に外へ外へ広がり、その上の四十メートルを超す建物すら飲み込んで横倒しにする。もう終わりだ。現れただけで、怪獣はすべてを破壊する――


 だが、そのとき怪獣は体を大きく反転させた。極太の尾。全高八十メートルの体に見合った、それよりも長い、普段は地面を引きずられるのみのそれが、地を這う極太の巨大な鞭となって薙がれれば、大地を重量が駆け巡るよりも早く、団地の棟を吹き飛ばしていく。


 怪獣は、自身の巻き起こした揺れで建物が倒壊するのを眺めているだけでは飽き足らず、自らの破壊を以って、完膚なきまでにこの地を蹂躙するつもりなのだ。放っておけば、それだけで再起不能なはずの大地に、わざわざ己の爪を突き立てる。


〈ゲフォルス〉は見た。根元から圧し折られ、崩され、切り倒されていく棟を。尾がその下にねじ込まれれば、苦痛から逃げるようにその屋上が跳ね起き、吹き飛び、爆発する。粉塵が粉塵を呼び、尾が滑るごとに飛び上がって砕け散るさまは、もはや芸術のようにも思えた。吹き飛ぶ瓦礫が周囲に注ぎ、こうしてあっさり怪獣を中心に百八十度が倒壊されつくした。


 怪獣は、念入りに町を破壊する。怪獣が薙いだ後の瓦礫には、たっぷり怪獣に含まれた汚染が含まれている。


 ——敵だ。


〈ゲフォルス〉はそれを強く認識した。


オーク達に対する、明確な破壊の意志。追い打ちをかけるべく、怪獣はさらに百八十度、身を捩ろうと、一度尻尾を天高く持ち上げ、大地に打ち込む! すると、遠くの山すら揺らぐ破裂音にも似た大音があたりを揺らした。それに煽られ、瓦礫は弾け、建物は宙を舞い、落下しては砕け散った。その爆音には、上空にいる〈ゲフォルス〉ですら耳を塞ぐほど。


 なるものか!


 そう思ったのは、〈ゲフォルス〉だけではない。こちらもまた、牙だらけの喉を震わして叫び、怪獣に歯向かうものがいた。


 深緑と灰青の二体のドラゴン。それが急降下して怪獣に立ち向かう。どうやら、怪獣が現れる前に空へ避難していたらしい。二体のドラゴンが、怪獣の上空でその顎を開き、熱に満ちた息を吐く。


 その瞬間、空は熱に瞬き、黒い怪獣の体を照らした。ドラゴンの口から放たれた火炎流は怪獣の体を大いに嘗め尽くす。コンクリートを溶かし、森など瞬く間に焼き払うそれだったが、相手が悪かった、と言わざるを得ない。


 怪獣の全身にまとわりつく汚泥はあっさりとその熱を拡散し、押し流す。それでもなお、火炎流を当て続けていると、気まぐれに怪獣の体が膨れ、破裂した。そしてその汚泥を吹き出して灰青のドラゴンに浴びせ掛ける。その汚泥には重油も含まれており、火を噴くドラゴンにもあっさりと引火して、大いに爆発し、その体を、翼と胴体、無数の鱗や肉片、前脚後脚とばらばらに千切り散らした。


赤黒い空に、鮮烈な汚濁に塗れた火球が弾けた。


人間にとっては、たった一匹、幼体が現れただけで国一つを滅ぼせるのがドラゴンという種族だったが、怪獣を前にしてはその歯牙も炎も何の役には立たなかった。


それでも懸命に、深緑のドラゴンは火炎流を吐き続ける。一方、怪獣はついに、わずかに残った棟へ向けて足を向け、歩き始めた。怪獣は自身の破壊行動に終始するつもりらしく、全長二十メートルほどの竜など意にも解さぬ。炎に吹かれるまま、遺った建物を執拗に踏み潰し、蹴散らした。


長い爪を振り回しては建物を突き崩す。


尾を振って瓦礫を挽く。


また歩いて踏み潰す。


徹底した破壊を怪獣は続けた。その一方で、しつこく深緑のドラゴンは怪獣に付きまとった。あらゆる角度から火を噴いて、怪獣を倒そうと躍起になっている。ついに、その背後を取って、延々と火を吹き付けていた。だが、そのとき。怪獣の首が正面から頭上を経由する形で百八十度倒れこみ、その口先をドラゴンに向けた。


「■■(来たか)」


 そして、怪獣の背中に生えた無数の煙突のような棘が一瞬ぱちぱちと光り、それに呼応するように、怪獣の口内にも同じ輝きが満ちた。それは、光を反射する水面、或いは降り注ぐ雷よりも眩しい、この魔界には久しく存在しなかった、日の出の様な清らかさを持っていた――その光の中を、〈光化学レーザー〉という。


 それは、赤黒い空を裂き、分厚い灰色の雲を焼き切って、どんよりとした空気を鮮烈に熱し、どこまでも真っ直ぐな、光り輝く線となって、魔界に現れた。どこまでも遠く、金属同士が擦れるような新しい騒音を伴って、魔界を貫いたのだ。


 しかも、それだけでは終わらない。


 その真っ直ぐな線は怪獣の口から出たままである。怪獣がそのまま首を元の位置に戻せば、雲を定規で引いたように真っ直ぐ切り裂いた。ならば、それが地上に注げばどうなるだろう。


 答えは、明白だった。


 足元の瓦礫たちは今度こそ、その形を失って蒸発した。鉄骨もまた同じく。ただ、膨大な熱光線を浴びて、膨れ、破裂し、爆炎を天高く上げた。その振動は、怪獣が歩いたときの比にならない。怪獣が閃光をそのまま地上で薙げば、次から次へと爆発は連鎖し、全高八十メートルの怪獣に迫る巨大で極太の火柱が団地を囲む。燃え盛る炎は、この赤い大地においても大いなる脅威となって広がり、白い光から生まれた黒く邪悪な煙が天を埋める。


 怪獣は、時々その〈光化学レーザー〉を止め、否、やはり何度も吐き散らしながら、団地を破壊した。その様子を、天高く、距離を置いた〈ゲフォルス〉は冷静に見下ろしていた。怒りは当然あるが、今の自分には、怪獣を抹殺するに足る、力があるのだ。


 彼の駆る白銀のドラゴン〈メルゴ〉の前脚が掴む大きな銀色の箱。


 すでに、この団地には避難警報が出されていて、残っていたのは物好きな住人や、小奪い根性に捕らわれた哀れな店主だけである。


 だから、好きにやってよい。


 怪獣はやりすぎたのだ。基地の破壊、それは、国の威信を踏みにじる行為。


 ――眼にもの見せてくれよう。


 ドラゴンを急降下させ、怪獣に近づける。そして、その直前で、オーク達の知識の結晶、最大の破壊をもたらす〈銀の箱〉を、投下した。


 その銀の箱の名を、■■■■■、彼らの中で、最も恐ろしい力、本来市街地では使ってはならぬ、禁忌の力だった。

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