第20話 ドラゴンと少女

 オークの竜騎兵に追い立てられる形になったが、四人はかくして魔界のスーパーマーケットなる奇異なる施設に寄った。すでにそのガラスの『自動ドア』に困惑するスラとルダンだったが、ジゴーが睨んでいることに気付いた二人は慌てて彼に続いた。


だが、その自動ドアの内側にもまた、彼女たちの知らぬ奇異が溢れていた。


 ぴかぴかに磨かれた、大理石のような床材と、背の低いテーブルのようなものの上に満載になった食材が目に入る。たくさんの、これは野菜だろうか。拳大の色鮮やかな、瑞々しく潤った実が陳列されていた。しかもそれらはすべて、天井の真っ白な不思議な灯の下で、まるで宝石のように磨かれ輝いて見える。以前スラが町の市場を視察した時はこうではなかった。どれも畑で取り出したままの、土がついた姿だったはず。それが、本来畑で育まれ、収穫されたものの姿だろう。魔界の植物は、まるで違う方法で生産されているように思わされた。


 だが、その印象を、不気味だと思う一方、清潔で美しいとスラは思った。


 このスーパーマーケットという施設、そこまでの大きさはない。だが、そこに敷き詰められた食材の量には圧倒される。人間の市場の、食材以外の部分を圧縮してなお、それ以上の豊かさを誇っている。


 しかも、遅れて気づいたが、施設の中は薄っすらと冷気を帯びていた。いかなる術か、涼しげな風、もとい空気が漂っている。


 そんな中、ウトトはさも当然の顔をして、店先にあった籠を手に、食材をその中に放っていた。しかし、彼女が選んでいるのはその野菜達ではない。野菜のある棚の向こう、ガラス瓶に入った飲料水であった。否、ガラス瓶かは疑わしい。妙な形をしていたし、何よりも瓶の厚さが極めて薄いと思った。


 と、そこからさらに、スラとルダンの目を引くコーナーがあった。それは、生肉が売られているコーナーであった。


 惹きつけられるように二人はそこに近寄り、ウトトを見習うようにそれを手に取ろうとした。


「やめておけ。子供はお菓子コーナーでいい」


 それを、突然横から割って入ったジゴーが止めた。


「なぜですか」


 どこかむっとしてルダンは言う。


「なんでもだ。それに、おれ達は旅をしている。保存が効くものはこっちだ」

 

 ジゴーは一瞬横を振り見、こちらを不思議そうに見つめるオークを確認した。それに気づき、仕方なく二人はジゴーについていき、彼が皮でもなければ紙でもなさそうな不思議な箱(後でわかったが、これは厚手の紙であった)が並んでいる棚に至る。


 彼はそこからいくつかを籠に放り込む。彼の動きは実に手慣れていたが、一方で、やはりスラもルダンも、見たこともない奇妙な陳列に目を奪われていた。きっと食べ物なのだろうが、この形は到底食べられるようには思えなかったからだ。しかも、その表面には魔族の言葉や不明のイラストが彩っていて、食欲をとにかく削ぐ。


「ジゴー、もういいだろう」


 そっと後ろから近寄ってきたウトトが声をかける。彼女の籠の中身もぎっしりと詰まっていた。


「彼らの金もある。さっさと会計を済ませてくる。それで、外で合流しよう」


「わかった。そのあと、ここから出てここを壊す」


 二人は何やら話し合っている。そんな中、辺りを興味深そうに見まわしていたスラはあることに気付いた。


「トロールも、ゴブリンもいない……」


 施設内の客の数はまばらだが、そのどれもが青黒い肌のオークばかり。だが、その中に、ふと、白い肌の生き物を認め、スラは目を丸くした。


「人間?」


 遠く、十メートルほど先の棚の角にちらりと、子供程度の大きさの『人間』をスラは認め、気づけば走り出していた。


「姫!」


 ルダンがそれに気づいた時には、手を伸ばして届く範囲にスラはいない。遅れてジゴー達が振り見た時には手遅れだった。


 棚の角からぬっと現れたオークと、スラが激突した。


 その衝撃にしばし困惑した後、オークはその黒目ばかりの瞳を見開き、縦に裂けた瞳孔の中に、小さな人間の幼体の姿を収める。


「■■■■■■■■■!」


オークは叫んだ。途端、警報だろうか、怪しげな喇叭とも法螺貝ともつかない奇妙な音が響き渡る。


 だが、不思議なことにそれ以上スラに触れようとする者もおらず、ルダンは駆け寄ってスラを捕まえ、慌てて距離を取った。


「ジゴー、おしまいだ」そんな中、冷静にウトトはジゴーに声を掛ける。


「いい。どうせ、そうするつもりだった。遅いか早いかだ」


 ジゴーはスラに籠を押し付け、懐からあの奇妙な道具——黒い板と蝶番で繋げられた棒を組み合わせた不思議なそれを取り出していた。そして、乱暴に棚を蹴り飛ばし、横倒しにして注目を集める。


 陳列棚は血飛沫のようにその中に蓄えていた商品を吐き出しながら倒れこみ、盛大に中身を散らした。その陰に隠れ、ウトトは駆けだしていた。それにルダンとスラも続く。さらに、ウトトは何事かを唱え杖を擦り、煙を撒いていた。


「ごめんなさい、でも、わたし達の他に人間がいたんです。助けなくては」走りながら、そういう場合でないのはわかっていてもスラは謝罪を口にした。


「ああ、いるだろうね」スラの言葉に、ウトトは吐き捨てるように答えた。


「え?」その言葉に、ウトトは悲鳴にも似た声を上げた。


「人間が、いるのですか? ここにはトロールやゴブリンもいないのに」


「話はあとです。ここはオークの国ですから」ウトトは強くたしなめるように言う。


 と、遠く、オーク達の困惑や威嚇を割って、ジゴーの声がした。否、よく聞くと、女の声が混じっている気もした。二つの声が重なっている。


「シーン二十八、魔境の新天地『ダダバ第三集合団地』特撃用意、アクション!」『シーン二十八、魔境の新天地『ダダバ第三集合団地』特撃用意、アアアアアアアックション!』


 ――カン!


『上映開始』


 タイトル/化学怪獣ラジュード

 監督/中屋修一

 主演/鹿島十郎

 日付/1968.10.2

 配給/太宝株式会社


 ■審査『上映不許可』


 ■女神特権発動→架想世界←鑑渉開始。権利買収、一部変更強制承認。ウルトラスポンサード完了。


 タイトル/化学怪獣ラジュード

 監督/ジゴー・エルギー

 主演/ジゴー・エルギー

 日付/3122.02.19

 配給/すてきな女神様


 ■再審査『上映許可』


「ジゴーめ、ちょっと早い!」


 ウトトはそう毒づいて、目の前の陳列棚へ杖を向ける。すると、眩い閃光が迸り、棚ごと壁を吹き飛ばして外への道を作った。そうして三人は外に飛び出した。


「〈怪獣壊演〉に巻き込まれる! とにかく急いで距離を取る! 休むな!」


 外に出て一息つこうとした二人をウトトは怒鳴りつけた。


「なんですか、それは」スラは不満そうに訊ねる。だが、返事を聞く隙はなかった。


「駄目だ。悪いがウトト、どうもわたし達は逃げられない」


 ルダンは静かに剣に手をかけ、それを抜いた。彼女の身長を超えた大剣。バルルウ家に伝わる由緒正しき一振り。守護剣〈シルヴィバン=ガン〉が赤光の中煌めいた。


 一瞬、それを見てウトトの額が激痛を思い出した。一体何を考えているのかと、ウトトは不審な視線をルダンに送った。だが、その理由はすぐに分かった。


「お前達が、俺達の基地を荒らしていた野良だな?」


 そんな声が降ってきて、漸くウトトは事態を飲み込んだ。砂埃を巻き上げ、コンクリートの地面を爪で砕き、一体のドラゴンが着陸した。その上には鎧に身を包んだオークもいる――竜騎兵。当然、さっき目撃した、白銀のドラゴンと装飾過多な鎧を着たオーク。


「オークが、喋った?」


 ルダンは驚きの声を上げた。


「野良は躾がなっていないな。目つきが悪い。口も悪い。矯正が必要だな」


 オークはドラゴンの背から三人を見下ろしている。


「ウトト、『スラ』を頼む」


 ルダンは素早く二人の前に出て、竜騎兵に向き合った。


「ルダン!」スラは彼女を追おうとしたが、それをルダンの視線が阻んだ。


「頼めるか?」ルダンが見つめるのはスラではない。ウトトだった。


「……わたしは逃げる。その後ろを誰がついてこようが関係ない」


 そういって、ウトトは一目散に駆けだした。


「〈スラ〉!」


 いまだ迷う彼女の背を蹴り飛ばすようにルダンが叫ぶ。すると、弾かれたようにスラはウトトの背を追った。


「■■■■■■■■■・■■■■(野良はそういうことをするのか。面白い)」


 竜騎兵は歪に口角を上げ、何事かを宣った。当然、ルダンにはそれがわからない。だが、自分がすべきことは決まっている。


「わたしにだって、使命がある」


 剣を構え、そして駆け出す。この剣は、遥か昔、バルルウ家が王宮の護衛に就くと初めて決まった時、その当主シヴィ・バルルウが腕利きの鍛冶師ザドーダ・モシに頼んで作らせたもの。それ以来、王家に歯向かう逆賊から、たまたま遭遇した魔族まで、その全てを圧し折り砕き、打ち崩してきた。


 本来の持ち主は彼女の弟にして一家の長男だったが、ルダンが姫の護衛につくと決まった時、本人から直接託されることになった。


『僕はしばし、王家の護衛の任から外れます。姉上こそこれを使い、イヴァントの王に示していただきたいのです』


 ――わが一族、バルルウ家の誇り、守護の剣!


「行くぞ!」


 一方で、真っ直ぐ向かってくる矮小な、一粒のニンゲンに対し、竜騎兵のオークが抱く感情は少ない。彼は一瞬、彼の従えるドラゴン〈メルゴ〉が、その前肢にきちんと、『例のもの』を掴んでいることを確認すると、その腹を左足で叩き、指示を出した。


 すると、〈メルゴ〉はかっと口を開き、その中の熱をそのまま放射した。


「あ」


 ごう、と一吹き。ドラゴンの息は膨大な熱、否、炎そのもの。それはコンクリートすら溶かし、鉄筋なども熱した飴のように捻じ曲げる。


 そんなものの前で、高々大剣一本を構えた人間など、一瞬で灰に変える。


 歴史ある大剣は瞬く間に溶断され、それよりも早く血肉は焦げて蒸発する。熱気を浴びて、それだけで、捩じられた雑巾より早く、彼女の体は水分を放出しきった。


 さらにその奥『スーパーマーケット・ザザイユ』のガラスを溶かし、陳列棚もその上の商品も壁も床も天井も焼き切って、ついに天高く火柱を突き上げ爆発した。こうして、五百坪程度の広さだったそこが、燃え盛る巨大な焚火に変貌した。


 竜騎兵の目の前には、〈ドラゴンブレス〉の去ったあと、もうもうと煙を突き上げる爆炎しか目に入らない。彼はすでに、この炎が目の前にいたニンゲンを焼き払うために噴したものとも忘れていた。


「■■・■■■■■■(さて、残りを追うか)」


 手綱を引き、竜の首の向きを操りながら、オークの竜騎兵=〈ゲフォル〉は短く独り言。ドラゴンの鼻は、逃げて行った人間の臭いを追うようにひくついた。


『仕方ないなあ。サービスだよ、ここまでカットカット、〈カット〉です。ジゴーだけ生き残っても仕方ないし』


 そんな声が、なんとなく〈ゲフォル〉の耳を掠めた、気がした。


 ――上映が始まる。


 ●●○3

 ●○2

 ○1


『と、いうわけで! まもなく上映のお時間です。携帯電話、スマートフォンの電源を切り、夢溢れるすてきな映画の世界をお楽しみください』


 四十メートル以上の全高を持つ、巨大なコンクリートの塊が並ぶ団地。全一万戸の住宅が密集したここで、ブザーの音が反響する。もしも住民たちがいたならば、そのどれもの窓が開き、外の様子を伺ったに違いない。


 少年の声が木霊する。


「怪獣、壊演!」


〈怪獣壊演〉

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