第19話 ドラゴン到着、団地前

「さあ、気を取り直して食料を調達し、とっととこの町を破壊しましょう」


 快活にウトトはそう言った。


「待ってください。わたしも連れて行ってください」


「お姫様は足手纏いです」ウトトは即断した。


「姫、こういっては何ですが、わたしもウトトと同意です。危険です。目立たないところに隠れているのが賢明でしょう。ウトトの術は確かに我々の姿を誤魔化しているようですが、どこまで通用するかわかりません」


「ですが、こうしてウトトやジゴーに全てを任せるのは、間違っています……いえ、正直に申し上げますと、わたしは興味があります」


「興味?」


 心底うんざりした表情でウトトは返した。


「そうです。魔族とはいかなる存在なのか。どういった生活を送っているのか、わたしは考えたこともありませんでした。ですが、ジゴーの言う通り、魔族にも生活がある。しかも、わたし達とは異なる考え方や文化がある。わたしは、それが知りたいと思ったのです」


 スラはウトトに向かってはっきりと語った。ウトトはしばし面食らっていたが、やがて助けを求めるようにジゴーを見上げた。


「邪魔をするならオークの前に突き出せばいい。食料さえ手に入ればいいから、お前はそれだけ考えろ」


「しかし……」


 ウトトは複雑な表情を浮かべたまま、足踏みをしていた。と、その時、空気が震えた。 


「なんだ?」ルダンは空を見上げ、スラを背中に隠した。


「隠れよう」


 言うが早いか、ジゴーは住宅の入口の陰に身をひそめた。それに三人も続く。さっきも、二階の部屋に忍び込んだ時と同じ、吹き曝しの入り口。しかして、スラは改めて認めた、その壁に設置されている金属製の箱が気になってしょうがなかった。その箱は十個以上、それぞれに横長の穴が空いている。加えて一つ一つに魔族の文字らしきものも書かれている。気になってスラはそちらに手を伸ばしたが、ジゴーがそれを素早く押さえた。


「郵便受けに触るな。それを見ず知らずの奴が触ると目立つ。泥棒に思われるぞ」


「?」


 スラには理解できなかった。


「ジゴー、やはりこいつは子供でした」ウトトがスラを睨んでいる。


「姫、お願いします」珍しくルダンの声が緊張している。しかも、スラを見ていない。それどころか、ジゴーもウトトも、彼女のことを視界に入れず、ずっと遠くを見ていた。


 それに釣られるようにスラもそちらを見遣る、否、見ようとした。その時、ぶわりと顔面を覆う様な熱気が押し付けられ、思わず庇った両腕の隙間を縫って砂が彼女の顔を打った。そうして、それらが落ち着いたとき、彼女の視界にあまりにも異なるものが映った。


 研ぎ澄まされた剣の様な爪。

厚さ二センチメートルはある深緑の鱗は打ち寄せる波のように折り重なって前後脚を作る。

しなやかに伸びた尾は際限なく伸びているように見える。

伸びでもするように大きく広げた翼は家一軒をその内に抱えるほど。


そして何より、小さな太陽のように輝く瞳、そしてそれを内包する頭蓋骨から直接、その凶暴性をそのまま溢れ出させたような牙はそれぞれが折り重なり、圧し折りながら生えている。


上顎の裏からも下からも生えたそれは、もはや食事のためという理由を超えた、殺人のために用意されたものにしか思えない。その舌すら棘が生えていて、一度口内に入ったものを一片たりとも残さないという覚悟に思う。


 ——全長二十メートル。ドラゴンだ。


 スラはその風体に鳥肌が立った。対手はこちらに気づきすらしていないのに――距離も六十メートル以上ある――それが、同じ空間にいるというただそれだけで身の毛がよだつ。


 と、さらにもう一体、灰青のドラゴンが着陸態勢に入った。すると、深緑のドラゴンはその牙を見せつけ後脚で立ち上がり、翼を広げ爪を持ち上げて威嚇の姿勢を取った。そして、鳴き声を上げる。


 空気が震えた。


 その途端、スラは悲鳴を上げたくなった。ドラゴンの鳴き声は、低音の唸るような声に合わせて、超高音の耳を劈くような音まで入っている奇妙な叫び。


 ぱん!


 一斉に周囲の住宅の窓ガラスが弾け飛ぶ。それだけの音量がこの魔族の団地を震撼させる。


 それに呼応するように、灰青のドラゴンもまた、大顎を開く。スラは血の気が引いた。もしもこのドラゴンまで叫びだしたら、この町も自分もただでは済まない――そう思ったとき、二体のドラゴンの頭頂部を撫でるように銀の光が煌めいた。


「■■■■■■■・■■■■■!」


 辺りが真っ暗になった。スラはそう思った。それほどまでに大きな翼が住宅を覆う。差し渡し三十メートル以上。ひと際大きな翼をもった、白銀のドラゴンが空にいた。


 かん、かん!


 コンクリートに、緑と灰青の鱗がばらばらと散らばった。それが、白銀のドラゴンの爪で剥ぎ取られたそれだと気付くのに、皆が皆、時間を要した。深緑と灰青のドラゴンはその額を隠す様に身を捩り、天空を警戒した。


 一方で、無慈悲に二体のドラゴンから鱗を剥ぎ取った、白銀のドラゴンの爪には傷一つない。


「……あれはまずい」


 ウトトは思わず唾を飲んだ。言われなくてもわかる。あのドラゴンは他二体とは別であることぐらい。すでに、二体のドラゴンはまるで畏まるように翼を畳み、体を縮めて銀の竜に場所を譲っていた。


 そうして白銀のドラゴンが着陸を果たすと、その背には人影が、否、鎧を着たオークを背に乗せていることがわかる。しかも、その鎧には骨や牙を模したであろう金の装飾が丁寧に張り付けられており、格の違いを押し付けるかのようであった。


「竜騎兵だ。面倒になる」ジゴーの顔にも緊張が滲む。


 ドラゴンが三体も目の前にいることもそうだったが、彼らがさっきまで自分達がいた場所に降り立っていることも恐ろしい。まるで同じ世界にいる存在だとは思えない。


 ドラゴンに乗ったオークが何事か叫ぶと、どこにいたのか三体の折り目正しい制服を着たオークが集まってきた。そうして四体のオークは何やら話し合っている。


 ……あのまま、あそこで突っ立っていようもののなら、どんなことに巻き込まれたかも知れない。スラはぞっとして顔を背けた。


「人狩りの竜騎兵だ。多分、おれ達を探している」


 ジゴーがそっと囁いた。


「ジゴー、どうしよう」


「ここで井戸端会議をするふりをしてもいいが、聞き込みに来られたら厄介だ。とっととスーパーに逃げる。あくまで客として」


「奴らの金はそんなに持っていませんが……仕方ないです。大人しく買い物をして、ここを出ます。そのあと全部壊してください」ウトトはため息をついた。


「あの……」


 スラが不安そうな声を上げると、ウトトは表情を歪め、


「下手に動かれるとまずいことになるでしょう。こいつらは視界に入れておいた方がいいと、思います」とジゴーに進言する。だが、言葉の端々に、まるで奥歯に繊維でも挟まったような不快さを隠さない。


「ああ。もしも下手を打ったら、すぐに〈怪獣壊演〉を使う。それで行こう」どこか楽しそうにジゴーは言う。


「そうなっては欲しくないですが」ウトトはため息をつく。


「ついてこい。なるべく自然に」


 ジゴーはスラとルダンを見遣り、ついてくるように促す。黙って二人は頷き、そうして四人は早々にスーパーマーケットに近づく。すると、ドラゴンのことなどどこかに飛んで行ってしまったかのように、恐怖を忘れてスラの視線はスーパーマーケットの外観に吸い込まれていた。


「すごい、こんなきれいなガラス初めて見ました」


 近寄って初めて、スラはその外観すら正確に把握できていなかったことを知る。その外観は、薄くきれいに伸ばされた、二メートル四方ほどのガラスが何枚も壁のように張られていた。すでにスラの知らない技術が使われている。その奥には火でもなければ陽光でもない不思議な光で満ちていて、なにやら食材などが並んでいることが知れた。そちらへ思わず手を伸ばしたところ、素早くルダンがそれを抑えた。スラは不満そうに頬を膨らませたが、遅れてルダンの顔が青ざめていることに気付き、俯いた。


 だが、すぐに、彼女の関心は移ってしまった。ジゴーとウトトが、厚さ一センチメートルほどの薄いガラスで作られた扉を潜っていく。しかもいかなる技術か勝手に開く。スラはその仕組みに目を細め、ルダンは思わず、周囲にオークがいるのではないかと剣の柄を握り、首を傾げた。


 二人がついてこないことにジゴーは気づき、二人が扉の前で周囲をきょろきょろと見つめているのを見つけると深くため息をついた。


「ウトト、もう全部壊して終わりにしよう」


「流石にそれはやめてください」


 しかして、ウトトの口調にもうんざりとした感情がどっぷりと詰まっていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る