第17話 いざ団地

 腐った森を歩き、或いは白く濁って死んだ川を超え、四人はついに再び、コンクリートで出来た建物と相まみえた。


 距離、一キロメートル前。真四角な建物に、窓の数は縦に十個。横には、それ以上。奥に奥にその全長を伸ばしていて、果ては見えない。横に長いその建物は、しかも見る限り、四つも並んでいる。ともすれば美しい、どこまでも丁寧に作られた、整然とした光景である。


「きれいな、崖、ですか? ドラゴンは大きいですし、大地を削るとも言います。岩山で爪を研ぐのでしょうか」


 スラはそれを、空想一杯に語った。それに対し、ウトトはにやりと愉悦を含んで笑った。


「いいえ、『姫』あれは、魔族の住居にございます。彼らがここを開拓し、作ったものにございます。あの窓一つ一つの向こうに、魔族の家族が住んでいるのです」


 丁寧な言葉遣いではあったが、区長と表情から、からかいと侮蔑が滲み出ていた。ルダンは眉を顰めた。


「そんな、あんなに巨大な家など見たことがありません。オークにしては大きすぎますし、トロールでも持て余すでしょう。家であるなら、ドラゴンでしょうか」


「そもそも、いくら丁寧に石を積んで木を組んだって、あんなに大きいものは作れないだろう。イヴァントの王宮よりも大きいし、前に見た魔族の廃墟だってここまでではなかった。それを一から作るなど不可能だ。ああいう地形も魔界にはある、それだけだろう」ルダンは鼻息荒く言う。


「いいえ。あれはまず、この辺りの大地を削り、平らにすることから始めます。道具と人員を用いて、木を伐り、地面を均すのです。見ての通り、この辺りは高低差が激しいので」


 ウトトは嬉しそうに、遠い集合住宅地を杖で示す。


「そして、その上にさらに深く穴を掘り、鉄の骨を埋めて土台を作り、そこにコンクリートを流し込んで家を作るのです。高く高く骨組みを作り、そうしてあれを作ったのです」


「まさか、本当に何もないところに、いえ、まず、森や山を切り裂いてから、あんなに大きな建物を? 木こりが百人いても、百年はかかるのではありませんか?」


 スラは目を丸くした。 目の前の垂直な家は、遠く、見えなくなるぐらい先まで続いているように見えた。実際に、この集合住宅はあまりにも巨大である。


「そうです。ですが、彼らにとっては十年も要りません。彼らは魔術もなしに、これだけ広い土地を真っ新にして、王宮よりも大きな建物を作るなど朝飯前なのです」


 その広さ、四十ヘクタール。先日の魔族の基地『第四北東基地ザボロド』よりも規模は小さいが、その代わりに飛行場などの施設もなく、十階建て、横に二十戸ずつの部屋を持つ棟が四つ、それより小規模な棟が六つあり、合計一万四千戸の住宅を保有する。そのほか、公園や商店街も有する。


「そんな、馬鹿な」


 スラの体が、知らぬ間に震えていた。


「さあ、行きましょう。折角ですし、見ていかれるといい」


 ウトトは得意げに杖をふるった。


「われが呼ぶは 四つ、

語るは 鮮やかなる伝承のその一遍、人をまねぶる異邦人より、

聞くところ 騙し騙り偽り嘯く魔人の毛皮」


 しゅるしゅると唱え、杖でもって、ジゴーの頭を軽く撫で、スラを強く殴打し、殊更振り被ってルダンの頭を殴りつけ、最後に自分の額にこつんと当てる。不思議なことに、ルダンですらその動きを防ぐことができず、遅れてその鈍痛に顔を歪めた。


「貴様! 姫に何をした!」


「術です。これでわたし達は夜を超えて朝が来るまで、オークに姿がばれることはありません。喋っても構いませんが、オークに触れることだけはなきように」


 しかして、ルダンにもスラにも、自分の指先があの青黒いオークの皮膚には見えなかった。


「信じられないなら、とっととそのまま王宮に向かうといい」


 ジゴーはそう言って、すでに歩き始めていた。納得がいかなかったが、ルダンもスラもそれに続いた。上機嫌そうにウトトだけが鼻歌交じりに森を行く。


「これが、魔族の町……」


 十分ほど歩き、その入り口にたどり着いた。特に門があるわけでもなく、ただ、気持ちばかりの細い金属を網のようにした柵だけが、魔族の町と森を分けていた。


――魔境の新天地『ダダバ第三集合団地』


 ジゴーもウトトも、堂々とその柵に設けられた切れ間、狭い入り口から中に入っていく。特に監視の目も無いようだった。あまりにも無防備なそれを前に、スラの足が止まった。


「姫、わたしはそもそも反対です。食料でしたら、わたし達が襲われた場所に戻れば残っているかもしれませんし……」


「いいえ。行きます」


 スラは深く息を吸い、そしてルダンとともに、柵の内側に入っていく。ルダンだけが周囲に一瞬視線を走らせて警戒した。彼らを怪しむ視線はない。だが、数歩はいると、建物の陰から一体のオークが歩いてきた。今までは鎧をつけたものしか見たことがなかったが、そのオークは普通の服を着て歩いていた。シャツに似た半袖の不思議な服。それが、肘から先など、青黒い肌を普通にさらして歩いている。じろじろ見たくなる衝動を、ルダンは必死で堪えた。それ以降、不思議とオークは見かけない。


「これは、すごいですね」


 その魔族の町に、ほとんど彼らはいなかった。ただ、コンクリートで舗装された地面が、踏みつけた勢いをそのまま返すおかげで、なんとなく背骨が痺れる思いがした。四人が歩くその道は、常に影が差していた。いうまでもなく、見上げるばかりの巨大な住宅の合間を歩くからだ。


遠くから見ていた巨大な建物は、いざ目の前、その足元に来ると、覆い被さるような威圧感さえ押し付けてくる、壁だった。スラは、それが今まさに倒れこんでくるような気がしてならない。空が小さな切れ間となっていて、もうじきぴったりと閉じてしまうのではないか、もしそうなったなら、その時自分は建物と建物の間に挟まれて潰されてしまうだろう。


「大きい……」


 ルダンも思わず声を漏らす。山でもなく、崖でもないのに、見上げれば首を痛めるばかりの大きさ。十階建ての建物といえば、地上三十メートル以上に達する。窓の高さは、人間よりも体格がいいオークに合わせてか、一階にあってもその位置はやや高く感じる。きっと、屋上までは四十メートル以上あるに違いないとルダンは感じた。


 基地の建物も大きく感じたが、これはそれ以上だった。あちらではせいぜいが二十メートルだったから、その倍の高さが迫ってきている。


 そして何より、これが天然自然のものには思えなかった。きれいに、真四角に整えられたその形は人工物、否、誰かが作ったものに相違ない。ウトトの言っていることが、どうしても正しいと直感する。


「そういえば魔族は……」


 建物ばかりに気を取られていたが、ふと、スラはあたりを見回す。だが、どこにも魔族はいなかった。


「魔族がいません。どうしてでしょう」


「決まっています。今は昼だからです」


「昼? だとして、なぜです?」


 スラの質問に、ウトトはため息で返した。


「人間だって、昼間は働いています。魔族も同じです」


「え?」


 思わずスラは妙な声を上げてしまった。そんなこと、考えたこともなかったからだ。


「では、今、魔族はみな、どこかで畑仕事や牛飼いをしているとでも?」


 ルダンは馬鹿にするように言った。だが、ウトトは真面目に言葉を返した。


「その通りです。まあ、ここに住んでいる奴らは都心に行って、『仕事』をしているのでしょうが。えっと……」


 ウトトは自然とジゴーへ助けを求めた。ジゴーはため息をつく。


「よくわからない数字の計算を延々と繰り返したり、お前達では想像もつかない道具の売り買いをするため、資料を作ったり歩き回ったりして金を稼ぐのに忙しいんだろう。それが仕事だ」


「なぜ? 仕事とは何かを生み出すことだろう。もしくはわたしのように王家に仕えたり、荷運びを生業にしたりする者も当然いるが……」ルダンは首を傾げた。


「魔族はそんな時代、とうに終わった。否、そうでもないだろうが、それよりももっと効率的に金を生み出す方法を編み出したんだ」


「金を生み出す? お金は別に、作るものではありません。民の作った作物や、山羊の乳、或いは掘削して生まれた鉄鉱石の価値、あるいはルダンのような家臣がまずは、あってこそでは」


 スラの疑問に、ジゴーは舌打ちをした。


「別に、おれは経済に詳しいわけではない。だが、そういう方法で金が生まれ、それを使って人を雇い、そうしてこういう建物ができた。価値が先行するんじゃない、金が先行して価値を作る」


「ですが、そのお金の出どころは『もの』です。ものがあってこそなのでは。ものがないのにお金があるとはどういう理屈でしょう。それに、仮にお金がいくらあっても、人がいなくては建物は作れませんし、そもそもこれほどの石材を一体どこから? お金で解決できるのですか?」


「できる。金があれば、それを元手にとにかく人を雇えばいい。人や物を基準に考えるな。金さえあれば、いくらでも人は湧いて出てくる」


「それはおかしい。仕事とは本来、その一族が引き継いでいくものだ。職人の数には限界がある。金がいくらあろうと、できることとできないことがある」ルダンは疑義を呈する。ジゴーは肩を竦めた。


「さっきも言った通り、多分魔族にもそういう時代があったんだろうが、もう終わった。魔族は自由に職を選べる。それこそ、こだわりがなければ、払いがいいものを選んでいけばいくらでも金が手に入る。金が手に入れば、魔族の社会では何でもできるからな」


「馬鹿な、一族の誇りはないのか? 職の自由とはなんだ。それに、金、金、と、確かに財はあるだけ贅沢はできるが、これは過剰ではないか」


 ルダンは団地の巨大な棟を指す。


「なぜこんなに巨大な家を建てる必要がある」


「そりゃあ勿論、住むところがないからってのもあるだろうが……金のためじゃないか。ここに住むのも家賃がいる。つまり、作ったやつが毎月金を手に入れることができる。あえて言うなら、金のためだ。それに多分、ここに住むやつはそこまで裕福じゃない」


 ジゴーは改めて建物を見上げた。


「タワーマンションだったらちょっと事情は違うだろうが、これは違う。それに、こんな『北』の果てに金持ちは住まない。このでかい家に住んでいるのは庶民だ。オークの、な」


 ルダンは絶句した。何についても理解が追い付かない。これだけ大きな建物に住めるのに、裕福ではないとはどういうことか。スラだけが、思案顔で俯いた。


 そうしているうちに、建物の切れ間が生まれた。そこには、建物に囲まれつつ、ポカンと開いたその空間は、十人程度で運動を楽しむのにちょうどいい広さを持っていた。


「広場にしては狭い。誰かの庭か?」ルダンが警戒するように言う。


「違う。公園だ。もう少ししたら、オークの子供がたくさん集まってくる。それより、おれ達の目的地はあれだ」


彼が指さすのは、周囲の住宅よりも圧倒的に背の低い、扁平な建物。精々、二階建てぐらいの高さだ。


 だが、大きさ以外にもなにやら色鮮やかな看板がついていることが目を引いた。恐らく魔族の文字も書かれている。


「確かにいい規模です。あれにしましょう、ジゴー」


「それ以外ないだろう」


 急に頷きだした二人に対し、不安そうにスラは声を伸ばした。


「襲うとは、何事ですか」


「決まっています。あの『スーパーマーケット』から、食えそうなものを全部貰います」


「そのあとは、もう面倒くさいから、全部破壊する。それだけだ」


 ウトトの言葉に続き、嬉しそうにジゴーは言った。


 スラの視線は二人から、その奥、扁平で長い、不思議な建物、スーパーマーケットに注がれた。あれに、食べ物がいっぱい詰まっているとでもいうのだろうか。てっきり、食べ物を手に入れるというから、畑や、或いは市場を期待していたスラは、内心落胆した。


 市場の喧噪や畑の瑞々しさもない、四角い建物がスラの前に立ちはだかる。


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