第6話 流石に姫の全裸土下座はカットしました。


「うわああああああ!」ルダンは堪らず絶叫した。そして、両目からどくどくと涙を流す。


そんな、自身の足元で騒々しく叫び始めた、十も年上の女の『醜態』を前に、落ち着いてスラは襟を正した。次いで、自身のブラウスのボタンがずれていることに漸く気づき、仕方なく自分で直す。


「あなたはどうしようもなく役立たずで最低の騎士ですが、あの状況、こうしてウトトと交渉の場を用意できたのは、あなたの強さがあったからです。おかげでたくさんの惨めな思いが出来ました。得難い経験です。王宮ではこうもならなかったでしょう。優秀な侍女や仕官、騎士がたくさんいましたから」


「あ、いえ、違う……姫、わたしは……」


 ルダンは顔を上げ、姫に手を伸ばした。しかし、当然スラはそれに応えず、ついに見つめることすらやめた。


「それでは、そろそろいいでしょう。呪いを掛けて少し疲れましたが、漸く元気になりました」


 ウトトは悠然とそう言って立ち上がる。


「待て!」


 涙声でルダンは叫んだ。立ち上がって走り、ウトトの前で身を低くし、両手を左右に開いて降伏を示す。


「お願いです。姫の呪いはわたしが受けます。今までの非礼、その全てをお詫びし、我が一族の許す限り、その財や土地をお譲りいたします。ですから、なにとぞ、姫の御身にだけは……」


「気持ち悪い」


 ウトトはあっさりとそう断じた。


「もう行きます。あなた達に構う理由もない」


「そんな、なぜわたしではなく姫なのですか。あなたを傷つけたのはわたしです」ルダンは叫んだ。確かにまだ、うっすらとウトトの額が赤く腫れていた。


「関係ありません。ほら、ジゴーも」ウトトは懇願するルダンを避けて歩く。


「別に、二人ともとっとと殺せばいいって言ったのに」つまらなさそうにジゴーは言う。そして、ゆっくり立ち上がって、先を行くウトトに続く。慌ててルダンは腰を上げ、再び回り込もうとした。だが。


「ああ、でも、面白いものが見れましたよ」


 ところがふと、気まぐれにウトトは足を止め、ルダンを振り返った。


「まさか、王族の末端とはいえ、それが服を全部脱ぎ捨てて、わたしの靴を舐めて、泣いて喚いて、殺さないで殺さないで、なんでもするから、と声を枯らして懇願するのですから。ああ、愉快愉快」


「この! 姫様になんてことを!」


 思わず頭に血が上り、ルダンはウトトを睨んだ。気付いてはいたが敢えて否定していた事実を突きつけられ、ルダンは大いに戦慄いた。姫の着衣が乱れていたのも、頬が紅潮していたことも、ルダンに冷たかったのも、声が枯れていたのも、すべて合点がいった。自分が眠っている間に、姫はこの女に呪いを掛けられただけでなく、十にも満たぬ齢にして、される謂れもない辱めを受けたのである。


 一人で服を着たこともなく、ましてや、侍女以外の前で肌を晒したこともない子供が。本来であれば守られなければならない姫が。そして、そうなった理由はすべて、自分にある。


「ルダン」


 そこから先の行動を、スラは一言で抑えつけた。


「全てはわたしが望んだことです」


「違う! 姫様、わたしの責任です! わたしが至らないばかりに……」


「そうです。お前は使えない。こんな無能、初めて見た。役立たず。虫けら以下。塵。牛の糞にすら役目があるというのに、お前はそれにも至れなかった。以下、以下、以下。死んだ親衛隊の弱い弱い腰抜け共のほうが死んだだけ優れている。お前のせいでわたしがどんな辱めを受けたか。そんな奴に身の回りを任せていたと思うと吐き気がする。これなら、町の塀の上を歩く子猫や、残飯を漁る鼠のほうがまだ信頼できただろう」


 ルダンは悔しさが全身を駆け巡り、しかしてなにをどうすればいいのかわからぬ怒りがまた、脳を滅茶苦茶に揺らした。頭はこんなに熱いのに全身は冷え、しかして汗が滝のように噴き出、服は肌に張り付き不快感となって彼女を追い込む。ただ、割れたコンクリートに爪を立て、ぼろぼろと泣くことしかできない。


「それよりも、そこの魔女のほうが余程役に立つ。そう思った」


 そして、スラは、真っすぐ、自分を呪った橙色の魔女を見上げた。突然自分が注目されたことに、ウトトは思わず動揺を顔に顕わにした。


「だから、わたしはもう一つ、交渉をしたいのです」


「何?」「なにを?」


 ウトトとルダンは同時に首を傾げ、姫を見た。何故か、自分よりもはるかに幼く小さな少女に、得体のしれない圧を感じたからだ。


「魔女様、わたしはもう、何も持ってはいません。だから、別のものを差し出します。ルダン、お前の差し出せるもの、全て差し出せ。命も財産も、何もかもだ。それを与える代わりに、ウトト、お前をわたしは雇いたい。道中、わたしが使命を果たすため、そして、あなたとの約束を果たすため、わたしを守っていただきたいのです」


「そんなことするものか。財などいらない」


 ウトトは首を振った。


「理由は聞きません。ですが、王族に恨みがある様子。しかして、あなたは今まで一度も、王宮や、それどころかきっと、イヴァントに来たこともないのでしょう。それは、あなたほどの魔女でも、王族を根絶やしにするだけの隙が無いから。そうでしょう」


「それは……」ウトトは歯切れ悪く口籠る。


「その点、ルダンは、否、ルダンの一族、バルルウ家は優れています。我が一族の防衛を一手に引き受けていますから。バルルウ家の手引きさえあれば、鼠一匹自由にできないと言われている第二王宮にすら、自宅のように行き来できます」


「ひ、姫?」ルダンは目を丸くした。一体、何を言い出したのだ、と主君を疑う。


「お前、何を言っているのかわかっているのか?」流石のウトトも動揺を隠せない。


「はい。わたしは今、己の使命を果たすため、ルダンを通じて家族を差し出そうとしています」


 一切の淀みなく、スラバドラは言い放った。


「わたしは、使命を果たしたい。そのためなら、なんでも差し出します。わたしの命も、家族の命も。それであればこそ、こんな使えない女など」


 スラはそう言って、両膝を突いたままのルダンの尻を蹴り飛ばした。


「お前は精々、すべてを売って、失い、一族を裏切り、死んで、それでやっと、爪の先ほどの役に立て」


 呆然として、ルダンは完全に静止した。


「お前、本物の阿呆だな」


 対して、ウトトはそう言って笑いだした。コンクリートで作られた建物の中に、彼女の声が反響する。


「王族は、見逃してやっているだけ。勘違いするな、やろうと思えば、いつだって王族だろうが、イヴァントだろうが滅ぼせる。ただし、そうしないのは……」


「ウトト」


 すらすらと喋るウトトを、ジゴーが制した。


「こいつ、企んでいる。厄介そうだ。もう離れよう」ジゴーは首を振って、ウトトの肩を掴んだ。


「あなたこそ、わかりませんね。お二人は夫婦なのでしょうか」スラは大きな目を潤ませ、不思議そうに首を傾げた。


「ふうふ……?」


 虚を突かれてジゴーは目を丸くした。ジゴーの勢いが、その時確かに止まった。


「あら、違いましたか」


 ふふ、とスラは笑みを浮かべ、


「ウトト。もう一度言います。あなたを雇いたい。わたしは、これからコスモス山脈の王宮に行き、成人の儀を執り行わなくてはならないのです」と言葉を続ける。


「成人の儀?」


 ウトトは動揺をそのまま言葉に表した。


「さっきは、故郷に帰るため、と聞いていましたが」


成人の儀を迎えるのに、目の前の少女はあまりにも幼い。自分の胸辺りまでしか身長もない。ウトトは今年で十六になるが、スラはどうみてもそれより下だ。イヴァントの成人は十八と聞く。


「それが、成人の儀です」姫は深く頷いた。


「ひ、姫様には、婚姻のご予定がある」ルダンは絞り出すような声で言う。


「婚姻?」ウトトは疑うように目の前の子供を見つめた。


「姫は、隣国デギドの王子ベルラ様と結婚する。王子は魔族の侵攻を幾度となく押し留めてきた有能な人物であるし、姫との婚姻はカシリド帝国への牽制にもなる。姫にとっても、国にとっても、これは重要な祝い事だ」


 ルダンは、涙声でそう言った。


「ですが、肝心のわたしがまだ成人ではありません。成人しないままの婚約は、デギドでもイヴァントでも前例がありません。しかし、我が国の古い記録によると、成人とは儀式を行ったものとされています。その儀式は、第一王宮で執り行われるとのこと。故に、この儀を経て成人となり、わたしはデギドの王子と結婚します」


 まだ十つにもならぬ少女、スラは胸を張った。


「今はその道中です。ところが、道中を魔族に襲われ、わたしの手元に残ったのはこの服と、使えない女一人」


 彼女の視線は、小さくなっているルダンを向く。ルダンは思わず顔を背けた。


「ですから、ウトト。あなたが必要なのです。わたしは既に命すらあなたに捧げた身。故に今度は、この女が持つすべてを売り、王宮までの道中、あなたの力をお借りしたいのです」


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