第5話 姫の騎士の敗北

 ルダン・バルルウは、目が覚めたその時、周囲の状況が、自分の望んでいた形と全く異なることに気付いた。


 第一に、自分は灰色の空を眺めていた。地に転がされている。背中には大剣の鞘の感触と、なにより尖ったコンクリートの断面があった。


 故に、すぐに身を起こす。先の戦闘で全身は傷だらけ。骨に罅だって入っているだろう。故に、たったそれだけの動きで、全身の神経を引っ張られるような激痛が駆け巡った。だが、それに逡巡している場合ではない。


「姫!」


 まず視界に入ったのは、姫=スラバドラ・マルカ・イヴァントの無事だった。彼女はちょうど椅子ほどの高さの瓦礫の上に、どこか草臥れた様子で座っていた。頬は、心なしか赤く火照っているよう。それは、魔界特有の赤い陽光のせいだけではないだろう。


「ルダン、か」


 てっきり喜ばれるものと内心当て込んでいたルダンだったが、それは外れた。スラバドラの年齢は七つ。その割に、随分と老け込んだ苦笑いをふと浮かべただけだった。普段から大人顔負けの聡明さで家庭教師を驚かせてきた彼女だが、それとはまた方向が違うとルダンは思った。


 その原因を、ルダンは外に求めた。すなわち、彼女の傍に同じく腰かけている男女。片方は、見たこともない黒い外套の少年。そしてもう一人は、知っている少女。橙色の外套に、見たこともない青白い髪。彼女へ、ルダンは敵意を剥き出しにして怒鳴った。


「貴様、姫に何をした!」


 剣はない。だが、素手で十分戦える相手のはずだ。ルダンは大股で魔女へ迫ろうとした。だが、その間に立つ者がいた。


「落ち着いてください、ルダン。これでは彼らに礼を欠きます」


 そんな彼女へ冷静に言葉を掛けるのは、他でもない姫だった。まるで庇う様な口ぶり。その様子が、何故かルダンの胸を騒がせた。何故か、姫の声も枯れている。


「それに、大声を出されると反響する。どこにオークがいるとも限らない。わからないのか?」


 ふん、と橙色の外套の少女は鼻を鳴らす。あたりを見回すと、ここは屋内だったらしい。ダンスホールだったのだろうか。屋根は落ちているが、広い空間の四方を崩れかけの壁が囲んでいる。否、瓦礫の下には棚のようなものも見える。薄い板のようなものでできた箱と、その中身も散乱してる。ここは、蔵だったのかもしれない。


「ルダン、まずは自己紹介です。わたしはもう済ましました。彼らの話を聞くのは、それからでもいいでしょう」


「まさか、御身のことから旅の目的まで、全てをお話に……?」


「あなたがまず、人前でわたしを姫と呼びました」


「あ」


 ルダンは思わず口を覆った。姫は首を振った。


「ですが、こんな服を着ていますし、すぐにわかることです。わたしこそ、イヴァント王国の第四王女、スラバドラ・マルカ・イヴァント、であると」


「そんな、姫……」


 ルダンはがっくりと膝を落とした。


「ちなみに、お気軽にスラ、と呼ぶようにも言いつけました」


「なんと、それは!」ルダンは声を張って抗議を示した。


「どうせ、彼らは我が王国の民ではないようですし」冷ややかな視線を、背後の二人に一瞬、スラは送った。


「そんな馬鹿な……」


 しかして、その二人を見つめて得心した。特に、橙色の外套など見たこともない。汚れで良く見えないが、知らぬ文様も描かれている。


「気を悪くされたでしょう。ですが、許してあげてください。それが、彼女の職務なのです。さあ、ルダン」


 幼いながらにきちんと部下の非礼を詫びる。その姿にルダンの胸が痛んだ。故に、大きく深呼吸し、さらに咳払いをして気を落ち着ける。


「先ほどは取り乱した。お前たちのしたこと、許す気はないが、こうして助けられている以上、こちらも礼を尽くす。わたしは、ルダン・バルルウ。姫の親衛隊隊長だ」


 ルダンは丁寧にそういった。対して、二人はあまり興味が無いようだった。


「ふん。あっそう」


 橙色の外套の少女は、興味なさげに自身の髪の毛先など弄っている。ルダンは今すぐにでも跳びかかって、橙色の外套の少女を八つ裂きにしてやりたかったが、武器がなかった。背中の鞘の中に剣はない。


「ルダン、こちらはウトト。旅の魔女だそうです。おとぎ話でなく、本当に魔法が使えます」どこか嬉しそうにスラは言う。


「なるほど、そうですか。全く、人を化かすのが得意そうですね」今までのこともあり、ルダンの言葉が尖る。


「誓って、そんな真似はしていません。して欲しければ別ですが」


 一触即発の気配を感じ、スラは慌てて、もう一人、少年のほうを手で示す。


「そして、こちらの男性がジゴー。ウトトともに旅をしているそうです」


「お前は……知らないな」


 ルダンはじっと、黒い外套の少年を見つめてそう断じた。


「ルダンの頭を打ったのは彼ですが」


 スラは堂々とそう言い、俄かにジゴーは身を揺すった。


「お前か!」ルダンは遅れて自身の頬の痛みを思い出した。


「落ち着いて、ルダン!」


 スラは慌ててルダンの腰に抱き着き窘めた。


「しかし、姫……」


「あなたはわたしの盾。わたしの命令が聞けないのですか」


「それはしかし……」


 ルダンは奥歯を噛んだ。向かい合う二人が苦笑いを、或いは嘲笑を浮かべているのが彼女の神経を逆撫でした。姫の御前、ルダンは拳を握って怒りを堪えた。


「そもそも、姫を襲いながら、わたし達を救うなど、意味が分からない。何を考えているのか!」


 だんだんと状況に脳が追い付いてきた。故に、ルダンは訊ねた。


「もう殺したからですが」


 問いに対し、平然とウトトはそう言い放った。これにはますますルダンが困惑した。どう見てもスラは生きている。幽霊などの類ではないはずだ。それともまさか、もうすでに自分はほかの三人と一緒に死んでいるとか……


「ルダン、わたしはあなたが寝ている間に、惨めにも命乞いをしました。その結果、いつでもわたしは、ウトトの気持ち一つで命を絶つことを約束しました。また、ウトトに対し、ありとあらゆる敵対行為を放棄しました。わたしは、わたしの持つ全権を用いて、彼女を害するものを排除します」


「姫、今、なんと……」


「ただし、その引き換えに、わたしが旅の目的を達するまでは生かしてくれるよう懇願しています。ルダン、あなたの命も含めてです」


 そういって、スラは襟をまくり、その首筋を露わにした。穢れを知らぬはずの白く柔らかな肌と肉の上に、赤黒く邪悪な文様がついていた。ルダンの顔が真っ青になった。よく見れば、外套で隠れているが、着衣がやや乱れている。ブラウスのボタンは掛け間違っているし、その裾はだらしなく外に出ているまま。侍女によって結われていたはずの髪も今は解かれて、風の吹かれるまま、流れる砂金のように煌めいている。


「わが一族に伝わる呪いです。ビオ・リラ・テラ・ラ、茨の呪い。わたしが望めば、それは薔薇の棘の形をとって、あなたの主人の首を貫きます」


 得意げにウトトは微笑んだ。


「そんな、馬鹿な……わたしは……」ルダンの全身が、がくがくと震えだした。まさか、そんなことがあって堪るものか。もう、姫に命はあってないようなもの。つまり、自分は……


「ルダン、あなたは護衛の騎士、失格です。わたしはもう、死にました」


 その言葉に、ルダンの目から大粒の涙がぼろぼろと零れ始め、がっくりと膝を継いで項垂れた。否、それしか、もう彼女にはできることはなかった。


 ——姫に、己の無力さと、罪を感じていることを、全力で示さねばならない。

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