9(魔女の遺産)
それからのことについては、できるだけ手短にまとめてしまおうと思う。
高校卒業後、わたしは志仄さんとの約束(?)にしたがって、一人暮らしをはじめた。大学に進学して、家から――もっとはっきり言うと、お母さんから離れたのだ。
もちろん、お母さんは反対した。地元の、もっといい大学に入ればいい、と言うのだ。でもわたしは頑として譲らなかった。ある意味で、それは最初で最後のチャンスでもあったから。
結局、わたしはお父さんも味方につけて、自説をまげなかった。本当はその大学にいくだけのたいした理由なんてなかったけど、それがわたしの人生にとって必要なことだから、と主張して。
それは、たぶん本当のことだったと思う。
わたしは無事に大学に合格して、家を出て一人暮らしをはじめた。当然だけど、それは厄介や面倒や苦労の連続で、月に向かう途中で故障した宇宙船を、何とかして地球まで帰還させるくらい大変だった。それでも、それはわたし自身の厄介や面倒や苦労だった。
お母さんはわたしを心配してしょっちゅう電話をかけてきたけど、次第にそれは落ち着いていった。自分の時間を、何か別のことに使うことを覚えたみたいだった。志仄さんの言うとおり、それはお互いのためによかったのかもしれない。
一人暮らしをはじめるにあたって、わたしは心機一転をはかって髪を切った。本当はのばすか切るかで迷ったのだけど、志仄さんのことを考えるとのばす気にはなれなかった。何事にも、分相応というものがある。わたしはやっぱり、魔女になんてなれそうもなかった。
志仄さんがくれた服も、何かと重宝している。あの、謎の監視依頼の時に使って、そのままもらったものだ。それを着ると、センスがいいと(本当はわたしのじゃないにしろ)みんなから誉められる。さすがに、伊達眼鏡まで使うことはないけれど。
そうして一年ほどたつと、まがりなりにも生活は安定軌道に乗っていった。大学での講義、不器用な自炊、友達とのつきあい、いくつかの失敗や、ささやかな成功。
お母さんについては、今でも複雑な気持ちでいるところはある。ある程度は理解して許せたとも言えるけど、それでもある程度(二割くらい?)は納得できていないし、恨んでもいる。
でも結局のところ、それで問題なんてないのかもしれない。少なくとも、わたしはそこそこうまくやっているわけだし、全然問題のない親子なんて、見つけるほうが難しいのだろう。たぶんそれは、完全に不幸な人間を見つけるのと同じくらい。
ちなみに、府代くんは本人の希望通り、地元にある情報通信会社に就職した。金髪こそ直したものの、鷹みたいな鋭い眼光は変わっていない。案外、そこを評価されたのかもしれなかった。
府代くんは今でも、そこで働いている。そして今でも、わたしたちは時々連絡をとりあっていた。勉強こそ、教えてはいないけれど。
正直なところ、わたしは府代くんみたいに自分を生きてるなんて言えなかった。そこまでの意志や覚悟、理由は持っていない。わたしは自分で自分に火をつけたりなんてしない――
「世界は呪うか、祝福するしかない場所なのよ」
と、いつかの時に志仄さんは言った。
でもわたしは、世界に反抗するわけでも、上手に同化するわけでもなく、相変わらずにただ何となく生きている。
そのことで時々、自分でもよくわからない気持ちになるのは事実だった。わたしはたぶん、自分を真剣に生きれていない。
でも――
結局は、それもわたしだった。
迷ったり、悩んだり、苦しんだり、自分を責めたり、どこにも行けなくなったり、何もかもわからなくなってしまったり――そんなふうに自分を否定してしまうのだって、やっぱりわたしだった。
わたしにとっては、それがわたしを生きていくことなのかもしれない。
――今では、何となくそう思っている。
志仄さんの正体らしきものについてわかったかもしれないのは、最近のことだった。
わたしは数年前に起きた、ある事件に関するテレビの報道を見たのだ。
それは、某企業が土地の購入代金を騙しとられた、というものだった。某所にある土地の売却を持ちかけられたその企業は、地主を名のる人物と交渉を重ね、その結果契約が成立。けど蓋を開けてみると、その人物は土地の持ち主でもなんでもなくて、契約は無効。土地購入に支払ったお金だけが持ち去られてしまった。
詐欺事件の一種なのだけど、テレビでそのニュースを見たとき、わたしは思わずはっとしてしまった。
何故ならその事件の犯人たちは、ある作家の名前を騙っていた、ということだったから。
その作家が誰なのかについては、テレビでは明らかにされなかった。プライバシーの問題もあるし、風評被害だって懸念されるから、ということだった。明言はされなかったけど、作家本人からの要望でもあったみたいだ。
数億円を騙しとったというその犯人たちは現在、逃走中。警察が捜索中ではあるけれど、企業側は自社の評判(とか、株価とか)が落ちるのを嫌って乗り気でなく、今でも犯人一味の行方は杳として知られていないという。
そのニュースを目にしたとき、でもわたしは正体不明のその犯人たちについて知っているかもしれない、とふと思ったりした。
藤谷志仄――
今から考えると、彼女とのことは何もかも奇妙だった気がする。
人のいない大きなお屋敷、何をしているのかよくわからない暮らし、街で見かけた別人みたいなお手伝いさん、わたしがお願いされた頼みごと、ホテルで見かけた男の人、まるで最初からいなかったみたいに消えてしまった二人。
考えてみると、あの家には表札もなければ、ポストさえ置かれていなかった。
それにわたしが彼女に作家かどうかを訊いたとき、あの人は決して「そうだ」とは言わなかった。彼女が口にしたのは、藤谷志仄が作家だった、ということだけなのだ。
あの時の時間、わたしのその質問に答えるまでの十秒ちょっとの時間、彼女は答えをためらったのでも、迷ったのでもなかった。彼女は考えていたのだ。自分が嘘をつくことになるかどうかを。
そう――
彼女は決して、嘘はつかなかった。何一つ、嘘なんてついていない。彼女が答えたのは、あくまで藤谷志仄のことについてだった。行方不明はただの事実だったし、賞の辞退については推測しかしていない。今でも書いているかどうかの質問には、「さあ、どうかしらね」としか答えていない。左手の火傷だって、別に嘘をついたことになんてなったりはしない。それは、本物の火傷だったから――
今から思うと、あの時のわたしは自分のことばかりしゃべっていて、彼女自身は自分のことについてほとんど何も話していなかったような気がする。それは遠くの星の光を、わたしがただ一方的に見つめているのに似ていた。
彼女が本当は何者だったのか、はたして事件にかかわる犯人だったのか、今どこで何をしているのか、そんなことについては全然わかっていない。
それに――
どうして、あんなふうにわたしとつきあってくれたりしたのかも。
でも、わたしは今では何となく思っている。彼女はただのお金持ちだったかもしれないし、大金を騙しとった詐欺師だったかもしれない。本物の作家だったかもしれないし、全然別人だったかもしれない。
だから結局は全部、謎でしかないのだ。古代の遺跡とか、海底に沈んだ財宝とか、何百光年も彼方の星の光と同じで。
――ううん、本当は少し違う。
実のところ、わたしはそう思いたいのだ。彼女は正体不明の謎の人で、どこまでも不思議な人で、絶対に世界につかまったりはしない人なのだ。
何故なら、そのほうがずっと魔女らしく――志仄さんらしく思えるから。
わたしは時々、彼女のことを考えるし、そうすると少しだけ、世界から自由になれる気がするのだった。
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