3(魔女の証明)

「――どう思うかな?」

 と、わたしは訊いてみた。

 場所は学校の屋上、時間はお昼休み。

 特別な容器を使えばすくいとれそうな陽ざしが降っていて、白い雲はのんびり草をはむ羊みたいに見えた。ひなたぼっこをするにはもってこいの天気とはいえ、時々吹いてくる風には思わず身を縮めてしまいそうな冷たさが混ざっている。

 でもわたしの目の前にいる人物は、そんなこと気にならないみたいに上着のボタンを全部開けていた。心頭滅却すれば――もっと涼しくなっちゃうか。

 今はあぐらをかいて座っているからわからないけど、背はそんなに高くない。わたしより少し高いくらいだろう。本人は嫌な顔をするから、そのことは言わないけれど。

 その人物は、いわゆる〝ヤンキー〟というやつだった。何といっても目立つ金色の髪に、どう見ても行儀がいいとは言えない態度(孔子が見たら嘆くだろう)。手入れのきちんとした大工道具みたいな鋭利な目つきだけど、顔立ちは意外と幼かったりする。でも中身のほうは全然そうじゃなくて、猛犬注意の看板が必要なくらいだった。

 そんな猛犬くんは今、屋上の地面に座って、ダンボールを机代わりにしてノートを広げている。

「どうって?」

 と、彼は余念なく二冊のノートをつきあわせながら言った。

「魔女のことなんだけど」

「モノホンだったらやべーよな」

 薄く笑って、肩をすくめてみせるだけだった。

 彼の名前は、府代茜ふしろあかねくん。茜なんて名前だけど、れっきとした男の子だ。もちろん、そんなのは見ればわかることだった。

 さっきも言ったように、府代くんはヤンキーだ。授業はさぼるし、ケンカはするし、言動はがさつだし、目つきは悪い。

 対するわたしは、全然そんなのじゃない。不良の〝ふ〟の字も知らないような、ただの一般生徒だった。同じクラスとはいえ、本来なら接点なんてどこにもないし、実際のところわたしは府代くんのことなんて知りもしなかった。

 きっかけになったのは、進級してすぐにあった実力テストだった。わたしはそのテストで、学年でも何番目という意外といい点をとったのだ。

 意外というとちょっと語弊があって、こう見えてわたしは塾にも通っているし(お母さんに言われて)、授業だってまじめに受けている。当然とまでは言わないけど、海をまっぷたつに割ったりするほどの奇跡というわけじゃない。

 そのテストの結果と、意外と話しかけやすそうな相手だったということが、府代くんの注意を引いたらしい――後者については、わたしに心あたりはないのだけど。 

 ともかく、そうしてわたしのところまでやって来た府代くんの第一声は、「わりいけど、俺に勉強を教えてくれないか?」だった。

 もちろん、わたしは面くらったし、戸惑って怪しみもした。何しろその眼光と金髪は、どうしても無視できないものだったから。

 府代くんはけど、とつとつと事情を説明した。その話を聞くうちに、わたしは「やってみてもいいかな?」という気分になっていた。少なくとも、府代くんの様子はとても真剣なものだったし、やる気も十分そうだった。

 そんなわけで、わたしは府代くんに勉強を教えることになった。科目は主に、現代国語、数学、生物、世界史――要するにほとんど全部。

 府代くんは何故だか屋上の鍵を持っていて、授業はそこで開くことになった。時間は昼休みとか、放課後の空いた時間。

 ――ただし、このことはみんなには秘密だった。

 一応、まがりなりにもわたしは優等生ということになっているし、府代くんは府代くんで、見ため通りの不良ということになっている。あんまり大っぴらにつきあいをアピールするのは、学校生活を送るうえで得策とはいえない。

 当然だけど、今も屋上にいるのはわたしたち二人だけだった。府代くんは地べたにあぐらをかいてノートの問題を解きつつ、わたしは出入口の段差に座って透明な春の陽ざしと青空を眺めている。

「……ここんとこ、ちょっとよくわかんねーんだけど」

 と、シャーペンで頭をかきつつ、府代くんは言った。

「どれどれ」

 わたしは身をかがめて、府代くんの指さした箇所をチェックする。

 実のところ勉強を教えてみてわかったのは、府代くんは案に相違して頭がよい、ということだった。大抵のことは一回説明しただけで理解してしまうし、質問は適確で要点を押さえていた。教科書通りの解説を加えるわたしに、時々はっとするような思いがけない疑問をぶつけてきたりもする。固く握った雪玉みたいなやつを。

 これなら自分でまじめに勉強すれば、テストでもいい点がとれるんじゃないかなと思って、訊いてみたことがある。

「なんで、府代くんは授業をさぼったり、ちゃんと聞かなかったりするわけ?」

 それに対する府代くんの答えは、まるで自動販売機のボタンを押すくらいに簡単なものだった。

「先公が嫌いだからだよ」

 単純明快にして、実に身も蓋もない答えではある。

「…………」

 府代くんの指さす箇所を確認して、わたしは少し考えてから質問に答えた。

「つまり、初項がaで末項がbの場合、等差数列の和は1/2n(a+b)になるわけ」

「ああ、そこはわかる」

「で、末項b=a+(n-1)dだから、代入するともう一つの式が得られるわけ」

「なるほどな――けどこれって、要は台形の面積の公式なんだな」

「……え?」

「つまり、こうだろ」

 そう言って、府代くんはノートに白丸と黒丸を書き込んでいく。

「台形状の数列同士を足しあわせて、長方形を作る。その面積の1/2が求めたい和なわけだ。これ、要は(上底+下底)×高さ÷2っていう、例のやつだろ」

 確かに、そうだった。

 府代くんは公式を理解してしまうと、例題と応用問題のほうもあっさり解いてしまった。不肖の師匠であるわたしに、もう教えるようなことはない。

 ほかの教科もざっと終わらせてしまうと、時間が少しだけあまった。お菓子についてくるおまけのおもちゃか、おもちゃについてくるおまけのお菓子みたいに。

「――で、そいつって一体何もんなんだ?」

「え?」

 不意に言われて、わたしは訝ってしまう。

 府代くんは地面に足をのばして、ソーラーパネルみたいに光を吸収していた。

「いや、どう考えてもおかしいだろ」

 と、府代くんは言う。

「けっこう立派な建物なのに、住んでるのは二人――実際には主人が一人なわけだろ。しかも、まあまあ若くて、美人?」

「――うん」

「ぜってーおかしいよな。なんか裏があるんだぜ」

 言われてみればそうだけど、わたしは特に違和感を覚えたりはしなかった。むしろそれは、ごく自然なことに思えている。

「そもそも、何をしてる人なんだ? その〝藤谷〟ってのは」

「……お金持ち?」

 わたしは小学生みたいな発言をしてみる。

「ま、そんな感じなのは確かだよな」

 府代くんは、特には逆らわなかった。別に、喧々囂々の真剣な議論をしているわけじゃない。それで地球の軌道が変わったり、月の位置がずれたりするわけじゃないのだ。

「親戚の遺産を相続した資産家、ってところかな?」

 わたしがもう少し精度の高い下手鉄砲を撃つと、府代くんはうなずいてこう続けた。

「問題なのは、なんでそれが隠遁生活みたいなのを送ってるか、だよな」

 わたしはいくつかの可能性を考えてみたけど、もちろんそんなのはわかるわけがない。たぶん、脳細胞の色とかは関係なく。

「……本物の魔女ってことはないかな」

 どちらかというと一縷の望みを託すような感じで、わたしは言ってみた。あの人が魔女じゃなかったら、もうこの世界には魔女なんて存在しないかもしれない。

「魔女は存在しない」

 と府代くんは、指揮者がタクトを振るみたいにして言った。

「したがって、その人が本物の魔女なら、その人は存在しない。Q.E.D」

 わたしは念のために、その証明を検討してみた。証明にはいつだって、厳密な批判が必要なのだ。

 とはいえ、府代くんの言うことに問題はなさそうだった。確かに、魔女は存在しない。

 だとしたら――

 あの人は、一体何者なんだろう?

 春の陽ざしは相変わらずの明るさで、世界はそんなことには何の関心も持ってはいないみたいだった。

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