第10話 名前

(…………あれ?)


ふと目が覚めた和哉は、自分がベッドの上に横になっている事に気が付いた。

どうやらガラク村の宿の一室のようだ。

開け放った窓の外からは爽やかな風と共に夕陽が差し込んでいる。


まだ覚醒しきれない頭で辺りを見回す和哉の目に、ベッド脇の窓辺で椅子に腰掛け、うつらうつらしている人影が見えた。

オレンジ色の夕陽の中、銀色の少し長い前髪が風にそよいでキラキラと光っている――その姿はまるで一枚の絵のように美しく、思わず見惚れてしまう程だった。


(綺麗だな……)


和哉は暫くの間ぼんやりとその姿を見つめていたが、不意にハッと思い出した。


(あ……そうか、僕、怪物にやられて……)


思い出した途端にズキンッと肩に痛みが走り、顔を顰める。


「痛ぅ……!」


思わず声を上げた和哉に、ギルランスはハッと気付いたように顔を上げた。


「気がついたか……」


琥珀色の瞳を心配そうに細めながらもホッと息を吐いているギルランスの様子から、どうやらかなり心配してくれていたようだという事が分かった。


「――っ、はい、ご迷惑をおかけしました」


痛む右肩をかばいながら上体を起こそうとする和哉をギルランスが慌てて制して来た。


「おい、無理すんなって、まだ動いたらダメだろうが!」


相変わらずの口調だが、本気で心配してくれているのが分かるので和哉は嬉しく感じつつ、彼を心配させないよう笑みを見せる。


「大丈夫ですよ、ちょっと寝過ぎたみたいで背中と腰が痛いですけどね」


「ったく、こんな時まで強情だな、お前は!」


呆れたように言ってはいるが、その顔は安堵の表情を浮かべていた。

和哉は上体を起こし、改めて自分の体を確認してみる。

上の衣服は着ておらず、肩から腹にかけて丁寧に包帯が巻かれていた。

腕や足などあちこちに切り傷ができているようだがどれもかすり傷程度だった。


(しかし……僕はよく気絶するなぁ……本当に弱っちくて情けないや、その度にギルランスさんに迷惑かけちゃうし……)


和哉が自嘲気味に溜息を漏らしていると、そんな様子を見ていたギルランスが眉を顰めながら口を開いた。


「それにしてもお前、あんな無茶しやがって……死んだらどうするつもりだったんだ」


(うっ……それを言われると……)


「すみません……でも体が勝手に動いてしまって……僕が余計な事したせいで、またギルランスさんに迷惑かけちゃいましたね……」


苦笑しながら謝る和哉に対して、ギルランスは少しバツの悪い顔をした後、真面目な表情になり首を振った。


「――いや、今回の事は俺の油断が原因だ。俺がもっとちゃんと警戒していればお前があんなふうに傷つくことはなかったんだ……悪かった」


頭を下げるギルランスの姿に和哉は慌ててしまう。


(えっ! いやいや、悪いのは弱いくせに勝手に飛び出した僕でしょ!?)


まさかこんな風に謝られるとは思っていなかった和哉は焦りまくる――いつもの尊大な態度はどこへ行ったのかと聞きたいくらい殊勝な態度だったからだ。


「い、いえ!ギルランスさんのせいじゃありません! 僕が勝手にやった事ですから気にしないで下さい」


慌てる和哉の言葉に、ようやく顔を上げてくれたギルランスだったが、その表情は暗いままだ。


「いや、だが……」


尚も納得いかない様子のギルランスにどうすれば伝わるのだろうかと考えた末、和哉は自分の正直な気持ちを伝えることにした。


「ギルランスさん、僕はもう既にあなたに二度も救われてるんですよ」


「……なに?」


「あの時――あの荒野であなたが僕を助けてくれていなければ、僕はあのまま野垂れ死んでいたでしょう……あなたがいなかったら僕は今ここにいません」


和哉はギルランスを真っ直ぐ見つめながら力強く断言する。


「あなたは僕の命の恩人なんです」


その言葉にギルランスの瞳が少し揺れ動くのが分かった。

そして照れたようにフイッと顔を逸らし、いつものぶっきらぼうな態度に戻ってしまう。


「――俺はそんなつもりでお前を助けたわけじゃねぇぞ……」


そんなギルランスを見ながら和哉はクスリと笑った。


(うん、知ってるよ……あなたはそういう人だよね)


ギルランスがとても不器用で本当は優しい人だという事も――ただ素直になれないだけだという事も、もう和哉は知ってしまっていた。

だからこそ自分はこの人の力になりたいとも思うのだ。

次の街に着けば、そこで別れなければならない事も分かっている。

それでも、(自分にできることは少ないかもしれないけど)せめてその間だけでも彼が少しでも心安らぐことができるように支えていきたいと思うのだ。

和哉はフッと微笑みながら心からの言葉を伝えた。


「ギルランスさん、ありがとうございます」


そんな和哉の感謝の言葉にギルランスは振り向き、困ったような顔をする。


「だから、俺は別に――」


「僕と一緒に旅をして下さって――僕なんかの為に心配して怒ってくれて……本当に感謝しています」


ギルランスが言いかけた言葉を遮るように和哉が自分の気持ちを伝えると、彼は目を見開いた。


「これからもよろしくお願いしますね」


和哉がニッコリ笑い掛けながらそう言うと、ギルランスはなぜか口をパクパクさせたかと思うとプイっとそっぽを向いてしまった。


(あれ?怒らせちゃったかな……?)


自分のこの正直な気持ちは彼にとっては迷惑な事だったのか?――と和哉が不安になった時、小さな声で「……よろしくな」と言ったのが聞こえた。

どうやら受け入れてもらえたらしいが……。


(ほんとにこの人は……)


ギルランスのツンデレ?な様子がなんだか微笑ましくて思わずクスリと笑ってしまった和哉に対し、今度はキッと睨みながら顔を近づけてきた。


「おい、なに笑ってんだよ」


ギロリと睨まれてしまい和哉は慌てて弁明する。


「いえ、えーと、……よく考えるとギルランスさんと出会ってからまだ二日くらいしか経ってないんだなって思いまして……なんだかすご―く長く一緒にいる気がしますけどね、えへへっ」


誤魔化すつもりで言ったのだが、本当にその通りで、和哉はなんだか可笑しくなって笑ってしまった。

するとギルランスは一瞬ポカンとした表情になった後、フッと笑った。


「……確かにそうだな……あー、いや、正確には四日だな……お前二日間寝込んでたからな」


「え?そんなにですか!?」


驚く和哉にギルランスは呆れたように溜息を吐いた。


「ああ、丸々二日寝てたぞ?まぁ、俺もさっきまで寝てたけどな……」


「……す、すみませんでしたっ!その間、ずっと看病してくれてたんですね?」


まさか自分がそんな長い間寝ていたなんて全く知らなかった和哉は申し訳なくなってしまい、慌てて謝った。

そんな和哉にギルランスは苦笑いをし「いや別に謝る必要はねぇけどな」と返す。


「――まぁ、そこは気にすんな、別に大した事じゃない」


(うぅ~、やっぱりいい人だなぁ~!)


それでも自分のせいでギルランスが看病をしてくれていたことに変わりはなく――和哉は申し訳なく思うと共に感謝せざるを得なかった。


(本当にありがとうございました……つか、それにしても、凄い体験しちゃったな……)


心の中で感謝の言葉を述べながら、ふと、あの怪物に襲われた時の事を思い返していた和哉だったが――そこでハッと、とても大切な事を思い出し、顔を上げた。


「――あっ!!そういえば!ギルランスさん、あの時僕の名前呼んでくれましたよね!?」


そう、あの化け物に襲われた時、彼は和哉の名前を呼んでくれたのだ。

突然そんなことを言い出した和哉にギルランスは一瞬固まった後、気まずそうに視線を逸らしてしまう。


「……さぁな、気のせいだろ」


そうぶっきらぼうに答えるギルランスだったが、これは明らかに誤魔化している態度だ。

和哉が(なんでそこで誤魔化すんだよ)とばかりに抗議するような視線でジッと見つめていると、彼は渋々と言った感じで口を開いた。


「あぁ、まぁ、呼んだかもな……なんか咄嗟に口から出たんだよ……あの時は必死だったからな、あんま覚えてねぇよ……」


まだ言い訳めいた言葉で誤魔化しているようだ――そっちがその気ならと、和哉はさらに問い詰めてみる。


「『名前くらいいくらでも呼んでやる』って言ってくれたじゃないですか!?」


「――なっ!?おまっ!?それ聞いてたのかよっ!?」


追い打ちをかけられた和哉の言葉で、しらを切ってる事がバレバレだったと分かったようだ。

ギルランスの焦っている様子を見て思わず笑ってしまっていると、キッと睨まれる。


「――お前、いい性格してんな!」


怒っているような口調だが照れ隠しだと分かっている和哉には全く通用しない――それどころかむしろ可愛く見えてきて余計に笑いが込み上げてくる。


「――っふ、あはは、ごめんなさい、つい――痛ッ!」


笑いながら謝った瞬間、和哉の右肩に激痛が走った。


「ほら見ろ! 笑うからだ! 大丈夫かよ?」


そう言いながらもギルランスが心配そうな顔で覗き込んでくる。


「名前呼んでくれたら大丈夫になりますけど……?」


痛みで涙目になりながらも和哉が悪戯っぽく言うと、ギルランスは一瞬キョトンとした後、困ったように頭を掻いた。


「あー……くそ、わーったよ! 呼べばいいんだろっ!」


少々ヤケクソ気味に叫ぶギルランスを見て和哉はまた思わずクスクスと笑ってしまう。

そんな和哉の様子を見ながら諦めたように溜息を漏らした後、ギルランスは手を伸ばして来てポンと和哉の頭に置いた。

そして(彼としたら改まって面と向かって呼ぶのが照れ臭かっただけなのだろうが)そのまま耳元に顔を寄せてきて囁やかれた。


「――カズヤ」


瞬間、まるで雷にでも打たれたかのような衝撃が和哉の全身を駆け抜けた。


(うわぁぁぁああ!!!)


あまりの衝撃に言葉を失う。

一気に顔が熱くなり、汗がドッと噴き出し、和哉はそのまま固まってしまった。


「呼んだぞ!これで文句は――って、おい!カズヤ?どうした?どっか痛むのか?」


和哉の異変に気付いたギルランスは焦ったように声を掛けてくる――それだけ挙動不審な態度だったのだろう。


(痛い?うん、そりゃ痛いよ!)


「いえ、どこも痛くはありません! 大丈夫です!!!」


(むしろ痛くないところがないくらいです!!)


上ずった声で答える、完全に頭パニック状態の和哉の様子に益々怪訝そうな顔をされる。


「いや、どう見てもおかしいだろうが――すげぇ汗だぞ?」


(いやいやいや、あなたのイケボが悪いんですってば!!ってか、なんで耳元なんですか!?あざといかよ!!!)


和哉は心の中で思い切り抗議するが、もちろん声に出して言えるはずもなく――とにかく平常心でいようと深呼吸する。

そんな様子に更に困惑した表情で覗き込むギルランスに対して和哉は慌てて誤魔化した。


「いえ! ほんと大丈夫ですから気にしないで下さい!」


(ホントは心臓バックバクなんですけどねっ!?)


必死の形相で言う和哉を疑わしそうな目で見ていたギルランスだったが、やがて諦めたように息を吐いた。


「――ったく、変な奴だな……それならいいが……」


ギルランスの言葉に和哉はコクコクと頷きながら内心で安堵の溜め息をついた。


(ふぅ~、危ないところだった……なんとか誤魔化せたぞ!イケメンの破壊力、ハンパないな!――っていうか、あれ……?この人こんなに優しかったっけ……?出会った時はもっと怖くて冷たい感じだった気がするんだけど……あれ……?あれれ……???)


そんな事をぐるぐると考えている和哉の事など知る由もなく、ギルランスは思いついたように言う。


「なら、お前も俺の事『ギル』って呼べ――あ、あと敬語もなしだ」


(ふぁっ!?)


「ええっ!い、いや、……そんな……」


ギルランスの突然の要求に和哉は面食らって目を見開いた――さすがにいきなり愛称呼びの上に、タメ口というのはなかなかハードルが高い気がして躊躇してしまう。


「なに驚いてんだよ?」


「え、いや……だって……い、いきなりそんな事、言われましても……」


戸惑いを隠せずしどろもどろになりながら答える和哉に構う事なくギルランスは有無を言わせぬ勢いで迫ってくる。


「いいから、さっさと呼べよ!」


(うわぁあああ!なんなの、この人!?なんか急にめっちゃグイグイ来るんですけど!??)


何かのスイッチが入ってしまったのだろうか、先程困らせてしまった仕返しかと思えるほどに急にテンションが変わるギルランスのペースについて行けない和哉だったが、その剣幕に気圧されて思わず頷いてしまう。


「……っわ……分かったよ……ええと……ぎ、ギル?」


なんとか言ってみたものの、噛んだ上に少し声が裏返ってしまったその自分の声が恥ずかしくて和哉は思わず俯いてしまう。


(うわぁああ!は、恥ずかしいっ!!)


顔から火が出そうなくらい熱くなった和哉だったが、ギルランスは特に気にしていないようだった。


「よし、それでいい」


ギルランスは満足気に頷くと、ニッと笑いながら和哉の目の前に拳を突き出してきた。

一瞬驚いたが、それが彼なりの『よろしくな』という挨拶なのだと悟り、少し戸惑いつつも和哉も同じように拳を作って前に出すと――コツンとお互いの拳がぶつかった。


「よ、よろしく! ギル!」


「ああ」


二人は顔を見合わせるとどちらからともなく笑みを零した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る