第9話 急襲
「――――!」
それは真夜中だった――ふと、和哉は何か聞こえたような気がして目を覚ました。
ぼんやりとした頭で起き上がる。
「う……ん、なに――!?」
言いかけた和哉の口を何かが塞いで言葉を遮られた。
それはギルランスの手だった。
「シッ……静かに」
小声で囁くギルランスの真剣な眼差しに、和哉は驚きで目を見開いたままコクコクと首を縦に振った。
それを見て小さく頷いたギルランスの手が離れる。
(――え? なに?……一体どうしたっていうんだろ?)
和哉が戸惑いながらも言われた通り息を殺して様子を窺っていると、月の光が差し込む窓から外を覗くギルランスの眉間に皺が寄るのが見えた。
なにやら外が騒がしいような気がする。
ギルランスは音もなく素早く移動し、剣を掴む――そして、和哉に身を潜めているように指示すると再び外を見据えた。
その表情からは感情が窺えないがピリピリとした緊張感が伝わってくる。
(なんなんだろう……?)
「あの――」
和哉が声を掛けようとした次の瞬間だった――ギルランスはバンッと窓を蹴破ると、そのまま外へ飛び出して行った!!
(って、ここ三階――!)
思いもよらないギルランスの行動に和哉が驚いたその直後、「ギシャーッ!!」という聞いたこともない鳴き声と共にバッと赤黒い飛沫が窓の外で飛び散るのが見えた――そして、続いてドサリと何か重たいものが落ちるような音がしたのだ。
和哉はヒッと息をのみ、急いで窓辺に近づき恐る恐る外を覗いてみた。
今夜は満月だ、月明かりのおかげで視界は良好だった。
そんな中、目にした光景に和哉は驚愕した。
人々が寝静まった村の通りに居た物――それは、全身真っ黒な体毛に覆われ鋭い牙と爪を持った、二足歩行の狼のような生き物だった――!
目は赤く爛々と輝いていて、体長2メートル程はあると思われる。
その姿はまさに異形の怪物であった。
それが群れを成して村へ襲い掛かり、次から次へとなだれ込んで来ているのだ。
(な……なんだよ、あれ……?)
あまりの光景に現実味がなさすぎて頭が働かないが、それでもこの異常な事態が夢ではなく現実に起こっているのだということだけは嫌でも理解できた。
理解すると次に和哉を襲ったのは”恐怖”だった――身体がカタカタと震え出す。
(嘘……だろ?いくら異世界だからって……こんなのありかよ……!?)
この世界での魔物や怪物などの存在は小説で読んでいて承知はしていたが、まさかいきなりこんな所で、実際に目の当たりにするなど想像もしていなかった和哉だった。
パニックに陥りそうになる自分を落ち着けようと必死になって深呼吸する。
「……ハッ!そうだ、ギルランスさんは!?」
ふと我に返り慌てて窓の下に視線をやると、張り出した二階の屋根の上には既に一匹、首が飛んだ状態の死体が転がっているのが見えた。
先程ギルランスが飛び出した際、彼が仕留めたものだという事はすぐに分かった。
――次の瞬間、和哉の視界にフッと月の光の中を何かの影が飛び上がる。
ハッと見上げた和哉の目に映ったのは、まるで翼でもあるかのように空中で身を翻しながら、襲いかかって来た二体の化け物を一刀両断にするギルランスの姿だった。
金色に輝く月を背に、銀の髪を靡かせながら跳躍する彼の姿はまるで美しい獣のようだった。
(うわ……!)
ギルランスの動きはまるで舞でも舞っているかのような優雅さでありながら、その速さと威力は凄まじく、まさに圧巻という他なかった。
次々と魔獣を屠っていくその姿は圧倒的で思わず見惚れるほどに鮮やかだった。
(す、凄い……!!これが勇者ギルランスの戦いなんだ!!)
月光に双剣を煌めかせながら舞うように戦い続ける姿に目を奪われる。
和哉は初めて目にするギルランスの戦いに、驚きと感動で胸が高鳴っていた。
しかし、その彼の表情を見た瞬間、今度は別の意味でドクンと和哉の心臓が大きく脈を打った。
――ギルランスは笑っていたのだ――!
大きく見開かれた琥珀色の瞳を怪しく光らせ、口角を引き上げたその口元は獣のような犬歯を剥き出しにしながら獰猛な笑みを浮かべていた。
その瞳はまるで獲物を狙う肉食獣のそれのようにギラついている。
赤い舌が唇を舐め上げる様はひどく扇情的でありながら、その凄絶な笑みは見る者全てを恐怖に陥れるかの如く獰猛な凶暴さを孕んでいた。
その壮絶な美しさを湛えた表情に、和哉は一瞬呼吸をするのさえ忘れたような感覚になった。
ギルランスの瞳の中に狂喜の色を見た気がしてゾクリと背筋が震えるのを感じたからだ――それはおそらく恐怖から来るものだ。
だが、それと同時に心臓を鷲掴みにされたかのような胸の痛みと、ゾクゾクと背筋を這うような感覚に全身が粟立つのを感じ、和哉は思わずゴクリと唾を飲み込む――そして、心の奥底で彼に対する言いようの無い感情が湧き上がってくるのを感じたのだった――。
(な……なんだよこれ……?)
今まで感じた事のない得体の知れない感情に戸惑いを覚えつつ、和哉は早鐘のように鳴り響く自分の鼓動に思わず胸を抑えていた。
あんなにも凶暴で邪悪なのに目が離せない――逸らせない――釘付けになってしまう……あの美しく恐ろしい男から目が離せないのだ。
一気に噴き出して来る訳の分からない感情に頭がパニックに陥りそうになったその時だった――!
「ヒヒヒーン!!」
突如響いて来たルカの
「あっ!!」
一体の怪物がルカに飛び掛かろうとしているのが和哉の目に入る。
ギルランスもそれに気付いたようで「ルカ!!」と愛馬の名を叫ぶが、厩舎まで距離がある上に、何重にも折り重なるように周りを囲む敵に阻まれて動くことができないようだ。
その時、和哉の身体は考えるよりも先に動いていた――気付いた時には窓辺にあった弓矢を掴み、その怪物に向け矢を射っていた。
放った矢は吸い込まれるように飛んでいき、怪物の頭部に見事に命中し、貫いた。
バッ!!とその頭部が弾け飛ぶ。
その怪物は叫び声を上げる間もなくその場に崩れ落ちた。
一瞬の出来事だったが、和哉は自分でも驚くほど正確に狙いを定め命中させる事ができていた。
それを見たギルランスは驚いた表情でこちらを見て何か言いかけるが、続々と襲いかかる敵への対応に追われてそれどころではなさそうだ。
和哉はルカを護る事が出来た事に取り敢えずホッと息を吐いた。
(良かった……間に合った)
安堵感から力が抜けそうになるが、目立つ行動をしてしまった所為か、今度は和哉のほうにも次々と敵が向かって来た。
(ヤバっ!!)
「――くっ!」
和哉は必死で矢を射ち続け怪物を仕留めて行くが――同時に不思議に思えてならなかった。
それは、〝なぜこんなにも的確に射(う)てるのか?〟 ――だ。
確かに和哉は元の世界で弓道の経験があり、的の中心を狙って打つことなら得意なほうだった。
だが今のこれはそんなレベルではない。
慣れ親しんだ和弓ではなく、おそらく洋弓の類であろうこの武器を自在に使いこなせている上に、明らかに狙った獲物を確実に捉えているのだ。
しかも、素早く動く複数の敵を同時に狙っているにも拘らず、外す気がしなかった。
和哉には、自分がどう動いてどこをどう狙って射てばいいのか、どうすれば敵の息の根を止められるかまで何故か手に取るように分かったのだ。
(すごい……なんだか不思議な感覚がする……自然に体が動く……!)
和哉は迫りくる怪物たちを次々と
ギルランスは、あっという間に大量の敵を屠っていく和哉を見て驚きを隠せない様子だったが、すぐに気を取り直し残りの敵を片付けるべく剣を振るい続けた。
「チッ、多いな」
敵の数の多さにイラついた様子を見せたギルランスはなにやら詠唱を始めた。
「――――!」
それは和哉には理解できない言語だった。
おそらく古代語か何かだろう――ギルランスが唱え終わると同時に『赤龍』の刀身が紅蓮に染まり、炎を纏う。
そしてそのまま横薙ぎに振るうと、ゴウッと炎の斬撃が放たれ、周囲の敵を一瞬にして焼き払ってしまった。
その熱量は窓辺に立つ和哉の顔も焼けそうな程に熱く感じるものだった。
炎に呑まれ、黒く炭化した魔物たちはザアッ――と、まるで砂山が崩れるようにそのまま崩れ落ちていき、塵となり風に消えていった。
その光景を目にした和哉は目の前で起こっている出来事に唖然としてしまった。
「すご……」
これも小説で読んでいて知ってはいたのだが、実際に目にしたその威力は凄まじく、思わず口から言葉が零れ出る。
(あれが『赤龍』を操るギルランスさんの姿……すごい……!)
すると、一旦周囲の敵を一掃したギルランスは、敵が怯んでいる隙を突き一気に駆けだしたかと思うと、ダンッと跳躍し空中に躍り出た――そして、そのままの勢いで窓辺にいる和哉の目の前まで飛んできてトンと窓枠に着地する。
あまりの勢いに驚いて後ろに倒れそうになった和哉の腰をギルランスはすかさず支えてくれながら、もう一方の手で和哉が握っている弓を指さして言った。
「――おい、お前、なんで弓なんか使ってんだよ?」
(ヒッ!こわっ!)
間近でいきなり話しかけられビクッとする和哉だったが、どうやら怒っているわけではないらしい事に気付く。
ただ純粋に疑問をぶつけてきている感じだった。
だが、和哉がギルランスの大切な弓を勝手に使ってしまった事は事実なわけで……。
「ご、ごめんなさい! つい咄嗟に使っちゃって……」
慌てて謝る和哉に対して、ギルランスは少し驚いたように目を瞠ってからふっと表情を崩して笑った。
「ふっ……いや、別に怒ってねぇよ――むしろ助かったしな」
そう言って軽くポンと和哉の頭を叩いた。
(――え!?)
思わぬ彼の行動に驚いて顔を上げると、そこにはいつもの不敵な笑みとは違い、とても優しい表情をしたギルランスがいた。
(うっ……その笑顔は反則ですっ……!!)
そんなギルランスからは先程のあの恐ろしい程の殺気は既に消え去っており、今は穏やかな空気を纏っていた。
それを見て和哉はほっと胸を撫で下ろした――そして改めてハッと、間近にギルランスの端正な顔がある事に気付いてしまい思わずカァッと赤面してしまう。
(近い!! 近いから!顔、近すぎるよ!?)
そんな和哉の様子に気付いたのか、ギルランスはクツリと笑い、更に覗き込むように顔を近づけてくる。
「なんだお前、顔赤いぞ?変なヤツだな」
言いながらするりと和哉の前髪を掻き上げるように指先で掬いつつ笑うその表情は、まるで悪戯っ子のような無邪気さと妖艶さを併せ持ったような不思議な魅力のある笑顔だった。
(――うっ!!)
そんな仕草をされてしまえば堪ったものではない――益々顔が熱くなってきてしまう和哉をよそに、ギルランスはもう一度ポンと和哉の頭を軽く叩くと、残りの敵を片付けるべく踵を返し、また風のように跳んで行ってしまった。
暫く呆然としていた和哉だったが……ハッと気が付けばもう殆ど怪物は残っていないようだった。
和哉は気が抜けてしまい、よろめくようにベッドに腰をおろした。
(ハァ……なんかどっと疲れたな……)
ギルランスの戦いぶりは凄まじかった――まさに一騎当千と呼ぶに相応しい力だった。
「……僕、本当に勇者様と一緒に旅をしているんだぁ……」
改めて実感した和哉は、ふとベッドの脇にある鏡に映った自分に気付き、まじまじと見つめる。
そこには18歳の少年が映し出されていた。
確かにそれは自分の姿ではあったが、なんと言うか(自分で思うのもなんだけど……)以前に比べて少し精悍な顔つきになったような気がした。
そして、和哉はふと先程ギルランスの戦いを目の当たりにしたときに自分の中に沸き上がった、あの訳の分からない感情を思い返す。
それはほんの一瞬だった。
だがあの時確かに和哉は感じた。
『――欲しい!』そう強く思ったのだ。
それは和哉自身、自分でも驚くような激しい欲求だった。
あの強い衝動は何だったのか、なぜあんなふうに思ってしまったのか――和哉は分からなかった。
(もしかしたら、ギルランスさんのあの状態に当てられただけなのかもしれないな……)
そう結論付け自分を納得させると、それ以上考えるのを止め、忘れる事にした。
そんな事を考え込んでいた和哉は、ふと、いつの間にか外が静かになってきていることに気付いた。
先程までひっきりなしに聞こえて来ていた唸り声や叫び声はもう聞こえない。
代わりに虫の音が聞こえてくる。
和哉は立ち上がりそっと窓から外の様子を窺った。
(終わった、のかな……?)
窓から見える外の景色は惨憺たるものだった。
地面を覆い尽くすように倒れている死骸の山の中にはまだピクピクと動いているものもいるが、殆どが既に息絶えているようだった。
和哉は急いで階段を駆け下り、外に飛び出した。すると丁度ギルランスが戻ってきたところだったようで、すぐ近くでこちらに背を向けて佇んでいた。
その背中に声を掛けようとした和哉だったが、ハツとして思い留まる。
よく見るとその後ろ姿からは未だピリピリとした緊張感のようなものが漂っているのが分かったからだ。
(あ……もしかして、またあの怖いギルランスさんなのかな……?)
そう思いつつ声を掛けずにじっと見守っていると不意にフッと緊張を解いた気配が伝わってきた。
そして、ゆっくりとこちらを振り向くその顔を見て和哉はホッとした。
(よかった、いつものギルランスさんだ!)
「もう終わった感じですか?」
「ああ、もう大丈夫だろ」
言いながらギルランスは剣を鞘に納めてこちらに歩いて来る。
「そうですか、良かった……」
安堵し、胸を撫でおろす和哉にギルランスが感心したように声をかけて来た。
「――しかし、お前、すげぇな」
なんの事を言われているのか分からず和哉は首を捻る。
「……え? 何がですか?」
「何って、お前、あの弓使いこなしてただろ……しかも、まだまだ微量だったがお前の魔力も感じたぞ」
(は?……ま、魔力……!?)
「――えっ!? そうなんですか!??」
ギルランスから言われた言葉に和哉は驚愕した。
改めて自分の手を見つめ、その手をグッパッと握ったり開いたりしてみるがイマイチ実感が湧かない。
(魔力ねぇ……??そういえばさっき矢を射る時になんだか不思議な感覚があったけど……あれがそうなのかな?)
「えっと……なんだかよくわかんないんですが、なんとなく出来るかなって思って……」
苦笑いをしつつ肩を竦めてみせる和哉を見てギルランスは意外そうに目を丸くした後、フッと笑った。
「――そうか、なるほどな――まぁ、それは後で確認するとして……ルカの事、ありがとな」
まさかあの俺様ギルランスに礼を言われる日が来るなど想像もしていなかった和哉は驚いてしまった。
だが、それ以上に自分が彼の役に立てた事がなにより嬉しかった。
「いえ、僕は――!!?」
照れ笑い交じりに和哉が口を開いたその時だった――突然音もなくギルランスの背後へ黒い影が飛び掛かって来るのが目に入った。
「――危ないっ!!」
言うより早く咄嗟にギルランスを突き飛ばした和哉は、次の瞬間には鋭い爪に右肩を切り裂かれ、その衝撃に吹き飛ばされていた。
地面に倒れ込む寸前に見えたのはあの怪物の姿だった。どうやら生き残りが一匹潜んでいたようだ。
「カズヤ!!」
すぐさまギルランスは剣を抜きその怪物の首を落とすと和哉に駆け寄ってきた。
和哉は自分の右肩に激痛が走るのを覚え、その場に突っ伏したまま身動き一つ出来ない。
そして、そこからドクドクと血が流れ出している感覚だけが妙にリアルに伝わってくるのを感じていた。
「おい!カズヤ!しっかりしろ!!」
ギルランスは和哉を抱き起すと心配そうな顔で覗き込んできた。
(あぁ……なんて顔してるんですか……あなたは……)
いつも自信満々で不遜な態度をとっているくせに、こんな顔は反則だ、そんな顔をされたら――と和哉は胸が熱くなる。
「だ、大丈夫……です……うっ……ごぼっ!」
なんとか笑顔を作り答えようとするが、痛みのあまり顔が歪んでうまく笑えない上に、肺をやられたのか、しゃべろうとすると溢れてくる血でむせかえってしまう。
「バカ野郎!大丈夫なわけねぇだろうが!!」
ギルランスはそう怒鳴りながらも和哉を抱きかかえて運んでくれる。
そんな状態にあるにも係わらず、和哉は自分の怪我や痛みよりも、彼が傷付かなかった事、そして何より自分の名を呼んで貰えた事に喜びを感じていた。
「う……嬉しい……です。初めて……僕の名前……ゴホッ――呼んでくれましたね……」
「うるせぇ、黙れ!喋んな!!」
痛みに顔を歪め、自分の血液に溺れそうになりながらも微笑む和哉に対して、怒ったように言うギルランスの顔は泣きそうにも見えた。
そんな顔をさせている事に申し訳ないと思いながらも、それでも和哉は自分に向けられた優しさを感じて嬉しくなる。
傷付いた肩を気遣いながらもしっかりと抱きかかえてくれているその腕に安心する。
「名前くらいいくらでも呼んでやる!だから死ぬんじゃねぇぞ!!」
そんなギルランスの叫びを聞きながら、薄れゆく意識の中で思う事は一つだった。
(あなたの傍にいたい……)
そう思いながらも和哉の意識は闇に飲み込まれていった――。
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