第8話 酒を飲む
宿に隣接する酒場に入ると、夕飯時のためか、こぢんまりとした店内はなかなかの賑わいを見せていた。
小さな村だからか、皆顔見知りのようで、酒や食事を注文しながら楽しそうに談笑している。
和哉とギルランスは空いているテーブル席を見つけ、向かい合わせに座ると店員を呼んで注文をした。
暫く待つと次々と注文した料理が運ばれてきて、あっという間にテーブルの上が賑やかになった。
そして、そのどれもに使われている食器類は、木から削り出して作られた皿やフォークにスプーン、そしてこれまた木製のコップと、和哉がアニメやゲーム等で見てきたいかにもな物ばかりだ。
(すごい……まさしく異世界ファンタジーの世界だ!!)
その光景が今自分の目の前にあるのだ。
これで興奮するなと言う方が無理な話だ。
和哉はワクワクしながらパンッと手を合わせると「いただきます!!」と早速目の前の食事に手を付けた。
「うまぁ!!」
(異世界飯ってこんなにも美味しいものばっかりなのか!?)
どの料理もとても美味しくて、一口食べる毎に顔が緩んでしまう。
それを見ていたギルランスがフッと笑った気配がして、和哉は慌てて表情を引き締めようとするが上手くいかない――料理が美味し過ぎるのだ。
「慌てて食うと喉詰まらせるぞ?」
呆れ気味に忠告してくるギルランスの声もどこか楽しそうに聞こえる。
これほど美味しいものなのだから、がっついてしまっても仕方ないではないか、などとと思いつつ、和哉はゴクンと口の中の物を飲み込んでから返事をする。
「大丈夫です! ちゃんと味わって食べてますから!」
そしてまたパクリと口に放り込む。
「ん~、この料理もまたうま~い!」
「……ふっ、ほんと美味そうに食うよな」
ギルランスは酒を飲みながら、嬉々として料理を頬張る和哉を見てまたクツリと笑った。
夢中で食事をしていた和哉は、ふとギルランスの持つ酒に目がいき、尋ねてみる。
「ギルランスさんって歳は幾つなんですか?」
(そういえば、小説には年齢設定がなかったな……)
「あ? 何だよ急に……18だが?」
(――ふぁっ?)
「え……?」
「だから、18だ」
「ええぇえええええぇぇぇ!!!!!」
衝撃的な事実に思わず叫び固まる和哉に、ギルランスは耳を塞ぎ迷惑そうな顔をしている。
「うっせぇな、いきなり叫ぶなよ」
店内にいるほかの客も何事かとこちらを見ている。和哉は慌てて周りを見回して謝った。
「す、すみません!」
謝りながらも和哉の頭の中は今聞いたばかりの情報でいっぱいだった。
(ちょっと待って! え? 18って僕と同い年って事だよね!?てっきり20才過ぎてると思ってたんだけど!)
「そう言うお前は幾つなんだよ?」
驚きのあまりあんぐりと口を開けたまま、まだ固まっている和哉に今度はギルランスが聞いてきた。
その問いに対して、和哉はあまりにも大人っぽいギルランスに対して自分とのギャップを感じてしまい、少し躊躇しながらも答える。
「……じゅ、18……です」
「はあぁ!?マジかよ!」
今度はギルランスが驚く番だった。
「……マジです」
(ですよねー! ビックリですよねぇ!! 僕もビックリしましたもん!!)
「……って事は、俺とタメか……?」
ギルランスが愕然としたように呟く。
だが、まだ納得いかないのだろう、彼は疑わしげな眼差しを和哉に向けて来る。
「いやいや、ウソだろ……?お前、どう見ても俺より年下にしか見えねぇぞ……」
(それはこっちのセリフだよ!!そっちこそどう見たって僕より年上に見えますけどぉ!!??)
その叫びは声に出さず、和哉は心の中だけで叫んだ。
ギルランスが大人っぽく見えるのか、自分が子供っぽく見えるのか……だが高校の友人達を思い出しても自分は年相応だった筈だと思い返してみる。
「……そう、見えます?」
「見えるも何も……本当に18かよ?」
「そうですよ!もうすぐ高校卒業――!」
そこ迄言いかけて和哉はハッと口を噤む――。
(――っと!そういや、記憶喪失って事にしてたんだっけ!)
「――コウコウ? 何だそれ?」
「へ? ……あーいや、何でもないです!」
和哉は 口を滑らせてしまい一瞬焦るが、異世界転移の事を説明する訳にもいかず慌てて誤魔化す。
そんな和哉の様子にギルランスは少し訝しげな表情をしたが、それ以上追及してこなかったのでホッと胸を撫で下ろす。
(ふう……危ない危ない、気を付けないと!……〝異世界から来ました〟なんて言ったら絶対頭のおかしな奴だと思われちゃうからな……)
そんな事を思いつつ誤魔化すように話を続ける。
「そ、それよりギルランスさんの方こそホントに18なんですか? 絶対僕より年上かと思ってましたよ!」
「はぁ? 何でそうなるんだよ?」
「だ、だってギルランスさん落ち着いてるし、なんか大人っぽいし……」
最後の方は尻窄みになりながら言った。本当はもっと言いたいセリフはあるのだが、これ以上言うと余計な事を言って怒らせてしまうのが容易に想像出来たので取り敢えず我慢をする和哉だった。
(なんか納得いかない感じだけど、しょうがないか……そりゃあ、ギルランスさんに比べればみんなガキっぽ――って、あれ? 18ってお酒飲んじゃダメなんじゃ……?)
ふと、未成年の飲酒は法律で禁止されている筈だ、と思い出した和哉は今更ながら青ざめる。
「あのぅ……」
おずおずと切り出す和哉にギルランスは怪訝そうな顔を見せる。
「なんだよ?」
「いえ、あのですね……お酒を飲んで大丈夫なのかなぁ~と思いまして」
「――ん?ああ、大丈夫だ。俺はこう見えて結構強いからな」
「ああ、そうなんですね――って、じゃなくて!!決まりっていうか法律っていうか……」
「あ?」
「未成年者の飲酒は禁止されてるんです!!つまりこれは立派な犯罪行為なんですよ!!」
「何言ってんだお前?」
ギルランスは怪訝そうな顔をして和哉を見ている。
必死に説明するも全く伝わっていないようで困惑する和哉だが、ここは心を鬼にして、ダメ出しをするべく再度きっぱりと指摘をする。
「とにかくダメなものはダメなんです!!そんなの不良のする事ですよ!?お酒は二十歳からです!!」
ガタリと椅子から立ち上がりビシッと指差して宣言すると、しばらくポカンとした顔で和哉を見ていたギルランスは突然プッと吹き出した。
「――っふはっ!……はは、お前……くはっ……面白ぇな!……くくっ、不良って……」
心底可笑しそうに笑っている。
(そんなに笑うとこか?)
和哉は何故笑われているのか訳が分からないまま憮然とする。
ひとしきり笑った後、ギルランスは酒をグイッと煽るとコップをテーブルに置いた。そして少し真面目な顔になって立ったままの和哉を覗き込むように目を向ける。
「安心しろ、確かこの国では16才から酒は飲める――で、俺の国じゃ18から飲酒ができるんだ」
「えっ、そうなんですか!?」
(まさかの年齢設定!……さすが異世界だ……)
「ああ、だから心配すんな」
違反行為をしているわけではないと分かり、安心してホッと息を吐きながら再び椅子に腰を下ろす和哉を見て、またギルランスはクツクツと笑い出す。
(まったくもう!人が真剣に心配したのに失礼だな!)
「そんなに笑わなくても良いじゃないですか!」
不貞腐れたように文句を言う和哉にギルランスは笑いながら謝る。
「いや、わりぃ……っふ……あんまり必死だったからついな……くくっ……しかし、すげぇ剣幕だったな」
その様子に和哉はますます憮然とした顔になる――が、同時に殆ど仏頂面しか見せないギルランスが(酒が入っているお陰もあるだろうが)こんなにも笑っているのを見たらなんだか怒る気も無くなってしまった。
「まったく……笑いすぎですよ」
しかし、そう言いながらもギルランスが笑ってくれるのは嬉しいと感じている自分がいる事に気が付く和哉だった。
(まぁ、ちょっとバカにされてる気がしなくもないけど……でもやっぱりこの人の笑顔が見られるのって嬉しいな……なんでだろ? この人の場合、笑顔にレア感を感じるからとか……?)
そんな事をぼんやりと考えつつ和哉が笑っているギルランスを眺めていると……。
「ま、歳なんてホントのとこ、どうだっていいだろ」
そう言いながら笑い飛ばすギルランスの表情になぜか少し陰りが落ちたように見えた。
(ん?気のせいか?でも一瞬暗い顔になったような……)
しかしすぐに元の表情に戻ったので気の所為だと思うことにし、再び食事に戻る和哉の視界に不意に影がかかる。
顔を上げるとギルランスが酒の入ったコップを和哉の眼前に掲げていて、ニヤリと笑ってみせた。
「――で、どうだ? お前も飲むか?」
「え?」
(どうしよう……飲んでみたいけど……)
差し出されたコップを前に和哉は少し迷ったが、酒への好奇心の方が勝ってしまった。
「じゃ、じゃあちょっとだけ……いただきます」
コップを受け取り、意を決して一口飲んでみる。
ゴクリ――口に含んだ瞬間芳醇な香りが鼻を抜け、口の中にほんのり甘みが広がった。そして喉を通った後に残る仄かな苦味――。
なんとも言えない美味しさに和哉の顔からは自然と笑みが零れた。
「……お、美味しい!」
和哉にとっては初めての飲酒だったが、あまりの美味しさと飲みやすさに一瞬で虜になってしまった。
「だろ?」
ギルランスが得意気にニッと笑う。
(うわぁ~ドヤ顔だ……!)
その顔が少し子供っぽくて可愛いと思ってしまった和哉は、戸惑いつつもそれを悟られないように笑顔で答える。
「はい!お酒がこんなに美味しいなんて知りませんでした!僕、初めて飲んだんですけど凄く気に入りました、ありがとうございます!!」
和哉は残りの酒をゴクゴクと一気に飲み干した。
それを見ていたギルランスは一瞬目を瞠った後、フッと笑みを零した。
「気に入ったなら何よりだ」
そう言って空になったコップにまた酒を注いでくれた。
暫く二人でお酒と料理を楽しんでいたのだが……そのうち和哉は顔が妙に熱くなってきたのを感じた。
(うぅ~、なんだか暑いな……それにふわふわしてる感じもするし……?)
「ギルランスさぁん……僕、なんだかぽわぽわしますぅ~」
(なんだろう? なんだか凄く楽しい気分だな)
「ん?――おい、大丈夫か?」
「ええ~? 大丈夫れすよぉ、だって、こんなに楽しいんれすからぁ~!」
和哉は完全に酔っ払っていた――顔も身体も火照っていて熱い筈なのにそれが妙に心地よいのだ。
ケタケタと笑いながらまたグイと酒を呷るとその弾みで和哉の身体がグラリと傾いだ。
それをギルランスは慌てて手を伸ばして支えてくれる。
「お、おい――お前、酔うの早すぎだろ!」
(え?なに?僕酔ってんの?――酔っぱらうってこんな感じなのか……知らなかったなぁ~……)
するとギルランスは苦笑いしながら和哉の手から酒を取り上げ、代わりに水の入ったコップを渡してきた。
「――ったく、ほら水飲め!」
「えぇ~?もっと飲ませてくらさいよぉ」
和哉は口を尖らせながら文句を言ってみるものの、既に正体もあやしくなってきている。
「んな顔すんなって、またいつでも飲めるだろうが――今度な」
「……分かりましたぁ、約束ですよ?」
ギルランスに宥めるように言われて和哉はしぶしぶ頷く。
拗ねたように言いながら水を飲む和哉の様子にギルランスは苦笑いを見せながら頷いた。
「ああ、わかった――」
その言葉を受け、更に上機嫌になった和哉は満面の笑みをギルランスに向ける。
「えへへ、やったぁ、約束だぁ!――あ、それからぁ……僕ぁギルランスさんが笑ってくれるのが、すご~く嬉しいんれす~、すっごく素敵な笑顔だと思いまふよぉ~……ふふ……僕、ギルランスさんと出会えてよかったなぁ」
お酒の力というのはスゴイものだ――普段であれば照れくさくてなかなかに言えないような言葉でも、何気なくさらっと言えてしまう。
和哉は自分の気持ちを素直に口にできる解放感に浸っていた。
ギルランスはそんな和哉の言葉に目を見開き固まっていた様子だったが、やがてバリバリと頭を掻きながら小さく溜め息をついた。
「……はぁ、お前はホントに……」
(あれ?なんか呆れられてる?なんで??)
小首を傾げる和哉を見て、呆れた表情のままギルランスはフッと笑った。
(うわ、イケメンスマイル、キタコレ!!眩しい!!)
そんな事を思いながらも和哉の頭は更にふわふわして来る――あまり思考が纏まらずにポーッとギルランスを見つめていると、ガタリと席を立った彼に軽く頭を小突かれた。
「ほら、立てよ、そろそろ部屋に戻るぞ」
「ふぁ~い」
和哉はギルランスに支えられ、足元も覚束無い状態で店をあとにするが、もう完全に出来上がってしまっていた。
何とか宿屋まではたどり着く事が出来たが、フラフラしてまともに歩けない和哉は階段を上がる事も儘ならなかった。
「チッ、仕方ねぇな」
舌打ちをするギルランスの声が聞こえてきた次の瞬間、急に和哉の身体がふわりと浮いた。
気付けば和哉はギルランスに抱え上げられていた――いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
「わわっ!?ちょっ……ギルランスさん!?」
思わず驚きの声を上げる和哉をよそに、ギルランスはスタスタと階段を上っていく。
「暴れんなよ」
「い、いや……でも、あの――」
和哉は恥ずかしさのあまりジタバタともがいてみるが、びくともしない。
「いいから大人しくしろ!落とすぞ!?」
今度は脅すように言われてしまい、和哉はピタリと動きを止める。
「ふぁい……」
観念して大人しく運ばれつつも、驚きと恥ずかしさで酔いなどどこかに行ってしまったようだ。
(うわー! 何これ!?すごい恥ずかしいんだけど!!)
和哉は内心パニックになりながらもじっとしている事しか出来なかった。
しかも、いくら細いほうだとはいえ、170センチ超えの男を抱えて歩くのはかなりの重労働のはずだ。
だが、ギルランスは息一つ乱す事なく平然と歩いている――改めて凄い人なんだと実感させられると同時に申し訳なさすぎていたたまれない気持ちになってしまう和哉だった。
途中、階段を降りて来る女将と鉢合わせてしまい、すれ違いざま彼女は親指をグッと立てパチリとウィンクをして通り過ぎて行った。
(うっ!……ああぁ~!絶対なんか勘違いされたよね!?もう恥ずかしくて死にそうなんですけどぉぉおお!!!)
穴があったら入りたいとはまさにこの事だと思いながら、和哉は赤くなっているであろう顔を隠すように両腕で顔を覆ったまま、大人しく運ばれるしかなかった。
そんな和哉の状態を知ってか知らずかギルランスはそのまま部屋まで行くとそっとベッドの上に下ろしてくれた。
「ほら、着いたぜ」
「あ……ありがとうございます」
恥ずかしさのあまり彼の顔を見る事が出来ず、和哉が顔を覆ったまま礼を述べると、ギルランスは小さく笑ったようだった。
そしてそのまま部屋を出て行こうとする気配を感じたので思わず起き上がり声をかけた。
「あのっ……!」
その声に振り向いた彼に何と言おうかと言葉を探す。
(お礼か謝罪か言い訳か?……どれも違う気がするけど他に何も思い付かないし……よしっ!)
「今日はありがとうございました! すごく楽しかったです!そ、それから、ご飯もお酒もすごく美味しかった!――あ、あと、重いのに運んでもらっちゃったりしてすみません、ありがとうございました!!」
和哉は思いつく言葉を全て詰め込み一気に捲し立てると、改めてギルランスに向き直りペコリと頭を下げた。
(うん、完璧だな!ちゃんとお礼を言えたし、食事やお酒の感想も言ったし、最後は感謝の言葉で締めくくったし!)
満足顔で頷きながら心の中で自画自賛していると、和哉の勢いに目を丸くしていたギルランスがフッと笑った。
「くくっ、すげぇ早口だな?――まぁ、お前が楽しめたんなら良かったよ」
どうやら機嫌が良いようで目を細めて笑っているギルランスの様子に和哉はホッと安堵の息をもらす。
「はい、すごく楽しかったです!本当にありがとうございました」
そう笑顔で言うと、彼も少し照れたように頬を掻く仕草をする。
「……おう」
ぶっきらぼうな返事をしながらもその表情はとても優しいものだった。
(ふふっ……ちょっと可愛いかも)
そんな事を考えつつ和哉がニヤついていると、不意にギルランスに頭を掴まれた――そして、驚く間もなくボフッと枕に押し付けるように寝かされるとそのまま布団を掛けられてしまった。
「むぐっ!」
いきなりのギルランスの行動に和哉が目を白黒させていると上から声が降ってくる。
「この酔っ払いが――おら、早く寝ちまえ!」
言いながらぐしゃぐしゃと和哉の髪をかき混ぜるギルランス。
それはお世辞にも優しいとは言えないような乱暴な手つきなのだが、和哉には不思議と不快ではなくむしろ心地良いと感じられた。
和哉としてはもう少しギルランスと話をしていたいと思うのだが、今日の疲れとアルコールの所為なのか、すぐに瞼が重くなってくる。
(……あ~、まだもう少し話してたいのにな~……ん……でもダメだ、眠い……)
「ふぁ……ギルランスさん、おやすみ……なさい……」
和哉はなんとかそれだけ言うとあっという間に眠りに落ちてしまった――。
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