痛み分け人形

 昨日。学校からの帰り道、変な人形を拾った。


 落ちていたのは、いつも通学路として使っている路地裏。この道は、通学時間を五分ほど短縮することができる。普段から色んな道を通って登校していたのが実を結んだようで、おそらく自分しか知らないであろう、秘密のルートだった。


 見たい番組があったので、昨日は急いで帰っていた。半ば駆けるようにして件の路地裏に入り、半分ほどまで行ったとき、何かを踏んづけて、僕はこけた。


「くそ、なんだよ」


 悪態をついて起き上がろうとしたその時、胴体に大きな衝撃を受けた。


「うっ──」


 背中を誰かに思い切り踏んづけられたような痛みだった。肋骨の軋む音がした。しばらくは痛みで動けず、ようやく波が引いたところでゆっくりと身をおこす。こけただけなのに、すりむいた膝とは関係のない背中が痛くなるなんて──。もしかして、骨折?


 そう不安に苛まれながら辺りを見渡すと、足元に何かが落ちていることに気がついた。おそらく僕は、これを踏んづけて転んでしまったのだろう。


「──人形?」


 布製の、とても安っぽい人形だった。うつむせで倒れている。笑ってしまうのを僕から隠そうとして、アスファルトに顔を押しつけているように見えた。


──こいつのせいで、僕はこけたんだ。


 すりむいた膝が今更ジンジンしてきて、イライラが湧き上がってきた。気付いたときには、思いっきりその人形を蹴っ飛ばしていた。


 その瞬間、今度は脇腹に衝撃が走り、痛みが爆発した。声にならない声を出しながら、僕は脇腹を抑えて蹲った。意識が飛ぶような痛みの中で、僕は、もしかして、と思った。


──人形を、蹴ったから?


 最初は背中を踏んづけて、痛みが走った。次は脇腹を蹴って、今僕はこの状態だ。まさか、人形と僕の痛みが、リンクしているのだろうか。


 なんとか痛みから立ち直り、蹴飛ばした人形の元へ近づいて拾い上げた。その顔を見て、僕はぎょっとした。


 顔がとても似ているのだ。僕に。


 丸い鼻も、少しだけ濃くて垂れた眉毛も、僕そのもの。もちろんそれ以外のパーツだって瓜二つ。まるで、自分をモデルにしてこの人形を作ったかのような──正直、気味が悪い。


 僕はその人形を投げ飛ばそうとしたけれど、痛みがリンクしている可能性があることを思い出して止めた。代わりに、そっと人形にデコピンをしてみる。すると、おでこに静電気が走ったような痛みを感じた。


 間違いない。この人形が感じた痛みは、そのまま僕に流れてくるのだ。


 どうしていいか分からなかった。置いていこうと思ったけれど、もし、ネズミに食べられたりしたら? 野良猫に噛まれたりしたら? 違う人が通って、この人形を乱暴に扱ったりしたら?


 怖くて、そんなことは出来なかった。だから僕は、その人形を持って帰ることにした。


  ***


 そして今日。人形は、一旦靴箱の中に隠しておくことになった。


 最初は自分の机の上に置いておいた。しかし夜が更けてくると、視線を感じて怖くなってしまったのだ。このままでは寝れる気もしないし、どこか自分の視界に入らないようなところに移すことにした。家族にばれないよう、なんとなく靴箱の奥にしまった。


 今日は土曜日。学校は休みだ。家族はみんな家にいる。とにかく、あの人形が見つからないようにしないと──。


「ちょっとあんた」


 突然お母さんが部屋に入ってきた。ノックなし。全く、どうして母親というのは息子のプライバシーを無視してくるのだろうか。


「ねえ、ノックしてって言ってるよね!?」

「ああ、ごめんごめん」


 皺だらけで丸っこい顔を、さらに醜くしてお母さんは言った。僕をその小さい眼で見つめ、彼女はより一層大きな声を出す。


「というかあんた、あの人形なんやの!」


 さっきから聞こえていたゴミ収集車のアナウンスを、お母さんの大声がかき消した。母の口から発せられた『人形』という二文字が、僕の心臓を一度大きく跳ねさせた。


 まずい、バレた。


「あの汚い人形、どうせあんたが持って帰ってきたんやろ。捨てといたからな」

「え、捨てたの?」

「当たり前やろ! 変なとこに隠しよってからに。取りに行こうとか思うのもなしやで。まあ無駄やな。いまちょうど、ゴミ収集の人が来てるから」


 お母さんはそう言い捨てて、僕の部屋を出て行った。


 静かになった部屋で、僕は顔を青くしていた。窓の外から聞こえてくるゴミ収集車の雑音だけが、この部屋を満たし、僕の耳にずけずけと入り込み、脳を震わせた。


 僕の下半身はガクガクと震え、言うことを聞かなかった。生ぬるい水が、ズボンをじわじわと濡らしていって──。

 

 バキッ。右足から、僕の足はひしゃげていった。

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