親を知らない君へ
私はあなたが大好きだった。
ずっとずっと隣に居続けてくれた。癇癪を起こしても、駄々をこねても、柔らかく微笑んでくれた。泣いている時は、優しく慰めてくれた。
分かる? 私にとってあなたは、お日様みたいに不可欠ものだったの。
それなのに、突然いなくなってしまうなんて……正直今は、何も手につきません。
手持ち無沙汰な時間の中で考えてみれば、昨日の時点でもう、あなたはここから出
て行くことを堅く決めていたのかも知れないね。
昨日、夕飯を食べ終わった後、デザートを二人きりでつまんでいた時。あなたは突然、ほんとに突然、わたしに思いもよらないカミングアウトをしてきた。昨日のことだし、まるで昨日のことのように思い出せる。それは、こんな一言だった。
──私ね、今まで黙ってたけど、自分の親のことを何も知らないの。
へえ、そうなんだ。そう私は返事をしたと思う。
正直なところ、私たちの関係ではそれほど重要でないことだとそのときは感じていた。むしろ、そんな小さなことで良かったとさえ思っていた。でも、今になって思う。あなたにとっては、それはとっても重要なことだったんだね。
今私は後悔しています。あのとき、なんでもっとあなたに寄り添ってあげられなかったんだろう、適当に流しちゃったんだろうって。もう遅いんだけどね。
その後、あなたは言った。「私、親を探す旅に出るのって」
そのときは無理だって思った。あなたが旅に出るなんて無茶が過ぎるって。だって、だってあなたには、
足がないじゃない。
私たちは、生まれつき四肢がなかった。だから私たちは動けずに、ずっと隣同士。私が左で、あなたが右。あなたがみんなの中で一番奥。ずっとそういう位置関係だったじゃない。
だから不思議に思っている。どうやってここから動いたんだろうって。今朝目覚めたら、あなたはいなくなっていた。右を向いてもあなたがいないなんて、気持ち悪くて仕方ない。
というわけで、私も旅に出ることを考えています。転がってでも、這いつくばってでも、あなたに会いに行こうと思います。あ、いいダジャレを思いついちゃった。
愛に生こうと思います。
***
「は~い終わりました~よく頑張りましたね~」
先生がそう言って、私は心の底から安堵した。徐々に上がる背もたれに体重を委ねながら、私は刑務所から出られたときのような解放感を感じていた。
「じゃあ、このガーゼを噛んでいてください」
大人しくガーゼを噛み、涙目になった情けない顔で先生の話を聞いた。
「麻酔が切れると痛みが酷くなりますから、痛み止めを処方しておきます。飲んでから三十分は効果が現れるまでに時間が掛かりますので、少しでも痛いな、と思ったときに飲むことをおすすめします」
「はひ、わはりまひた」
「また来週に反対側を抜きますからね」
「……はひ」
「あ、抜いた親知らず見ますか?」
先生は私の返答を聞かずに、ピンセットで親知らずを掴んだ。銀の皿みたいなやつに転がったそれを見たけれど、特になんの感情も沸いてこなかった。
強いて言えば、そのフォルムが小さな子供に見えたことくらいか。
「今日抜いた親知らずの隣の歯なんですがね」
先生が真顔でこちらを見た。
「虫歯がありましたから、また今度抜きましょう」
「え~」
まだ私は歯医者に通い続けなければならないのか。
私は大きく溜め息をついた。親知らずがあったところが、また少し痛んだ。
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